【改定稿】「おんな城主 直虎」未来の視点 05「亀之丞帰る」 | 戦国未来の戦国紀行

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「めでたやな、松の下、千代もひくちよ、千世千世と」(『閑吟集』)


第5話では祝い事が2つ描かれた。

①今川家:今川氏真と北条氏の娘(早川殿)との政略結婚により「甲相駿三国同盟」が完成
②井伊家:亀之丞の帰国

祝賀会に居た100人中100人が手放しで祝ってくれればよいのであるが、今川家の宴会場では瀬名が嫉妬と恨みの炎を燃やし、井伊家の宴会場では小野政次が酒を飲まずに黙っていた。蚊帳の外なのは、今川氏真と結婚できず、今川を我が物に出来なかった瀬名と、奥山朝利の娘と結婚できず、井伊家の一員になれなかった小野政次である。

亀之丞については今川氏から殺害命令が出ていたわけで、帰国が許されるはずがない。
それが、許されたというのであるから、そこには「理由」があるはずである。(未来って、ややこしい女だな。単純に「やったー!帰国ー!」って喜べばいいのに。)

ドラマでは、今川家に、「甲相駿三国同盟」の成立により、武田軍が亀之丞の潜伏先を襲ってきたので、戦火に巻き込まれるのを避けて帰国したと弁明したらしい。「甲相駿三国同盟」の成立により、今川軍が三河国を制圧したため、井伊氏の重要度が下がったのも帰国許可の一因であろう。
今川氏は駿河国を本拠地として、その西の遠江国を占領した。遠江国の西は三河国であるが、三河国を攻めに行くと、手薄となった駿河国を北隣の甲斐国の武田氏や、東隣の相模国の北条氏に攻められて、取られてしまう可能性が高かった。しかし、「甲相駿三国同盟」の成立により、憂いなく西へと進撃して三河国を占領し、駿河・遠江・三河国の領主となった。
今川氏が駿河・遠江国の領主だった時代、その領地の西端の軍事拠点の国衆(井伊氏など)の動向が気になっていた。ところが、駿河・遠江・三河国の領主となると、今までの軍事拠点(井伊谷など)は、領地のど真ん中に位置することとなった。
──もう、井伊など、どうでもいい。
とシャレは言わなかったと思うが、井伊領は境界の軍事拠点ではなくなり、亀之丞の帰国を今川氏は、「今川家臣が増えることであり、喜ばしいこと」と捉えたのではないかと思う。

ドラマでは描かれることが無いと思うが、井伊氏に替わって悲惨な状況になったのは、今川領の西端、新たな境界になった新たな軍事拠点(沓掛城とか大高城とか)である。
尾張国では、天文20年(1551年)に織田信秀が病死し、跡を継いだ織田信長と弟・信勝(後の織田信行)との間で内紛が起こった。
──織田信長が領する尾張国など、今川義元に取られるであろう。
こう判断した故・織田信秀の忠臣であり、鳴海城主兼笠寺城主の山口左馬助教継(尾張山口氏)が今川方に寝返った。この山口氏の調略により、大高城(愛知県名古屋市緑区大高)も沓掛城(愛知県豊明市沓掛町)も今川氏のものとなった。
しかしながら、讒言を信じた今川氏真は、山口父子を駿府へ呼び、切腹させた。褒美がもらえるものと信じ、喜んで駿府へ行った結果が切腹である。
 

 

 


さて、亀之丞の帰国を知った次郎法師には、「煩悩」が生まれた。
この膨張一途の煩悩を断つために、次郎法師は滝行を行った。滝行では真言や『般若波羅蜜多心経』(「仏説」(仏(釈迦)の説いた教え)を付けて『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』とも、「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』とも。略称は『般若心経』)が唱えられる。
臨済宗の僧は座禅であって、密教(天台宗、真言宗)の僧のように山籠りや滝行はしないが、ドラマ的にはよかった。脚本家としては、次郎法師と亀之丞が1対1で語り合う場を設定したいのであるが、次郎法師が出迎えの人々の中の1人だったり、宴会場の人々の中の1人では、2人だけの場の設定は難しいのである。
ところで、「般若」とは、「大乗仏教における悟りの智慧(ちえ)」のことであり、『般若心経』とは「智慧の完成について、最も肝要な事を説いた経典」の意で、大乗仏教の心髄「色即是空、空即是色」が説かれている経典であるが、一般人には、「『空』を説く経典」と言うより、「霊験あらたかな真言の経典」として受け止められており、「悪霊(病気などの根源)を『空ずる』力を持つ経典」と解釈されていた。

さて、亀之丞が帰国すると、村人は「めでたやな~、松の下~、千代もひくちよ、千世千世と~」と歌いながら踊った。これは、「松平(徳川)の下で、亀之丞の子・万千代が活躍して井伊が栄える」という予言に聞こえる。井伊直政(幼名:虎松、万千代)の幼少期は寺田心くんが、成長してからは「auの鬼ちゃん」こと菅田将暉さんが演じる。

瀬名(後の築山殿)の般若の舞を見て、
──「auの鬼ちゃん」の女性版
と言った方がおられる。「般若の面」(「般若面」「般若」とも)は、「嫉妬や恨みの篭る女の顔」としての「鬼女の能面」であり、手紙には「目出度い」と書いても、心の中では、今川氏真と結婚できた早川殿への「嫉妬」(私は子供の時からずっと氏真様をお慕い申していたのに、東の方からさっと来て、さっと政略結婚してしまった)と、子供の時の約束を破って他の女性と政略結婚した今川氏真への「恨み」が渦巻いていた。
──築山殿は鬼女である。
と言った方もおられる。結城秀康(徳川家康の次男)を身籠った於万の方への「後妻打ち」(妻が若い妾を憎んで打つ事)の事を言っておられるのであろうが、私は、瀬名は、「プライドが異常に高い女性」であり、「プライドが傷つけられた時、何をしでかすか分からない女性(もしかしたら「鬼女」に変身するかもしれない女性)」だと理解している。

「般若の面」の「般若」と仏教用語の「般若」との関連は不明であるが、「般若坊という僧侶が打った面だから般若」とも、「能『葵上』(光源氏の寵愛を受ける葵上に嫉妬した六条御息所の生霊(「鬼女面」を被って登場)が、後妻打ちして、葵上の魂を抜き取ろうとしたが、修験者・横川小聖が『般若経』を唱えて生霊を浄化させたという話)から、その能で使われた「鬼女面」を「般若」と呼ぶようになった」ともされる。

──あら/\恐ろしの般若声や(『葵上』)

さて、夫婦といえば、「喧嘩するようになって初めて夫婦になったと言える」「喧嘩するほど仲がいい」と言われてきた。瀬名のように、嫉妬や恨みを心に秘める女性は恐い。何を考えているか分からないから恐い。ある日、突然、溜まった思いが一気に噴出するから恐い。
思いを胸に秘めずに、溜め込まずに、その場、その場で、「浮気するな~」などと思った事を口にすれば、その結果として喧嘩にはなるが、「喧嘩出来る=何でも言える」であって、ストレス発散にもなるし、相手の気持ちが分かるので、良好な関係を続けられるのである。

江戸時代の小説の夫婦喧嘩の描写は、「擂粉木(すりこぎ)を亭主が持ち、女房は擂鉢(すりばち)で防ぐ」がお約束であったが、このドラマでは逆であった。それはなぜか?

──男勝りの女城主が誕生する風土がそこにはあった。

ということであろう。

※「おんな城主 直虎」未来の視点 05「亀之丞帰る」の「内容の配分が「井伊直満の反逆」に偏り過ぎて1話の感想にも見える」「瀬名のことが載っていない」とのご指摘がありましたので、「祝」「般若」をキーワードに書き直してみました。