『QED』是時菊理媛神亦有白事伊奘諾尊聞而善之乃散去矣 | 戦国未来の戦国紀行

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日本の戦国時代について

 去年、井伊直虎関連図書が並んでいた本棚に

 

 今年は高田崇史先生の本が並んでる。

 

 『宵物語』とかの物語シリーズを並べてもいいのだけど。

 

 明智光秀本を並べてもいいのだけれど・・・

 

 

 QEDシリーズは完結したと思ったけど、

 

 まだ続いてる。

 

 最新刊は、といっても去年の11月の発行だけど、

 

 『QED -ortus- 白山の頻闇』です。

 

「ortus」(ラテン語で、オルトゥス。英語読みでオルタス)の意は、「起源、出発、始まり、誕生、上昇」で、「(太陽が昇る)東方」の意もある。「頻闇(しきやみ)」とは、「闇また闇」で、「まっ暗闇」の意。

 

 

 

 

白山神社の起源は、崇神天皇7年(紀元前91年?)に、白山を仰ぎみる遥拝所が創建されたことで、当時のご祭神は、菊理媛尊(白山比咩大神)、伊邪那岐尊(伊弉諾命)、伊邪那美尊(伊弉冉命)の三柱であったという。3つのピークを持つ山(神奈備)自体がご祭神なので、社殿はなく、鳥居すらもなかった。(「白山神社に鳥居無し」は「白山七不思議」の1つに数えられている。)

 

本来は菊理媛尊(白山比咩大神)のみで、崇神天皇ら大和政権が記紀の記述に基づいて、伊邪那岐尊(伊弉諾命)、伊邪那美尊(伊弉冉命)を加えたのであろう。

「記紀の記述」といっても、全国に3000社もある白山神社のご祭神・白山比咩大神は、『古事記』や『日本書紀』には登場せず、菊理媛尊のみ、『日本書紀』の一書(第十)に1度だけ登場する。

【原文】是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之、乃、散去矣。
【現代語訳】この時、菊理媛神が、また、申した事があった。伊奘諾尊は、聞き、「これ善し」として、去っていった。

 

これは「泉平坂」(一般的には「黄泉(津)比良坂」)、今の「伊賦夜坂」の出来事である。

「黄泉(津)比良(ひら)坂」は、「黄泉(津)白(しら)坂」であろう。関東人は「おひさま」を「おしさま」と言うから、「し」から「ひ」への転訛はあり得るだろう。白山信仰に「布橋勧請」がある。川を三途の川に見立て、その川に架かる橋にホワイトカーペット(白い布)を敷き、渡り、戻ってくる「再生の儀式」(太陽再生の冬至の儀式)である。黄泉国へ通じる「白坂」は、「布橋勧請」のホワイトカーペットが敷かれた橋に相当する。

※一般的には「比良坂」を「平坂」とする。「坂」は斜めであり、平らではないので、「平坂」とは奇妙であるが、古語の「ひら」は「緩やかな傾斜地」の意で、「平坂」は、「平賀(ひらか)にある坂」だという。確かに、昨年、「伊平」「大平」へ取材に行ったが、どちらも川が流れていた。川が流れるということは、「緩やかな傾斜地」なのだろう。

 

※「伊賦夜坂(いふやざか)」は「揖屋町(いやまち)にある坂」だという。「(菊理媛神が)言う也坂」だったりして。揖夜(いや)神社は、『出雲国風土記』では「伊布夜(いふや)の社」だが、『日本書紀』では「言屋(いうや)の社」!

 本文には「曰(いは)く」ではなく、「白(まう)す」とある。「告白」「自白」の「白」であるが、「黄泉(津)白(しら)坂」と共に「白山」に通じると思ってしまうのは、深読みか。

 

 

さて、問題は、菊理媛神がなんと言ったかである。

 

 

星野之宣『宗像教授伝奇考』「file.27 菊理(くくり)媛は何を告げたか」では、

「現世に戻れないように、括(くく)っておくから安心を」

と言ったとあり、『QED -ortus- 白山の頻闇』では、

「直ぐに再生させますのでお待ち下さい」

と言い、実際、天照大神として直ぐに再生させたとする。

ちなみに私の説は、
「現世に戻れないように、洞窟を塞いだ大岩を注連縄で括(くく)っておくから安心を」
です。天照大神の「天の岩戸」では、洞窟を塞ぐ大岩を手力雄神が投げ飛ばし、天照大神が洞窟に戻れないように注連縄をしました。この場面で、菊理(くくり)媛は、手力雄神であっても大岩を動かせないよう、大岩を注連縄で封印したのだと思います。(「天の岩戸」でも、注連縄をする役は菊理媛が適任なのだけれど・・・。)

 

 

 

 

 部落は、通説では「江戸時代に政策として作られた」であるが、それ以前からあった。

 たとえば、曹洞宗の寺院の鎮守社は白山神社である。(明治の神仏分離令により、寺の境内から出されたり、鎮守堂として残されている。)その理由を、「宗祖・道元は、日本に帰る船が出るというのに、経典等の写本が終わっていなかった。その時、白山姫命が現れて手伝い、無事、終了したから」としている。(白山姫命が中国に現れるとは、驚きである!)しかし、実際は、「曹洞宗の寺院が部落民と結びついて、葬儀の執行を独占して儲けようとしたため」だという。

 

 

 さて、白山神社の総本社・白山比咩神社(里宮、下白山、白山本宮、本宮)の建物は、不思議なことに、男神仕様になっている。
『QED -ortus- 白山の頻闇』では、

・里宮のご祭神:伊邪那岐尊(男神)

・奥宮のご祭神:白山比咩大神(女神)
とし、白山比咩大神の正体を「(新羅に攻め立てられて日本にやってきた)高句麗姫」だとしている。部落の人々とは、古代に朝鮮からやってきた渡来人たちなので、白山信仰は、朝鮮の信仰だと思われ、白山姫を高句麗姫だとする方向性は正しいように思われる。

 

ちなみに、私の説は、「本来(ortus)は、

・奥宮のご祭神:渡来人が祀った白髭大神(男神)=白山(はくさん)神

・里宮のご祭神:大和政権が祀った白山比咩大神(女神)=白山(しらやま)神

であり、後に入れ替えた」です。白山の山頂に渡来神が祀られていたので、山麓に降ろし、山頂に白山の女神を祀ったのでしょう。

 

※白山(はくさん):中国吉林省と北朝鮮両江道の国境地帯にある山。古くは「不咸山」「白山」「太白山」と呼ばれ、現在、北朝鮮では「白頭山」、中国では「長白山」と呼ぶ。

※白山(しらやま):石川県・岐阜県の県境の山。『万葉集』には万葉仮名で「しらやま」とあるが、現在は「はくさん」と読む。