たけうま書房


今朝 とても残念なニュースが
古書店関係の友人から届きました。

横浜のたけうま書房さん。
元ひきこもり当事者の稲垣さん、林さんが
運営している古書店が突然の閉店だそうです。


店舗のたたずまいが大好きでした。
地元の古書店繋がり、本のイベント繋がりで
知っていたたけうま書房さんと
ひきこもり、不登校という
キーワードで更に繋がったことに
驚いていたのも数年前。

来年の落語会も楽しみにしていました。
ご事情はまだわかりませんが
街から古書店、ほっといてくれる居場所のような本屋さんが
無くなるのは惜しいものです。
内閣府初の調査と、不登校新聞の緊急呼びかけを受け
鎌倉市図書館が公式ツイートしたことで

辛かったら行かなくていいよ と
大人の声が増えてくれるのは ありがたいことです。

それについて街頭インタビューで答えて下さっていた
方々のメッセージで目についたのが
「とにかく逃げて」というものでした。

なにかもやもやしたのは
なぜ子どもに対してばかり、行動を即すのかなあ
ということです。
逃げなくてはとても生きていられないほどの状況は
子どもの力ではもうどうにも変えられないことでしょう。
逃げろというメッセージと
大人がしっかり聞くよ、そんな状況に向き合うと約束するよ、と
セットで初めて 逃げても大丈夫かも知れない と
思えるんじゃないかな。
非がないのに何故自分がその場を去らなければならないのか
納得出来ないまま我慢し続ける子もいると思うのです。


もう一つ
「まわりにSOSを伝えて」というのもかなりあったのですが
先日あった痛ましい死の、
生活日誌の空を切るような
すれ違った受け答えにあるような絶望に繋がらないように
こどもに伝えて,と言う前に
大人がしっかりキャッチするよ、と請け負って
初めて必死のサインが出せるのではないかと思うのです。

こどもにああしてこうしてと言う前に
おとなも振り返って考える
きっかけにもなるといいね。

猛暑で室内にこもりがちです。なんだか足も浮腫むし頭もまわりません。

親の怪我で何の予定も入れていなかったお盆ですが、
おもいのほか順調に怪我が恢復し、ひょっこり時間が出来ました。
前からお誘いがあった、横浜は寿町の夏祭りフリーコンサートに
ひさしぶりに出かけました。
会場の取り壊しに伴い、この場所での開催は最後ということで
世界的に活動している多数のアーティストも集い例年より多くの人が集まったからか
オープンエアの会場では思いがけずたくさんの旧友や知人と会うことが出来ました。
まったく別のフィールドで知り合った友だち同士を紹介し合ったり
仲間になったりできるのは、このフリーコンサートならではの温かさなんでしょう。
偶然出会った方の中に、フリースペースえん代表の西野さんがいらっしゃいました。
数ヶ月前、映画「みんなの学校」を観に行ったとき、偶然私の後ろのお席にいらして
びっくりしたばかりです。
どの出演者も甲乙付けられない素晴らしいものだったけれど
なかでも 李政美(イ・ヂョンミ)さんの歌声が忘れられないほど
心深くに届き、今でもじんわりと響いています。
西野さんが「あったかいものもらったねー」とおっしゃってましたが
声に優しさをのせて届けるということが人にはできるんだなあと感慨深かったです。
不登校の子たちのたまりば活動で長いことヂョンミさんはボランティアで
関わってくれていたご縁だそうです。

おもわず涙が止まらなくなってしまった
最後の曲、 The Rose.
日本語訳で歌われたのですが、いいなあと思った歌詞が
(正確ではありません)
奪われまいとする 与える愛は見えない
なくなることを恐れる魂 君の愛は座ったまま

よく直訳風に
与えることが出来ない人は 愛を受け取ることができない
死ぬのが怖くて生きることができない
のように伝えてるものを見ますが、このnotを「~できない」という否定型の日本語は
上目線な感じで馴染みにくさがあり、また英語の歌詞の風合いとも違うかんじです。

愛は座ったまま。
足がすくんで立ちどまっている。立ち止まっている人のそばで不安でいっぱいになりながら
それでもその人が自分で歩き出すのを信じている人たちのことを想います。

長い夜が続き果てしなく続き
愛とは運がよくて
強い者のためにあると思うとき

苦しみは長いトンネルに例えられることがよくありますが
そんな時にはつい自分のあら探しをしたり弱さを責めてしまいます。(しまいました。)

そんなときこの歌の続きを心の中でつぶやいて、お守りにできたらいいなあと思います。


The Roseでネットを探せばいくつかの日本語訳がありますが
ヂョンミさんの訳詞が、もとの英語歌詞の色合いを伝えてると感じたので
正確な対訳をお知りになりたい方のためにリンクを貼っておきます右矢印歌詞




傲慢な態度って不愉快だな。
自覚が無いのか傷つけ方ハンパない。
ひたすらただそれだけ。

BABY in ME

知ってますか?
今ではお馴染みになった マタニティバッジの 元となった活動です。
今使われているあの「あかちゃんがのっています」バッジは
2006年に厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課が事務局を務める
「健やか親子21」推進検討会公募で採択されたものです。
こういう国の事業って、あるとき会議でハイ決定、って始まったりしない
というのはなんとなく想像出来ると思います。

BABY in MEバッジはちょうど自分の妊娠出産と同時期に始まり
自分で使うことは無かったものの
もし持っていたらよかっただろうなあ、これから出産する人が
バッジで優しくしてもらえたらいいなあ と
関心を持っていました。

自分の子育てが始まると、ちょうど次世代育成事業などが立ち上げの頃で
地域ごとにはお役所の窓口業務が「こども課」「こども支援課」のように
妊娠~子育てに関してワンストップで済むよう変革が始まったりしていました。
役所手続き大変すぎ~!というお母さんたちの声が集まり、
乳幼児を連れて「健康福祉課」「児童課」「学務課」など回らなくて
よくなったりしました。

ご縁があって、子育てしながら
地域での「お産フェア(助産師会主催)」などのお手伝いをしていたので
子育てのネットワークを通じて回ってきた、バッジが意味する妊婦への理解と
普及のための署名活動に署名しました。
全国に広がりながら、様々な子育てグループがバッジを市議に説明したり
地方自治体から次は国政へと(主に当時の野党の議員)声が届き
最終的には公募で今あるデザインで統一されました。
(BABY in MEは同じ県内の女性が1人で始めたという経緯もあり
また、すでにあるものを使うことで公募等にかかる費用を抑えてはどうか
という意見も県内にはあったのですが、そこは政治政策のあれこれで
現在のかたちになりました。そういう経緯も当時出席していた
自治体のこども課内子育て懇談会で知りました)

バッジをつける人が増える一方で、
いわゆるマタハラを受ける人もいると聞いて
環境的にはこころの余裕がなくなっているんだな、と感じます。
今当たり前にあるものや制度、
使っても使わなくても自由だと思います。
実際に手に入るまではけっこう地道な署名やら会議やらも
背景にちょっとはあるんだよ、というお話でした。