反町よ、面白くないぞ!
五輪代表の話
反町「男前」康治監督は新潟県人にとってはやはり特別な存在ではある。
最大の功労者、と言うと澤村先生に怒られるかもしれないが、世間的な見地にたてば
異論のないところであろう。
男前ゆえに世間的な人気も高く、反町時代より成績がいいのに関わらず、男前加減の差分要素
だけで、現新潟監督の鈴木淳は不当評価と言ってもいいほど不人気である。
反町氏のサッカーを評して「スペクタクル」と言われることが多く、オランダ仕込の戦術派と思われている
部分も多く見られるのだが、これについてはハッキリ言って過大評価である。
欧州トレンドの4-3-3を試したが早々と挫折し、結局ブラジルトリオのポテンシャル頼みに切替え
なんとかかんとか残留にこぎつけた、というのが晩年の反町采配である。
そもそも反町の魅力とは、歯に衣着せぬ大胆な発言やその「俺様」的な立ち振る舞いであり、
田舎モノの私たちにはそれが潔くもあり勇ましくもありカッコよかったのである。
五輪代表監督に就任後も、随所にらしさはあるものの、田舎メディア相手とは勝手が違うのか
それとも腰が引けてるのか、「俺様」っぷりが影を潜めていて個人的には面白くない。
代表というプレッシャーもあろうしメディアの叩き方も100倍くらい違うので、わからんでもないが。
そこでオーバーエイジであるが、どうやら現時点では「大久保」「遠藤」らしい
実におもしろくない
正直反町のミッションは最高でも最低でも「北京出場」だったはずだ。
世間的にはメダル、とか浮ついた論調が多いが、予選リーグの相手を冷静に見極めれば、
「めざせ1勝」というのが正直妥当であるし、実際1勝2敗で予選リーグ敗退だったとしても
北京にいけなかったことを思えば、世間の非難もそう多くないと思われる。
反町のミッションはもう済んでいるのである。
それにもかかわらず、「大久保」「遠藤」というなんのサプライズもない人選。
好きにやったら良いではないか。
たとえば、本間勲(アルビレックス新潟MF)や寺川能人(同じく)を呼ぶのである
当然世間からの非難を浴びる。「誰だコイツら」「勝つ気があるのか」「公私混同だ」と
そこで我らが男前はこう切り返す
「これだけ沢山のサッカー記者がいるのに<日本のマケレレ>を誰も知らないとは残念だ」
とかなんとか言ってくれたらホレ直す
オシム氏が羽生呼んだりするのと変わらんと思うんだけどね