俺たちの明日 | ツエーゲン金沢を陰ながら見守るSIXXのブログ RETURNS

俺たちの明日

あの日あの時


あの赤と黒の旗を見ていなかったら


こんな風ないびつなサッカーライフを送ることは無かったかもしれない。




何もかもが満たされていた。

行きつけのサッカーのある生活。

シーズンパスはWスタンドの1列目を持っていた。

ヨメが購入開始日にクラブ事務所に行って買ったので

実はシーパス購入者第一号なのだと思う(苦笑)


美しいスタジアムの

自分だけのどまん中、どまん前のシート

毎週目の前で繰り広げられる国内最高峰のプレイを観る権利を持っていた。

至福であった。


クラブはJ1に昇格の前後に大幅に膨張した。

溢れんばかりの人がスタジアムに当たり前のように集まるようになった。

親善試合でヴァレンシアやボカジュニアースとの試合が組まれたりした。


氏原を買い戻したくて後援会に入ったのだが

クラブにはもはやそれなりに金が集まる構造になっていた。




もちろんこの続きを追い求める選択肢もあった。


あの日あの時


あの赤と黒の旗を見ていなかったら








僕が始めて彼らと遭遇したのは

新潟聖籠のツルツルの人工芝のグラウンドだった。

サテライト以外でこんな環境でサッカーを観たことなどなかった。


中心部の人口では45万人と都市の規模ではまったく差の無い2つの都市ながら

ことプロスポーツに関しては天国と地獄の差が出来ていた。


彼らと話をした。

僕達にはそういう文化がまだない、と言っていた。

僕はいやみでもなんでもなく、

「新潟にだって文化なんて無かったのだから必ず育つはず」といった。

でも翌年全く同じ人数で彼らは再びやって来た。



ブログをはじめたのはこの辺からだっただろうか。

単なる傍観者から、ちょっと近づこうと思ったのだろう。

「陰ながら」というのは、逃げ口上みたいなものでもあったのだが、

「新潟から陰ながらといっているヤツがここまでやっているぞ」ということで

ネイティブの人らに少しでも刺激を与えられたらと思っていました。



あの日あの時


あのツルツルの人工芝の上で


「4年後はアルビレックスとビックスワンで戦っているだろう」と言ったら


嫌味な冗談にしか聞こえなかったかもしれないが


天皇杯という形とはいえ遂に初遭遇することになった。




僕個人的にはここまでもはやどっぷり浸かってしまったので、

もう昔の女に会うようなバツの悪さもかんじなくなってきました。



それよりも「新潟=聖籠」という間違った知識を植えつけられてしまった仲間が

晴れてビックスワンのゲートをくぐる日が来たことが素直にうれしい。



願わくはやはりより多くの金沢市民にこの試合を見てほしい。


知事や市長にも観に来てほしい。


これ以上のプレゼンの場はないのだ。


同じものを作れとは言わないが


俺達だってこれが欲しいと思う気持ちはわかって欲しいのだ。





これは聖戦だ。


100年くらい先を考えた時


何度と無く戦う相手との初の公式戦



もう善戦はいらない。


勇気と自信を取り戻し、新しい未来を創造するためには


J1の首がどうしても必要だ。


日曜日は絶対に勝たなければならない。




中1日で戦う選手はそりゃ大変だろうが


3連5連上等の世界を戦ってきたタフさを発揮して欲しい。


絶対勝とうぜ!







全く余談だが


あまりに気持ちが高ぶり


さっきビックスワンに行ってきましたw


明後日、赤い歓喜に包まれる会場は


静かに皆さんが来るのを待っているようでした。