コロナ禍で思う | 【ナチュラル・エッセンス】

【ナチュラル・エッセンス】

☆自分と世界に心地良さを☆
本能の声を拾う嗅覚反応分析(サードメディスン理論)や効果のあった色々…を使って、 本能部分へのアプローチから、日常を心身両面から根本的に見つめ直すお手伝いをいたします。(現在は行っておりません。)

新型コロナウイルスにより、

今年の春からほとんどの人は人生初体験の長期的自粛生活。


人によっては、短期的はなものはこれまで何らかの形で経験した事があったとしても、長期はほとんどみんな初めて。


こう長くもなるとあちこちに歪みが出てきたり、

または、何とか工夫してカバーして乗り越える人間の底力を見せてもらったり。

対応も様々ですね。

(とにかく皆さんが疲れ過ぎないうちに、早くおさまってほしいですね。)



ただ、こうなって痛いほど思い知ったのは、

人は人と会わずに生きていくという事は成り立たないのではないか?

という事。

そりゃぁ、様々な考え方感じ方をする人がいますから、

自粛生活が全く苦にならない人もいるのかもしれない。

むしろそうなって喜んでいる人もいます。



一個人がたとえそうであっても、


でも、やはり社会的にこういう状況は成り立たない。


一人一人が完全に自給自足出来ているなら良いですが、

そんな人は皆無に等しく、

何らかの形で人は分業して、協力しあって生きています。
仕事に行かなくても、家に誰かいたり、誰かの作った作物を食べていたりします。


こんな事今更言うまでもないことですけれどね。。。





人間嫌いの人だって、完全に人と関わらずには生きていけない。





…と言う事は、

人と人との繋がりにおいては、コミュニケーション能力ってやはりとても大切なんですよね。


自分にとって、無くてはならない周囲の人間といかに良い関係を築いていけるか。

小手先の技術的なことを言っているのではないです。

そんな人、ひと昔前の接待とか、営業マンっぽくて逆に信頼できないかも(笑)

「先生、先生」とかって変にゴマ擦って相手を持ち上げたり???(笑)

今の営業マンはもっと進化してると思いますが(笑)



とにかく、私もコロナ禍で逆に人との繋がりを改めて感じた一人です。



あ〜これまでどれほど知らずに沢山の人々にお世話になっていたのだろうおねがいおねがいおねがい

と、思い知ったのであります。



あ〜気兼ねなく人に会いたいぐすん

ご飯食べる時も、黙って、無言で食べるなんて耐えられない。




ところでコミュニケーション能力というと、

ベラベラ喋ることだけをコミュニケーション能力だと思っているのは実は違っていて、

まずは話しを聞くことがそうだったりします。

言葉以外で伝わってくるものもあります。

それをキャッチする能力もあります。

空気を読むという能力ですね。

空気のような見えないものを読み取るとは、オカルトチックなことでは全くなく、

経験から相手の感情を推察するということですね。

非言語コミュニケーションというもので、実は言葉よりもそちらの方から得られる情報の方が多いのです。


しかし

たまにこの辺りがど下手なタイプがいて、言葉からの情報しか得られないようなタイプがいます。

こちらが伝わっていると思っている事が、全く相手に分かっていなかったり、それゆえ言ってはいけない事を言って周囲に煙たがられたり。トラブルを起こしたり。


実は、悪意あるケース以外の
パワハラ、モラハラその他あらゆるハラスメントをやっちゃうタイプは、その部分の脳が未発達なのです。

共感能力が極端に低いのですね。

一般的に女性に比べると男性の方が苦手らしいですね。
(男女間の異星人的違いはここにあると言っても過言ではありません。)

だから、子育ては女性の方が向いているのです。(あくまでも一般的にはです。男性でも共感能力の高い人はいます。)
言葉を操れない赤ちゃんの全てを察する事が出来なければならないからですね。




人の能力は多岐にわたっていますから、生まれつき、ある部分の能力の高い人もいれば低い人もいます。

しかし、ここの能力が低いと、足が遅いとか、音感がないとか、ものを覚えるのが苦手とか、

そういった能力と同じ脳の機能の問題なのですが、ただ音痴な人よりも嫌われる可能性が高いです。

もしも、悪意のないケースで、それが脳の機能上の問題だと理解されるまでは、ものすごくトラブルを生む事となります。
(やはり何事にも正確な事を知るという事は根本的解決においては本当に大切ですね。)




では、なぜ走るのが遅かったり、音程を取るのが上手くない人よりも、共感能力の劣る人が嫌われるのか?
同じ身体的な能力の高低なのに。。。

それは、

人は誰かの共感を求める部分があるから。


【愛する】の反対は【憎む】ではなく、【無関心】だという事です。


人は自分というものをあたかもないものであるかのように、完全スルーされると一番こたえるらしいです。それほど嫌なものらしいですね。


スルーされなくても、自分の状態を無視されること。それも一種のスルーですよね。

疲れていたり、悲しんでいるのに、お構いなしに仕事を次々と指図されたりしても嫌なものですね。



このように、


『私、あなたが走るのが遅いと、とっても傷つくの。』
という人、

『あなたが音痴だと、私は耐えられないくらい惨めな気持ちになる。』

なんてケースはあまりないのですが、

『私、いつも私の事を理解しようともしてくれず、こちらの都合もお構いなしに物事をどんどん進められるととっても傷つくの。』

はあり得るのです。


共感能力。

単なる能力の一つではありますが、
人間社会では、この能力の低さは命取りかもしれませんね。


しかし、音痴だって、足が遅いのだって、練習、訓練次第で少しずつは成長する!



この能力を磨くのも訓練なのでしょう。


自分が人の気持ちに対して無関心かも。

鈍感かも。

自分はそんなつもりはないのに、
いつも周囲と何かしらトラブルを起こす。

など思い当たる人は、是非努力を。

練習をしましょう。


人と完全に関わらない生き方はしにくいですね。

嫌われたって良い事はありませんよ。

人は人に愛されてなんぼです。

いや、人を思い遣れてなんぼなんですよね。

周囲の全員に好かれろなどという無意味な事は言いませんが、

まずは関わらざるを得ない人々とのより良い関係のために、自分のコミュニケーション方法を客観的に見直してみてはいかがでしょうか?