あと三日で最後だ。

蓮は、その端正な顔を不機嫌にゆがませ、カインの表情を作る。


二重生活が終わる。

予定ではあと三日で正体を隠したままでの、BJという殺人鬼役をやりとげクランクアップをむかえるのだ。


演技と妹以外はどうでもいい日系イギリス人役も同時におわる。


カインという役は、きっと、敦賀蓮より本質的に近い。

嫌いなものにも好きなものにも容赦しないところが。



あの夜、彼女に痕をつけたかった。

俺のものだと。

奴のことなんか、忘れてほしいと。


『あんただけはないってさ。』

そんな彼女の幼馴染の牽制におろかにもむきになった夜に。


彼女が演じる”カインの最愛の妹”が待ち合わせ場所に優雅に歩いてくる。

金の髪の毛先をピンクに染め、挑発的なパンクファッションに身を包み、日本の昼日中には似合わないオーラをまといながら人ごみの中を。


彼だけが、彼女をまっすぐ見つめている。

「セツ・・・」

腕を広げた。


ほぼ確信犯的にカインの表情のままで、ちかづいてきた彼女に腕の中に入れと促す。

セツならば拒まない。

彼女がキョーコのままなら・・・きっとありえない。


もうすぐ最後だというのが、わかっているから。

もうすぐヒール兄弟は終わるから。


今だけは触れさせてほしい。と蓮は願う。


一瞬、彼女がためらった気がした。


気のせいだったのかすぐ、彼の腕の中に擦り寄ってきたのだが、役を憑けていても、蓮には甘い拷問にしか思えなくて、悔しくて必要よりも少し長めに抱きしめた。


(こういうのが日本では職権乱用っていうのか。)

わざとらしくも、不自然でもないが、兄妹で・・・というには違和感ののこる程度の抱擁。

(おれを、すこしは意識すればいい・・・)

彼女の背が、わずかにこわばった気がするのは、男のおろかな幻想だろうか。


それとも・・・。

確信犯は、ずるく笑みを浮かべる。


今日はわざと『敦賀蓮』のときの香水をつけてきた。


カイン・ヒールのときとは明らかに別種の香り。

純粋な彼女のことだ。


蓮が、わざと香りをかえずにいることには気が付かず、ミステイクだと思うだろう。

ずるいおとこの思惑に、気が付くことはないはずだ。


(カインの近くに来るたび、おれのことを考えればいい。)


それは、彼を演技で翻弄した小悪魔へのささやかな仕返し。



(つるがさんだ・・・。)

腕を背中に回して抱擁を返してから、鼻腔に広がる香りがやけに動悸を激しくさせる。


今日は、午前中は別の仕事だったから、午後からの撮影に間に合うように急いだのだろう。カインとは香りが違う。



そのせいか、カインではなく、蓮に抱きしめられている気がする。



一瞬、彼の腕に力が入り、挨拶のはずの抱擁が違う何かを伝えている気がしてキョーコは身じろいだ。


『兄さん、おひるご飯は?』

セツカがいつものように兄の腕の中でたずねる。


実は、まだ、撮影所に行く時間までかなり余裕がある。なおかつ、カインの性格設定は、蓮とは正反対に時間にルーズだ。

『・・・。』

無言で、抱擁をとく兄に『あたし、おなかすいたよ。』と甘えてみる。

『何食いたい?』

そうね。と考えだしたセツカの指をするりと捕らえ、カインはしっかりと自分の指を絡ませた。


キョーコ自身は、人生で2回目の異性と手をつなぐ行為にパニックだったが、それに反してセツはうれしそうに自らも力をこめた。


一回目も、蓮扮するカインとだったが、そんな簡単に慣れるものではない。

免疫がないことはきちんと自覚している。


キョーコが感じているもやもやを、しかし、顔に出さないように努力していると、不意に蓮が・・・いやカインが少し身をかがめ、覗き込んでくる。


目が合った。


(あ・・・。)

からだが勝手に固まった。

(だめ!今はセツカなのに!!)

セツカならば、兄と目が合って固まるはずがない。

なのに、カインの表情が妙にセクシーで。


経験のないキョーコは、なぜ自分が固まったのか理解できなかったが、蓮は理解していた。


彼女の返事がないから、答えを促そうと目を覗き込んで。



揺れた瞳とぶつかり、セツカのものではない表情に魅入られ、とらわれた。




蓮は、自分が、まさかこんな人ごみの中で彼女にキスをしようとしたなんて信じられなかった。


(危なかった。)


偶然クラクションの音が響かなければ、確実に兄妹設定の範疇を超えた口付けをおくっていたなんて想像したこともなかった。


いままで、ほかの誰かにわれを忘れて人ごみでキスしようとしたことなんてない。

どこか、頭の隅がいつも冷静で。


からだを重ねていても、歴代の彼女たちの誰にも夢中で溺れた覚えがないのだ。

彼女たちの反応と、自分の反応をいつも計算していた。

(これが振られた理由か・・・。)


自分から、手をつなぐことすらなかった。望まれていたから、そうしていただけで。

自ら望んだことはなかった。

彼女たちに謝りたい。いまさらながらにそう思った。もう蓮には顔も思い出せないが。


いつもの蓮なら、理性を失った行動をするのが怖くて、このつないだ手を解いているだろう。


けれど、わがままにも離したくなくて、彼はそのまま歩き出した。

(食べたいものは彼女に選んでもらおう。)


自分が食べたいものを聞かれると、彼女と答えてしまいそうだから。




(ほんと心臓に悪い)

むしろ不整脈を患っているのではないかとキョーコは要らぬ心配をしていた。

思考があさってに向いているのは、いつものこと。

(そろそろ救○てやつかしら。あれ、高いのよねー。)

気を抜くと、さっきの瞬間を考えてしまうのだ。


キスをされそうだった。


懸命に気のせいだと言い聞かせているが。


キスをしてほしかった。


なんかいろいろ問題がある考えに行き着いている。

まず、こんな街中で。


相手は、尊敬する先輩で。

しかも有名人で。

設定は兄妹で。

彼はキョーコを子ども扱いしているし、明らかに対象外で。


(昔は王子様と、白い教会で結婚式でファーストキスをしたいなんて幻想を抱いていたって言うのに・・・。)


いま、頭にあることはとてもじゃないが口にできない。


本当にキスをされてしまったら、きっと、恥ずかしさといろいろで死んでしまう気がした。

手をつないでいるだけでも素の最上キョーコだったら確実に寿命を縮めている。


少しひやりとした彼の長い指が、自分のそれと恋人のようにつながって、しかも、前回は手袋越しだったが、今日はカインはよりにもよって手袋をはずしていて。

(手汗・・・ばれちゃう・・・。)


けれど、その手を離せないのだ。


きっと、敦賀蓮と最上キョーコだったらこんなことしていなくて。

きっと、今だけ。

いまだけの特別。


手をつなぐという行為はお互いがそれを許していなければできない。

どちらも、まだ、そのことに気が付かず、めいめいの思考にふけりながら店での食事を終え、撮影所に向かった。


そんな光景を、社長に目撃されているとは知らずにいたのは幸いだろう。







ペタしてね



えっと、素敵なお話を読みすぎて、イラストだけでは足りずついに自分の妄想も書きはじめてしまいました。

ラストは決めているのですが、仕事の都合でなかなか時間がとれずですが、ゆっくり書いていきます。