きざな台詞をあっさりと黙殺し、キョーコはこのとんでもない先輩を思わずしかりつけた。
「何してんですかぁぁぁ!!!」
キョーコは、眦をきっと吊り上げ、大声にならないために、息をひとつ吐く。
「あなたは!!!有名人って言う自覚はあるんですか!!!」
「だめ・・・だったかな?」
急にしゅんとしおれた美丈夫が、なぜカインのときに見えた捨てられた子犬のようにみえて、(絶対この人私がこの顔に弱いって知っている)と妙な確信をしながらも、近くにさりげなく止めてあった蓮の愛車に腕をつかんで引きずるように連れて行った。
「はやく乗ってください!!もう!!写真撮られたらどうするんですか!!!」
むしろ、それは蓮の望むところだとは知らないまま、キョーコは助手席に収まった。
くしゃくしゃとカインのときのしぐさで頭をなでられて、彼女の怒りは急速にしぼんでいく。
「今度、ゆっくりどこか行こうって約束しただろう?」
蓮の愛車は高速道路を順調に走っていた。
まさか、そんなことを言われるとは思わなかったキョーコは、その言葉が、”カイン"のときの約束だと思い至る。
予鈴がなるまえだったからよかったものの、蓮が現れたのがもし放課後だったりしたらショータローのときとは比較にならない騒ぎだっただろう。
顔が見えなくても、黙って立ってても目立つ自覚がないのだろうか。このせんぱいは。
キョーコは、横目で彼を盗み見る。
ただ、あの幼馴染は、校門の影にあんなふうにひっそりと隠れていたわけではないけれど。
キョーコは苦々しく思い出していた。
奴に、蓮には恋なんかしないと宣言したというのに・・・。
蓮の声が、彼女の過去の思い出にとらわれた意識を現実に戻す。
「突然思い立ったから、電話をしてはみたけど、どうやって呼び出そうか迷ってたんだ。」
だからちょうどよかったと微笑まれたら、キョーコはもう何も言えず、あいまいに言葉をにごす。
心臓に悪いから、そんなことを言ってほしくない。
そうは思っても、まさかの蓮の誘いに心が弾まないわけがなかった。
行き先は、どこがいいと聞かれて、キョーコは海がいいですと答えた。
なんとなくだったが、まだ肌寒い季節だ。
こんな目立つ人とふたりでいたって、たぶん、私じゃつりあわないし、誰も私には気が付かないし、スキャンダルにはならないだろう。
キョーコはそうは思っててはみたものの、万が一のことを考えた。
できたら騒ぎにはなりたくなかった。
海なら、きっと人目は少ない。
それと、キョーコは、昔、テレビで見た映画で、男と女が海をただ歩いているシーンがあって、とても綺麗で、せつない気持ちになったのをふと思い出したのだ。
そのシーンの後、ふたりは別れを選ぶ。
(タイトルなんだっけ・・。)
しばらくがんばったが、キョーコにはタイトルは思い出せなかった。
そうこうしながらも、比較的スムーズに車は目的地に着いた。
しかしその砂浜はキョーコの想像とは違った。
(い、意外と人がいる・・・。)
波間にサーフィンをしている黒い影がちらほら見える。
だからてっきり車から出ないのかと思ったら、蓮はさっさと車から降りて、キャップをかぶっていた。
190cm以上はあるというのに、そのスタイルのバランスのよさで、立ち姿ですら目立つなというほうが無理だというのに。
現に、近くを歩いていて、車に目を留めた男の人が、その隣に立つ蓮を見て目を見開いているのが窓ガラス越しに見えた。
それでも蓮に視線で促されてキョーコはしぶしぶ降りる。
風が少し強いため、寒い。
ふるりとからだがふるえる。
「自販機がある。何か飲もうか。」
蓮は缶コーヒー、キョーコはミルクティーを選び、それぞれその手に包みこみわずかながらの暖を取る。
蓮が車を止めた駐車場は、すこし高台になっており、コンクリートで木を模した柵がかこんでいた。
車から近いそのひとつにキョーコは駐車場向きに寄りかかる。
蓮は、その隣に立った。
ふわっと漂った蓮の香水に、その距離の近さを感じて、キョーコは戸惑う。
風上に蓮がいるおかげで風が和らいで感じられる。
彼女はそこまで思って、蓮が、わざと風上に立っていることに気が付いた。
何気ないそんなしぐさに大切にされていると勘違いしてしまいそうだ。
「さむいね。」
「はい。」
そういえば、とキョーコは頭に浮かんだ光景を記憶の隅から引っ張り出した。
小学生のころ、女性が男性に上着をかけられているのを見て、あこがれて、ショータローにねだったっけ。
ふと思い出して、隣を窺う。
(この人なら、何しても絵になるわね。)
あのころのショーには、ぜんぜん似合わなくてふたりして笑い転げた。
(――そんな日もあったのよね。)
気詰まりなはずの無言の時間が、ひどく居心地がよくて、黙って海を見ていた。
蓮も、無言で同じ方を見ている。
(同じ気持ちなのかも・・・。)
蓮ももしかしたらこの沈黙に居心地のよさを感じているのかもしれない。
彼女はそうだったらいいと心の中で願った。
波音だけが響いている。
ふわりと暖かいものがキョーコの肩を覆った。
くすりと笑みがもれる。
(この人なら、たぶん誰にでも自分のコートををかけそうだもの・・・。)
女の子に寒い思いはさせない気配りを、さらりとやってのける人だ。
ある程度、予想して心の準備を整えていたためキョーコはさほど動揺せずにいられた自分をほめた。
しかし、かかっていたのは蓮のコートだけではなかった。
仕立てのよい生地に包まれているうでがさらにキョーコを包んでいたのだ。
後ろから抱きしめられている。
予想をはるかに超えたあまりの状況に、どうしていいかわからなくなって、キョーコは考えることをやめた。
腕の拘束は強くない。
けれど、キョーコは逃げ出せなかった。
蓮は自分の行動に驚いているといっても過言ではなかった。
海のほうを見ている彼女の華奢な肩を、寒そうだと思った。
制服のまま拉致したため、短めのスカートから覗く足元も薄着にみえる。
腕が勝手に動いた。
気が付いたら、こんな状況なわけなのだが、言い訳して離れるにはキョーコの肩は冷え切っていた。
「・・・寒いかと思って・・・。」
「・・・はい・・・。」
蓮のつぶやきに小さく返事する彼女が、ひどくいとおしくて、かれは柔らかな髪にほほを寄せる。
どれだけの時間そうしていただろう。
互いの鼓動と、波音だけが聞こえる。
キョーコはゆっくり蓮を振り仰いだ。
蓮は、キョーコを見つめている。
まるで何かに引き寄せられるようにふたりはくちびるをかさねた。
あれ?ちゅーしちゃった。
こんなはずでは・・・。うちの蓮さんもきょーこさんも勝手に動いてる気がする・・・。
こんな展開ですみません