宿泊客に、敦賀蓮がいると、尚が知ったのは偶然だった。


見事に振られて帰ってきて、ふてくされていたところに、たまたま休憩室でおしゃべりをしていた古参の仲居さんたちの噂話が聞こえてきたのだ。


といっても、大きな声ではなかったが、鬼門としか思えない男の名前に尚がピクリと反応したのは仕方がないことだろう。



どうやら貴賓室にいるらしい。


障子越しに、盗み聞きのために、とても他人には見せられない格好で張り付いていたトップミュージシャンは、誰が見ても情けないことこの上なかったが、本人は必死である。


今ここにいるってことは、あの尚の幼馴染、キョーコがらみに違いない。


迷うことなんてなかった。


できれば、妨害したい。

というか、一発殴りたい。

むしろ、一言でもなんか言わなきゃ気がすまない。



決然たる面持ちで、貴賓室に向かおうと尚が中庭を突っ切っろうと靴を履いていると、なぜか、目の前に当の本人がいた。


「やあ。不破君。」

にっこりと笑うさわやかできらきらした笑顔に、蛇ににらまれたかえるみたいな気分になるのはなぜだろう。


「・・・っつ、てめぇ、なんでここに・・・。」


「部屋の窓から、おかしな格好で障子に張り付いてる君を見かけたもんだから声をかけようと思って。」


明らかに、表情は、知人にあえたとき浮かべる親しげな笑顔だが、背後に暗雲が垂れ込めているようにしか見えない。


「・・・じゃねぇだろ!!!てめぇ、あいつに逢いに来たのかよ!!!」


「そうだよ。」

あっさりうなづかれる。


「ま、ちょうどよかった。」

蓮は、目の前の恋敵に視線をすえた。


「・・・彼女をさらいに来たんだ。いま、実家にいるってことだけど、場所を知りたい。」


尚は、絶句した。

あまりに率直な言い方に、蓮の余裕のなさが垣間見られる。


「ま、君が答えなくても、ほかの人に聞くけどね。」


さあ、どうすると凄まれて、傷心中の尚が意地を張り続けれるわけもなく、しぶしぶ教えることに同意した。



キョーコも芸能人の端くれだ。

こんな目立つ男が、彼女の実家を探していると噂にでもなったら、面倒だろう。



「・・・なんで、あいつなんだよ・・・。」

ぽそりと漏れた本音に、蓮の端正な顔が尚を捕らえる。


「彼女を好きになるのに、理由がいるのか?」


尚は、律儀に答えられた蓮の台詞に、自分の子供じみた嫉妬心を抑えられなかった。


「俺だって、理由なんかねぇよ!・・・あいつはずっと、俺のもんだったんだ!」


彼女をもの扱いした、この幼馴染に、一瞬、怒りがこみ上げたが、尚のその瞬間の表情を見て、蓮はそれを押さえ込んだ。


「悲惨な顔だな。仮にも芸能人が、そんな顔してていいのか?」


ひどく情けない、泣いてしまいそうな。

置いてけぼりをされた犬みたいな。

「・・・るせえよ・・・。いんだよ。おれは、カリスマミュージシャンだからな。」


気分は最低だったが、必死に虚勢を張る。


「・・・うまれてはじめて、おれが守ってやるって誓った女なんだ。」


それは、幼いころの約束。



彼女が、はじめて不破の家に預けられたとき、弱弱しく、けれど必死に微笑もうとする彼女を見て、『いいか!泣くんじゃんねぇ!おれが守ってやるから!』と、約束した。



子供じみた約束をしたときのことは、彼女がずっとそばにいる間に、いつの間にか忘れていた。


縁側で、頭を下げる彼女を見て、記憶が鮮明によみがえったのだ。


「おれが、傷つけた・・・。わかってんだよ!」


何をしてもそばにいるのが当たり前で、はいはいと何でも言うことを聞くから、いつの間にか、少しうっとうしくなった。


幼いころは、よく喧嘩もしたが、成長するにつれ、彼女は尚の前で口答えをしなくなり、笑顔しか見せない。


その様はまるで、よくできた家政婦みたいだった。


尚に女の影が絶えなくても、なにも言わない。


やきもちを焼くそぶりもない。


いつも、笑っていたから、それだけの女だと思っていた。



誰でも、言いなりの人間を対等には扱えない。


いまなら、嫌われたくない一心でだった。というのが理解できるが、たかが中学生のガキのころにそんなことは理解できなかった。


理解できたからといって、もう、過去はどうしようもない。


「・・・あいつは、初めて自分で夢を見つけたって言った。」


まっすぐな瞳を、綺麗だと思った。

(こいつをすきだって言った。)


一緒に育った、大事な大事な幼馴染。




「・・・・泣かせてみろ・・・。てめぇのそのお綺麗な面、原型とどめねぇくらいぼこぼこにしてやる!!!」



「・・・泣かせない。」

おなじくらいまっすぐな目をした、この男に、尚は素直に負けを認めた。




だからといって、これ以上塩は送らない。


今回で最後だ。



彼女の隣という、居心地のいい場所をいつまでも渡したままにはしておかない。

いつか、とりもどしてやる。


尚は、決意をこめ、むかつくことに、見上げねばならない恋敵に不適に笑って見せた。




塩は送らないと決めていたのに、ついつい、不破家御用達の花屋なぞを教えてしまっていたのは、不覚だった。と後に尚は反省する。


そこで、ありったけの赤い薔薇をかき集めたらしい。


あの男、やることが、いちいち日本人ぽくない。と尚は、ひざまずいて薔薇を差し出している蓮と、頬を染めているキョーコをつい思い浮かべてしまい、あわててその想像を振り払った。


また、そんな様が似合いそうなのもむかつく。


尚は妄想と否定を繰り返し、夜は無駄に更けて行った。







それは、翌朝だった。

尚は、朝から祥子さんの電話にたたき起こされ、機嫌が悪かった。



昨夜の雨の名残か、庭木の枝先にきらきらと光るしずくを無駄に指先ではじいて歩いていた尚は、無駄に絵になる雰囲気で鯉にえさを投げている一番逢いたくない男を見つけた。


見ると、どうも、上の空である。


気が付かれないうちに立ち去ろうとしたが、思いきり目が合ってしまい『ゲッ。』と、内心毒づく。


「おはよう。不破君。」


にっこりと笑うその姿に、やはり不穏なものを感じて、尚は後ずさった。


「オハヨウゴザイマス。」

挨拶をされたらきちんと返さなければならないと厳しくしつけられた我が身が憎い。



よいしょと、おもむろに立ち上がり、蓮が、あくまで優雅に尚の近くによって来た。

近寄る笑顔が怖い。



「今日、彼女を連れて帰るよ。いろいろとありがとう。」

蓮の発言は、どう好意的に見てもただの牽制だった。



「なんで、いちいちそんなこと言うんだよ。好きにしろよ。」

言い捨てては見たが、やはり、昨日、どうなったかが気になった。

このまま、無駄に想像力を酷使するより、いっそ、聞いてしまったほうがいいのではないか。


すこし、自棄になった頭で、尚は考えた。


て、いうか、牽制なんてしている時点で余裕なんてないってことで。



もしかして、なにかへまでもしたのだろうか。

だったら、ざまーみろ!とほくそ笑みかけたが、どっちにしろ、蓮もキョーコもお互いを好きだということには変わりない。



「・・・すこし、迷ってたんだけど、君の顔を見たら吹っ切れたよ。」


ありがとう。と、言われた尚は、鳩が豆鉄砲くらったような気持ちだった。


何ゆえ、礼を言われねばならないのか。

尚はおもむろに背中を向けた長身の男を間抜けな顔でただみつめていた。



「なりふり構ってられないからね。」


顔に、手をやってるようだ。



「君みたいな馬の骨は、徹底的に排除したいけど、・・・よりにもよって彼女の幼馴染だし。」



次は、頭に。


「君の、あのときの牽制に対するお返し。」



そのときの驚きは、たぶん一生忘れないだろう。



「誰かに話したら、君の息の根を止めるいいチャンスだと思うよ?」



ばさりと、蓮の髪の毛が取れた。



その後に現れたのは、それは、日本人が染めた・・・にしては、生まれつきのような金色の髪。


そのまま、髪の毛の塊を尚のほうに投げやると、にやりと片目を瞑り「あずかっといて。」とつたえ、男はそのまま駆け出した。




瞳の色は、たぶん、茶色ではなかった。




へたり込むように、いまだぬれていた地面に座り込んだ不破 松太郎。17歳。


彼は、母親に発見されるまで、カツラを片手にそのままの姿勢で固まっていた。






                                                    おわり。




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果たして需要があるのか番外編。


はい。ただの自己満足です。