彼女、最上キョーコは少し切りそろえたばかりの髪を掻き揚げた。


風が少し強い。

(このぶんだと、桜も散っちゃいそう・・・。)

きれいに満開となっている桜並木の坂を登りきったところに、通っていた学校の正門がある。


校舎も今日はいつもと違う趣を感じる気がして、彼女の唇はいつの間にか笑みを浮かべていた。




今日が高校の卒業式だった。

編入したときよりずいぶん仕事が忙しくなったが、彼女は何とか時間を見つけて通い、補習を受け、ギリギリ3年で卒業できた。

芸能クラスで、トップの成績の彼女は答辞を読むことになっている。


昨日の卒業式のリハーサルには事情があり参加できなかったが、何とかなるだろう。



教室に入ると、珍しく、ほぼクラス全員がそろっているようだ。



キョーコはそっと自分の席に着いた。

今日ですべてが変わる。

その証拠に・・・。





目の前の人影に、キョーコは物思いを中断した。

見上げると長い黒髪。




七倉美森が目の前にいた。

いつものように、キョーコにちょっかいをかけに来たらしい。

3年間、逢うたびに厭味を言いにくるのも変わらない光景だった。


「よかったわぁ。もう、あなたと学校で会うのも最後で。」

「そうね。」

さらりと肩をすくめるキョーコに、いらいらしたように美森は唇をかんだ。

厭味を言っているというのに、いつもこんなふうに、受け流されてしまう。

それでも、何か言わなければと、静かに見あげるキョーコの姿をにらむ様に見つめた。



ふいに、美森が、何かに気が付いたようにキョーコを見つめたまま目を見開く。




キョーコは、彼女の視線の先にあるものに目線を落とす。

今日、すでに何人かが”これ”の存在に気が付いていた。


問い詰められる、ということこそなかったものの、さりげなく探りを入れられたりして、人って妙に他人のことを気にしてるんだなぁと、妙な感想を抱いていたりもする。



「・・・あなた、それって・・・。」


美森が声をだした瞬間、予鈴が鳴り、担任が入ってくるのが見え、しぶしぶ彼女は席に戻っていった。







そっと来賓席を伺ったキョーコは、つめていた息を吐いた。

(よかった・・・。)



社長が来賓としてくるというのを、事務所の全員で阻止したのは記憶に新しい。


来るならおとなしく。と条件をつけた。

よくわからない民族衣装をきらびやかに身に着けた、ど派手な壮年の紳士は、やたら無駄に注目を浴びていたが今のところは静かだ。

お付きの人間も一人だけである。


だるまやの大将と女将さんの姿も見えた。


そして・・・。


(・・・おかあさん・・・)



まさか来るとは思っていなかった人物の姿まで見つけ、キョーコはぐっと胸に迫るものを感じ、慌てて式に集中した。



先日再開したばかりの母子の間には、いまだわだかまりが残っている。

それを消すには、一生かかるような気がするが、キョーコは、それでも、これからだと確信があった。






プログラムは順調に進んでいき、キョーコの答辞の順になった。

(あ・・・だめだっ・・・!!)

壇上に上がるまでは冷静だったが、原稿を読んでいる間、観衆に目をやり、大切な人たちの顔を思い浮かべると、たくさんの想いがあふれて思わず涙声になる。


本当にいろいろあったのだ。

まるで、怒涛のように。


最後まで冷静でいようと勤めたが、こらえきれなくなりそうだった。

途切れた言葉に、続きを忘れてしまいそうになり、焦って原稿を視線でさぐる。



カツン。



原稿をめくっていた指が台に当たり、硬質な音を立てた。

それは、壇上のキョーコにしか聞こえなかったが、彼女が冷静さを取り戻すには充分な音で。



そうして、最後まで、きちんと原稿を読み上げられたことに安堵する。



この式のあと、内輪での卒業パーティが社長宅で準備されていることを思い出した彼女は壇上を去る前に唇に微笑を刻み、一礼した。

その微笑が、数人の男性の心を動かしたことなど、彼女は気が付くことはなく、そのまま、式は滞りなく終わった。







キョーコは、最後のホームルームの後、別れを惜しんでいるクラスメイトに挨拶をすると、帰り支度を始め、社長が手配した迎えがいるはずの正門へ向かう。


彼女の母は、短い挨拶の後、あわただしく仕事に戻り、だるまやの大将たちも料理の仕込みに戻っていった。

社長も、今夜の予定をキョーコに確認し、静かに去った。


彼女はひとりで目の前に咲き誇る桜をぼんやりと眺めながら歩いていた。

芸能界入りしてから3年と少し。

その間に自分の人生が大きく変わったのだ。

あのころはまさか自分が、こんな風になっているなんて想像だにしなかったし、もし、予言されたとしても一笑に付しただろう。






彼女の耳に黄色い歓声が聞こえたのは、キョーコが正門まで半分ほど進んだときのことだった。



「・・・げ・・・。」


校門の先の満開の桜に見とれていた彼女は、すっかり油断していて、それが目の前にくるまで気が付かなかったため、盛大に顔を引きつらせた。



そこにいたのは、憎むべき幼馴染の姿。




巨大な花束を抱えている。

まるで、いつぞやのときみたいな。



嫌な思い出を回想してしまいキョーコのテンションは一気に下がっていく。



噂、というのは怖いもので、芸能クラスを抱えているため、普段から芸能人を見慣れているはずなのに、学校中が騒ぎ出すのにそう時間はかからなかった。



「・・・よう。祝いにきてやったぞ。」

感謝しろといわんばかりの顔が、どうしようもなくむかついてキョーコは彼をにらみつけた。


「相変わらずね。別に呼んでないんだけど、どうしてここに来たのよ?」


「ああ?」


片方の眉を上げるそのしぐさは嫌というほど見覚えがある。

なにしろ幼馴染なのだ。

「どうせ、お前の卒業を祝ってくれる奴なんてすくねぇだろうからわざわざ来てやったんだよ!」

変わらない、あまりに彼らしい言い方に、キョーコは逆に毒気を抜かれ、つぶやいた。



「素直に、お祝いに来たと言えばいいのに。」




視界の端に、長い黒髪が見えた。

尚の元に一目散にかけてきたのは、美森だ。


「ショーちゃん、美森のお祝いに来てくれたんでしょう?」

腕にすがり、うれしいと浮かべた笑みは、しかしとげとげしさをはらみ、キョーコをにらみつけているようだった。


「この花束、美森に?」

「ちげーよ!これは、こいつにだなぁ・・・それ、あれだ、誰も祝ってやる奴とかいねぇだろうからよ。」


それを聞いたとたん、ぐじぐじと泣き出した少女に、尚が気を取られている間にキョーコはさっさと歩き出した。





「おい!まてよ!」

すり抜けようとした背中にようやく気が付いた尚がキョーコの腕をつかんだ。



ただでさえ、三角関係のもつれみたいな構図。

四方八方からの興味津々の目線が突き刺さるというのに、これ以上ややこしくする気かと、腹を立てたキョーコがその手を振り払おうとしたときだった。





「・・・・あ・・・。」

キョーコはちいさく声をあげた。

その声に、尚も彼女の視線をたどる。



いままで、成り行きを見守っていたギャラリーから、尚が現れたときよりも、更に何倍もの悲鳴があがった。




”彼”は、キョーコだけを見つめ、その元へと近づいてくる。


キョーコが誰より尊敬する俳優”敦賀 蓮”。

尚が誰より嫌いな男だった。




「・・・迎えに来たよ。」





尚は、舌打ちをした。

キョーコの注意はすっかりあのいけ好かない俳優に向かっていたからだ。

その男は、手ぶらでただ歩いているだけなのに、巨大な花束を持った自分の存在のほうがかすんでしまっていた。

(む、むかつくヤローだ・・・。)

どうやら、尚にすがっている美森までもが、彼に見とれているようで、ますます苛立ちが募る。




そして、彼女の注意を引こうと、先ほど捕らえたままの彼女の左腕を、自分のほうへ引き寄せようとして、薬指にある細い銀の輝きに気が付く。




シンプルなそれは、妙に尚の神経を逆撫でするものだった。




「・・・んっだよ!!これは!!!」


ぐいっと彼女の手首を引き寄せる。

そして、その、幼馴染の左手薬指にはめられた、意味深な指輪をしっかり見ようとした尚は、しかし、そうすることは出来なかった。


彼女を引き寄せようとした手を、蓮につかまれていたからだ。

尚は、思わず、己の腕にかけられた蓮の左手を凝視した。






その薬指にも、銀色に光る指輪がある。







尚の指から力が抜けた。

思考が混乱して、絶句するしかない。



その隙に、キョーコは蓮の腕に奪われていた。



そして、唖然とする尚をはじめとしたギャラリーのまえで、なぜか、眉をしかめてキョーコが蓮に説教を始めた。


「騒ぎになるから、こないでって言いましたよね?」

「・・・ごめんね?」



しかも、蓮の腕の中で。



「・・・おい・・・。」

地を這うような尚の声は、しかしふたりには届かない。


「でも、式には出ないって約束は守ったから、許して?」

「・・・もう!そんな顔したら私が怒れないって知ってて言ってるんですか?!」


首をかしげる男に、腕に閉じ込められたままで、怒りながらも頬を染める女。


それを般若のような顔でにらみつける男と、その腕につかまったまま、ぽかんと口を開けている少女という4人の組み合わせは、かなり異様な光景である。



そんな光景に、観客は増える一方で、まったく減る気配を見せない。

それもそうだろう。

有名人が4人。

目の前で、ドラマかと思うようなシーンが展開されているのだから。


「・・・こら、おまえら・・・。」


何度か声をかけるが、ふたりはお互いに夢中で喧嘩には見えない口論を繰り広げている。



「おい!!」


ようやくふたりが彼を見て、しまったとでも言うように顔を見合わせた。



「てめぇ、こら!!いい加減キョーコを放せ!!ここがどこだかわかってんのかよ!」

尚が大声でわめく。

「おまえら、仮にも芸能人だろうが!!!」




蓮は、無視していたギャラリーの存在を思い出したかのように、渋々、腕の中からキョーコを放すと彼女を見た。

キョーコがうなづく。



ゆっくりと、そのままキョーコが尚に近づいてくるのを・・・その、茶色の柔らかい髪が、風に乱されてなびいているのを、尚は何も言えなくなって、ただ、見ていた。



なんだか、本当に知らない女みたいだった。

彼の、よく知った幼馴染のはずなのに。




「・・・それ、あたしにって言ったでしょう?」

手を差し出され、一瞬何のことかわからなかった尚は手の中の巨大な花束をみる。

彼女好みのピンクと白で統一されたそれはずしりと重い。

これを彼女に差し出して、好きだと伝えよう。


さっきまでそう意気込んでいたのだ。





―――敦賀蓮が、現れるまでは。





再び催促されて、尚は無意識に悟っていた。

これを渡しても、彼女はもう自分の元にはこない。



無言で渡した花束を、彼女は、いつものような悪態をつくことはなく、受け取る。



「ありがとう。・・・ショーちゃん。」


昔みたいに呼ばれた名前は、尚の耳にはどこか決別の言葉に聞こえた。


かける言葉が見つかりそうもなくて押し黙った尚を、キョーコは穏やかな瞳でみつめた。

明日、マスコミに発表予定だと前置きして、彼女はちらりと蓮を伺う。


彼女がどう言うべきか逡巡したのは一瞬。



「・・・あたし、結婚したの。昨日、あの人と。」



尚にしか聞こえないくらいの声で、伝えられた台詞は、尚の頭を更にフリーズさせるには充分な威力で。


「だから、この花束は、卒業と、結婚祝いとして受けとっておく。」


幸せそうに微笑むその表情は、尚が、これまで見たこともないほど美しく。

その瞬間に強く吹いた風が、桜の花びらを舞い上げて彼女の微笑を彩っていく。



「あんたには、やっぱり直接言いたかったから・・・来てくれてよかったわ。」



蓮がおもむろに彼女に並んだ。

するりと、当然のように互いの指を絡ませるふたりを、尚は固まったままで視界にとらえた。


「・・・じゃあね。ショーちゃん。」



そのまま、立ち去る凛とした幼馴染の背中が遠ざかっていくのが、徐々に滲み始める。


それは、桜吹雪が彼らのうしろすがたを覆いつくしているからだと言い訳して、尚はずっと見送っていた。






「・・・いいの?」

蓮が駐車場までの桜並木を歩きつつ、彼女の腕から重い花束を受け取る。

その重さが、彼の思いを表している気がして、思わず聞いていた。


「私が”よくない”って言ったら、どうするんですか?」

いたずらっぽい声で問われる。


「それでも、もう、この手は離す気はないよ。」

「わたしも・・・ですよ。」



彼女にとって、あの彼がずっと特別だったことは知っていた。

実は彼への憎しみをまだ昇華し切れていないことも。


初恋は、尾を引く。


『折り合いをつけたんです。』

1年前、彼の告白を受けた彼女が、そういって笑ったことを蓮は思い出した。


キョーコもまた、物思いにふける。


裏切られて傷ついてひび割れた心は、いびつな形のまま残っている。

けれど。

『あなたへの気持ちは、私を強くしてくれました。』

弱くなるのが嫌で、もう傷つきたくなくて逃げ回っていたけれど。

どんなに逃げようとしても、隠そうとしても、育っていった想い。


彼に想いを告げられて、もう逃げることは出来ないと悟った日のことは鮮明に覚えている。





『あいつがいたから・・・敦賀さんと会えたんですよね・・・。』

憎しみのままで、曇っていたら見えなかった事実だと、彼女は自嘲した。


そのことに気が付いたとき、彼女の中の傷は少し形を変えたのだ、と。


『・・・いま思うと、必然・・・だったのかなって・・・』

照れたように、蓮の手をとった彼女はとてもきれいで。



(・・・そのまま、ベッドに直行したんだった。)

蓮は余計なことまで思い出して慌てて頭を振った。

今すぐ彼女が欲しいが、そういうわけには行かない。

今夜のパーティは、高校とラブミー部の卒業も兼ねている。


そして、彼らの結婚の報告会もだ。


昨日結婚したことは、事務所では社長と互いのマネージャーしか知らない。

この1年というもの、付き合っていたことすら、ずっと秘密にしていたのだ。

苦労したが、社長の協力もあり、何とか隠し通した。


なぜなら、彼女は高校生だったし、彼にはややこしい家庭の事情が立ちふさがっていたからだが、卒業を機に、互いの親にも社長にもようやく許可を得れた。


結婚があわただしく卒業式の前日になってしまったのは、蓮の親のスケジュールのせいだったが。




蓮は、自分の妻となった彼女を見下ろし、これから、幸せにするともう一度言おうとして、思い直した。

しあわせに”する”んじゃなくて、ふたりでしあわせを作り上げるほうがいい。





だから、かわりにとろけるような笑みを送った。


「あいしてるよ・・・奥さま。」

「わたしもですよ・・・だんなさま。」


どちらからともなく目を伏せ、舞い散る桜の花びらの下で彼らはそっとキスをした。







その瞬間のふたりの写真が電撃結婚の見出しと共に週刊誌をにぎわせたのは、また、別のお話。




                                         おわり。









ペタしてね



・・・・・・・・・メロキュンにいまいちなってないような気がしてきました・・・。

お許しいただけるでしょうか・・・?。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。



ただでさえ低い文章能力が著しく低下しております。