あなたに覚悟はある?


それがYES.ならきっと―――。
















信じられないことに、社長宅で和やかに過ごした後、キョーコは、女同士お話しましょ。とジュリエラに誘われた。


能天気に、受け入れられた・・・なんてキョーコは思ってはいなかった。



嫁姑戦争(厳密には違うが)が勃発しないはずがない。

実際、松太郎の実家の泊り客で、嫁と姑が一緒に旅行に来たりすると、裏で仲居にお互いの嫌味か悪口ばかり言っていて、いたたまれないことが多かった。


この、人外の美しさを誇る人が時折放つ、負の感情を感じ取り、怨キョが騒ぎ出している。



「さて・・・と、ミス・キョーコ。どこにいきましょうか?」

笑顔の、その目の奥が笑っていない。


「中庭なんてどうかしらね?」

「そうですね・・・ミセス・ヒズリ。」



そして、綺麗に手入れをされた花が咲き誇る庭を並んで歩く。


無言の時間が気詰まりなのは、同じなのだろう。

ジュリの丁寧に引かれた口紅の奥で、ため息が漏れた。




「・・・思いつかないからやめたわ。」



突然の女王の宣言に、キョーコは思わず立ち止まる。

恋人と同じ色の瞳がキョーコを射抜く。



「意地悪しようと思ったんだけどね。はっきり言えば。」



キョーコは、あまりの率直さに瞬きしか出来なかった。

返せた答えといえばため息と大差ない間抜けなもの。



「思いつかない以上、素直にあきらめるわ。意地悪な義理の母になってみたかったのに!」

美人はよくわからないことで怒っても美人だとキョーコは変なところで感心した。


「え、えーと・・・それは残念でした・・・?」

困惑したキョーコをジュリは見つめる。

この子についての話なら、夫であるクーから散々聞いた。

彼女の作品も初期のものからすべて見た。

それでも・・・・。





一度壊れてしまった大切な息子を託すことが出来るのかどうか、ただ、知りたかった。





こっそりと、日本に戻る前日に、2年も米国にいたというのに初めて逢いに来た”久遠”は、つよい瞳で、大切な人を捕まえに行く予定だといった。

『成功した・・・とはまだ言えませんが・・・。それでも、父さんと母さんに会いに来る勇気が、ようやく、もてました。』


そう言った久遠は、もう、彼らの知るちっちゃな男の子ではなかった。

そして、傷ついて暗い瞳をした、家を出る前のぼろぼろの彼でもなかった。





それは、異国で、ひとり戦い、己の実力でのし上がってきたひとりの男だった。




クーからもらった大切な指輪を渡したのは、そんな彼がすこしでも幸せに近づけますようにとの願いをこめて。


そして、あの報道を見た。

最初にそれを見たのはクーで。

大慌てで呼ばれた先で、ジュリもその場面に釘付けとなった。


まっすぐ、彼女に歩いて行く足取りに迷いはなく。

閉鎖的で、恋愛はタブー視されることもあるという日本の芸能界で、どういう受け止められ方をするかもわからないというのに、恐れるものなどないというように、すっと伸びた背筋が、画面の中にある。


その姿は誇り高く、しなやかで。

誰もが、その目を奪われているようだった。




そして、その瞬間の彼女の表情を優秀なカメラマンがきちんと捉えていた。


泣きそうに瞳が潤んだが、次の瞬間、それを美しい笑みに切り替え、彼の腕に舞い降りた、その姿を。



あいにく、彼女の唇が発した言葉はわからなかったが、抱き合うふたりは幸せそうで。



もしかしたら、自分はすでにそれで納得していたのかもしれない。

ジュリは思う。



次の瞬間にはいても立ってもいられず、ふたりとも仕事をキャンセルし、そのまま自家用ジェットに飛び乗った。

愛する息子の一大事に駆けつけられない事態は、もう二度と避けたかったから。



たとえ、いまだ、親子であるということを公には出来なくても。






ふいにキョーコの携帯が鳴った。

彼女が眉をひそめるのを、ジュリは目ざとく見つける。


ちょうど、ふたりが中庭から室内に入ろうとしていたときだった。


「キョーコ・・・?・・・でないの?」

「・・・・・はい。」


そのまま、電源を落とした彼女に不穏なものを感じ、ジュリは息子の恋人を見た。


「誰からって聞いても差し支えないかしら?」


「・・・ふるい・・・知り合いです・・・。」


それ以上、彼女は口を開かず、ジュリも何も聞かなかった。

瞳に浮かぶわずかなかげりが、誰かがそれ以上踏み込むことを許していなかったから。





「・・・事情はは知らないけれどひとつだけ、助言できるわ。キョーコ。」

テラスのガラスドアを開ける前に、ジュリがおもむろに口を開いた。


「傷口は、上手にかさぶたをはがしていかないと、跡が残るわ。」

はっと、顔を上げたキョーコにやさしく微笑む。

「そして、見てみぬフリをしている傷跡は、いつまでもうずくものよ。」

深い深い青色の瞳に、理解の光が浮かんだと思うのは気のせいだっただろうか。



「ねぇ、キョーコ。覚悟は、ある?」

唐突にかわった話題に戸惑う。

戸惑ったのは、何を聞かれたのかわからなかったからではない。




何を聞かれたのかわかったからだ。





”久遠”と、生きていく『覚悟』があるかということ。



そばにいたいと思った。

並んで立ちたいと。

彼につりあう人間になりたいと。


そう願い、ひたすら自分を磨いた。



しかしそれは、『望み』でしかないと気づく。




これが、スタートラインで。


ここから始まるのだ。



覚悟が出来たと口にするのは簡単。


けれど・・・。


「・・・覚悟は・・・まだ、出来ていません・・・。」

キョーコは正直に答えた。


なにしろ、昨日の今日だ。


まるで、運命の渦に巻き込まれているようで。

その波に流されてここにいるも同然だった。


一緒にいたいと思うことだけではきっと足りない。



「・・・できている・・・とは答えないのね?」

そう言うほうが、簡単なのは、お互いわかっている。

「・・・今、そう言っても、口先だけかもしれないと思われるでしょう?」


キョーコは迷いながら言葉を探す。

「私に出来るのは、あの人に並び立ちたいと願うことでした・・・。」

何度も何度も押し殺した想い。


けれど、育ってしまって、制御すら出来なくなった。

彼が、そばにいてくれるなら何をしてもいいと思った。




運命に逆らっても。




彼女自身、その感情に折り合いをつけられたのは、最近になってからで、その思いが冷めたわけでもなく、むしろずっと強くなり、心の奥に住み着いている。



自分でもその感情の強さに怯みそうになるくらいだ。


「これからも、そうでありたい。」




凛としてまっすぐな瞳。

そこに、息子と同じ光を見つけて、ジュリは微笑んだ。


「じゃ、そうでありなさい。そうしたら、わたし、あなたを認めるわ。・・・女として。」



挑発的に吊り上げた唇で、彼女が正確に、このわかりにくいであろう賛辞を受け取ったのがわかった。


世界の女王と評される、ジュリエナ・ヒズリに、たとえ未来形であろうと”認める”といわせることがどれほどの価値があるか。


そして、それに臆することのない強さを併せ持っている。


(・・・惹かれるはずね・・・あの子が・・・。)



整ってはいても平凡といわれている彼女の顔立ちが、一気に花開く様を目の当たりにして、ジュリは心地よい戦慄を覚えた。


(この子は、歳を経れば経るほど輝くタイプだわ・・・。)

皮一枚の美しさしかない人間ではない。



自分の息子に備わった選美眼に、思わず、神に感謝をささげた。

顔だけの女なんてうんざりしている。

そんな女なら履いて捨てるほどいるが、彼女は違う。

それがわかっただけでも、日本に飛んで来た甲斐があるというもの。



(・・・久遠もがんばらないと、あっという間に彼女がどこかの誰かに攫われるかもね・・・。)

どおりで、慌ててるように見えたはずだとジュリはひとりごちた。

あの、マスコミを通じての牽制も理解できる。

うかうかしていられない。

余所見なんかしていたら、目の肥えた男たちが彼女をきっと奪ってしまうから。





(がんばりなさい。久遠・・・)

そうして、心からのエールを送ると彼女は夫の待つリビングへ戻って行った。







キョーコは、ジュリと別れた後、電源を入れ、携帯に耳を当てた。

留守電には、聞きなれていた幼馴染の声。


どうして、怒っているような口調なのかわからず、戸惑う。

そして、少し前に、たぶん酔っ払ったその幼馴染が電話越しに告白めいた台詞をはいたことを思い出した。


そのときは完全に酔っ払いだと思っていた。



だから、適当にあしらったが、なぜ、今、そんなことを思い出したかはわからない。

『明日、ちょっと時間をよこせ。話がある。』


待ち合わせの場所と時間を事務的に伝える声が、やけに真剣で。

キョーコはしばらく携帯を耳に当てたまま、立ち尽くしていた。






そうして、自分のなすべきことを考える。



嵐のような運命は、すぐ其処まで来ていた。







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