お待たせしました。パラレル続きです。
ウッカリ始まったこのお話。どうぞよろしくお願いします。


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「・・・そうか・・・。まだ諦めていなかったか・・・。」
小さくつぶやく声は、やるせなさに満ちていた。

傍に控えた忠臣は、眉ひとつ動かさず自分の報告に沈んだ面持を見せる主人に目をやる。
「どうするべきなんだろうな・・・。」
応えはない。
主人の問いかけはただの自問だと知っているからだ。

「・・・まったく辛い立場だな。王というのは。」

いくつか王は側近に指示を出し、執務席の気に入りの椅子に深く沈んだ。


食材を調達しに街道を町のほうへ移動していた時だった。
見たことのない紋章を付けた馬車とすれ違いざまに、泥水をかけられ、キョーコは自分のドロドロになったズボンの左半分ををどうしようもなく眺めた。
今着ているのは最初に手に入れた男物の服で、丈夫で実用的なため、色々な、女性らしい服を手に入れた今でもよく着ていたのだ。
一番のお気に入りではないとはいえ、洗濯したてなのでショックだった。

今が暖かい時期で、天気も悪くなくて直ぐ乾きそうだが、腹立たしいことこの上ない。
自分の運の悪さに舌打ちする。
「もう・・・!」
思わずついた悪態が聞こえるはずもなかったが、その泥をかけた張本人の馬車が道の真ん中で急停止した。
ぎょっとしてキョーコは目を見開く。
お仕着せを着た従者が御者台から降りると、馬車の扉に据え付けの踏み段をかけた。
すぐにドアが開かれ上品な紳士が降りてくる。

紳士はまっすぐにキョーコに向かってくると彼女の前に立った。
「ああ、済まない。こんなに汚してしまった。」
そう言うとハンカチを差し出されキョーコは戸惑った。
「結構です。大丈夫ですから。」
遠慮する彼女になおもハンカチを差し出して、その紳士は目を細めた。
「済まない。女性だったか・・・。すれ違った時は少年かと思っていたのだが。」
「こんな服装をしているので、よく間違われます。」
微笑んだ彼女につられて笑みを浮かべた紳士は、淑女にするように優雅に一礼した。
「そうとわかれば、益々申し訳ないことをした。うら若き女性に泥跳ねを作るとは、急いでいたこととはいえ、許してほしい。」
おそらく高位の貴族と思われるが、その貴族が頭を下げることにキョーコは驚いてしまい、顎が落ちるに任せた。
王は別として、騎士見習いになってから何度か見かけた貴族は、やたら偉そうにふんぞり返っていて苦手だったのだ。

(こんな貴族もいるのね・・・。)
そしてその紳士は、さらにハンカチを差し出す。
着ている泥だらけの服より高そうなハンカチに、キョーコは慌てて手を振った。
受け取るわけにはいかない。
しかし、その紳士はなおも言いつのる。
「女性が、遠慮をしてはいけない。こういう時は素直に受け取りたまえ。」
尊大な言い方だが、声音は温かみに満ちていて柔らかい。
さぞかし、名のある貴族に違いない。
服装はシンプルだが上品で、一目で高級品だとわかる仕立てだった。生まれたときから贅沢品に囲まれていて、それを意識したことのない人間特有の優雅さがしぐさに垣間見える。
ハンカチを受け取ったキョーコは礼を言った。

「君は・・・騎士なのかな・・・?」
首をひねる紳士に、キョーコは姿勢を正すと所属と名を告げた。

「そうか・・・あとで必ず、このお詫びはさせてもらうよ。だが、すまない。今は約束の時間があってね。」
もう行かなければと、紳士は軽く帽子のつばを上げた。

そういえば、名を聞かなかったなと思いついたのは、すでに彼が立ち去った後だった。


馬車の紋章は覚えている。
金の狼と百合。
どこかで見たことがあるがどうしても思い出せなかった。
あとで誰かに聞こうと決心して、キョーコはどろどろの服を見下ろした。
下宿先をを出たばかりで良かった。これなら、着替えに戻っても時間的には余裕がある。
彼女は踵を返した。


レンは、落ちた筋肉を戻すためにしていた基礎訓練を切り上げた。
そろそろ、彼女が食事を持って来る時間だ。
医師から言われた安静の指示を忠実に守らせようとしているキョーコが、今のレンの訓練状況を見たら眉を吊り上げるだろう。
怒った彼女もかわいいため、ちょっと見たくもあったが、今はおとなしい彼女の患者の役をして献身的な世話を受ける機会を楽しんでいた。

実はキョーコに思わせているよりはかなり動けるようになってきた。
まぁ、ばれたらそれなりに怒られるかもしれないが。
熱は下がり、傷口の無残な様子もましになって、ピンク色の綺麗な肉芽が盛ってきている。
引き攣れた感じで動かしにくい感じと醜い傷跡は残るだろうが、鍛錬をつづければ問題なく戦えるようになるだろう。

ひとつ息を吐く。

最近、よく昔の夢を見る。
暗い闇に満ちた、見慣れた悪夢ではない、やさしい夢だ。

あの時から後悔が常にこの胸を覆っていた。
逃げた自分。
向き合えなかった自分をいつも責めていた。

あのままその場所に居たら、きっと自分は、死の女神の腕に自らその身をささげただろう。

『そいつは無駄死にってことか?』

レンをその闇から引き揚げようと手を差し伸べたのは、国王だった。
今や忠誠をささげる主のそのセリフは、ひどくレンを責めたてるとともに、ある意味、支えとなった。

その時から、彼の死を無駄としないために生きていた。

騎士になったのは、それが彼、親友であったリックの夢だったから。

レンが生まれ育った場所から半ば強引に国王によって連れ去られて、しばらくたったころだった。
騎士になるというレンの決意を聞いた国王はただ頷いた。
何も言わず。
最低限の生活基盤を与える以外、力を貸すことも、特別扱いもなく、レンはただの見習いから始め、騎士団で現在の地位を得た。
自分は贖罪とともにずっと生きるのだと思っていた。

・・・彼女に出会い、惹かれるまでは。

真っ直ぐな瞳が、レンを見返した瞬間、囚われたも同然だった。
そして、自覚した途端、抵抗なんてする余地もなくまっさかさまに彼女に落ちた。

まさか自分の身にそんなことが起きるとは思ってもみなかった。


彼女は見習いとして国王からその身を預かったのだ。
彼女はまだ若い。
彼女は裏切られた心の傷が癒えていない。
彼女は、己を偽っている男にはふさわしくない。

そうやってたくさんの枷をつけようとしているのに、彼女の姿を見るたびに揺らぐ。
心が勝手に彼女へと向かう。

いままで、それなりに女性と付き合っていた。きちんと恋をしていた。
ずっとそう思っていたのに、こんな激しい感情が自分の中にあるなんて知らなかったのだから笑える。


無邪気でいられた子供時代から、両親のこと。
楽しかったころの優しい思い出たち。
そのころのことを、悪夢の代わりに時々夢に見るようになった。



だから、レンは何時もどおりやってきた彼女と一緒に食事をしながら今日の出来事とともに、その馬車に付いていた紋章の話を聞いたとき、ふいにこみあげた感情にも動揺することはなかった。


きな臭いうわさ話が、城下に流れ出したのはそれからすぐのことだ。

ヤシロがその噂話をレンのところに持ってきたのは数日後。
おそらく、あまり部屋から出られないレンを気遣ってか、ヤシロは王城の様子や市井の噂話、はたまたゴシップに至るまで幅広い話題を振ってくる。
レンの耳を捉えたその噂話も、ヤシロからしたらただの世間話の一環だったろう。
「・・・え・・・?」
レンは思わず聞き返した。
繰り返されたヤシロの言葉といぶかしげな表情に、レンは自分の顔色がわずかに変わったことを知った。
「どうした?知り合いだったのか?」
「・・・え、いえ。お名前を聞いたことがあるくらいです。驚きましたよ。」
おもむろに怪我をしているほうの足をさすり、レンは笑顔を浮かべる。
顔色の変化が、足の痛みのせいだと思ってもらえるように。
その企ては成功したのだろう。
ヤシロは特に気にした様子もなく淡々と話を続けた。
「・・・五年も前の件で、今頃告発されるなんてな。きっと公爵自身も驚かれているだろうな。」
「いや、でも、なんでそんなことに・・・。」
「さぁ。ま、さすがにここまで噂が広がると、我らが王としても黙殺するわけにはいかなかったんだろう。」
レンは、思わず問いただしたい己を抑え、何でもないような声を取り繕った。
「公爵といえば、清廉潔白で温厚な人柄だと聞いていましたが・・・。」

「だろう?まさかと思うよなぁ。」
そうですね。と曖昧に返事しながら、レンはそれで”あのひと”が領地を離れ、王都に来たのかと納得する。


根も葉もない誤解など、すぐ申し開きできるだろう。
そう考えて楽観していたが、3日たっても解放されたという話は聞かず、ひどいうわさだけが先行していた。

国王その人からのコンタクトは一切なく、それが却って自体の深刻さを浮き彫りにしているようで。
レンは、ただいらいらしていた。
一介の騎士風情が国王に、何もないのに会いに行くことは不自然だ。

どういう状況なのか、問いただしてやりたい。
(・・・あの古狸・・・!)

まさかとは思うが、レンからのコンタクトを待っているのだろうか。

それとも、本当に深刻な状況なのだろうか。


キョーコもその噂を耳にした。
出会った紳士が城にとどめ置かれているのは、ある疑惑の告発をされたからだ、という。
一瞬出会っただけのはずなのに、なぜだか気になっていたため、城に幽閉されていると聞いて驚いた。
そんな人には見えなかったから。

・・・真実の姿は違うものなのかもしれない。
人には二面性があるという。


でも、世間で言われているような酷い罪を犯した人間だとはどうしても思えなかった。
罪を犯しているひとが、あんな風に真っ直ぐな目をしているものだろうか。

もちろん、身分的には雲の上の人には違いない。

けれど、どこかで会ったような気がするのだ。
故郷で、高位の貴族にあったことなどないし、ただの勘違いなのはわかっていたがそんな気持ちもぬぐえない。

(何か力になれることがあればいいけど・・・。)
そうは思っても、いかんせんただの見習いのくせに、おこがましいことこの上ない、というのもわかっていた。


そんなとき、王女から内緒のお茶会への誘いが来た。

実は嵐のあとから何度か手紙のやり取りをしていたのだ。
もちろん、秘密裏に、ではある。

数日おきにかわすカナエの手紙と、同封されたマリア姫の手紙が訓練の合間の新たな楽しみとなっている。
表向きは女官であるカナエとのやり取りだから、対外的に物議をかもすこともない。

見習いが王族と個人的に親しくするのはまずいかなぁと思うが、カナエの手紙にそっと同封された、心を込めた短い手紙に、心がホンワリとなったのは事実だ。
内容としてはそっけないカナエからの手紙も嬉しい。

なにしろ、あの元婚約者のおかげで、かつてのキョーコには女友達ができたことがなかった。
ショーに馴れ馴れしすぎるという、今となってはどうでもいいようなことで基本的に仲間外れにされていたからだ。

それでもいいと、ひたすら盲目的にショーに恋していた自分をもう葬り去りたい。
キョーコはすごい形相で呪いの言葉を吐いていたが、さっきまで読んでいた手紙が目に入って、気を取り直した。

(ぜひいらしてね!・・・か・・・。)
迎えも用意するといわれては、断れるはずもない。
もとより断る気などなかった。
いざとなれば、化粧と鬘で変装出来ることは、女官でいる間にわかったこと。
何しろ、幼馴染で元婚約者だった男が、彼女が着飾っただけで誰だかわからなかったのだ。

それはある意味お墨付きである。


(・・・楽しみ!・・・それに、もしかしたら・・・・。)
そんな王女の誘いに、自室の簡素な机の前でキョーコは傍らに置いたハンカチを眺めながら承諾の返事を書いた。




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書きあげたので、とりあえずアップします。
おやすみなさい。