『敦賀蓮』は、帰国してから、予定通り日本で、アカデミー賞主演男優賞ノミネート作品の番宣や取材を厳選して受けていた。

勿論、それは、有能なマネージャーのおかげでずいぶん余裕のあるスケジュールで組まれている。
本国に渡る直前の時の殺人的な予定と比べたら、楽なことこの上ない。

勿論、彼女と過ごす時間も意図的に増やした。
唯一のネックはパパラッチのせいで外でのデートがあまりできそうにないこと。
その点も、本国よりは、日本のほうがまだましではあったけれど、煩わしいものではある。


無垢な彼女。

舞台挨拶をしていたその姿に、余裕なんて一気になくなった。
早く手に入れなければ、盗られてしまう。

そんな予感で震えた。

・・・もし選んでくれなかったらどうしよう。

マスコミの前で手を差し伸べたのは、そうすれば、気を遣う彼女のことだ、気持ちがほかに向いていたとしても、同じ気持ちでないとしても、きっと舞台の上から降りてきてくれると思ったからだ。

先輩を無下に扱う人ではない。

もし、彼女が一瞬でも戸惑ったりしたら、握手とかでごまかすつもりだった。
・・・ずるいと言われれば、その通りだ。


『敦賀蓮』には保つべきイメージがある。

そのイメージは彼個人の、一人だけのものでないために、無謀なことなどできない。
だから、あれはある意味賭けだった。


彼女が腕に飛び込んできたときに、もう、遠慮しないことに決めたのだ。

確信は、なかった。
好意は持ってくれている。
けれど、それは、俳優としてなのか先輩としてなのか、それとも男としてなのかわからなかった。

それには、勿論、今までの『学習能力』が災いしていた。

彼女相手では、男として培った自信など、消し炭にも等しい。

彼女にたいしては”特別扱い”だなんて浮かれていられないのだ。
なにしろとんでもない方向から、思いもかけない反応を返してくる。
・・・・・・・・・・・・・・それに何度打ちのめされたか。

だから、もうこの腕の中に飛び込んできたからにはどうあがいても、連れ去ることに決めていた。
既成事実を作って、自分に縛り付けてしまおう。
迷う暇など与えないために、そのまま会場から連れ去って、しばらく滞在する予定であるホテルの部屋へ直行した。

ちなみに握手だった場合は、後から、全身全霊をかけ、ありとあらゆる手段で振り向いてもらうつもりだったことは言うまでもない。


ずるくて結構。

最初の恋だ。
そして、最後にするつもりでもある。

この想いが一方通行だった場合は、いっそ閉じ込めて、自分しか見られないようにしてしまいたい。


努力家の彼女が、どんどん、この国で綺麗に花開いていくのを、指をくわえて見ていたくない。
ほかの男なんかに渡したくない。

心が狭いのはわかっている。

彼女から返された想いが、同じでよかった。
そうでないと、犯罪者一歩手前になったかもしれないからだ。
(・・・いや、間違いなく犯罪者になっていたな。)

楽屋に呼びに来た社の後ろについてスタジオの廊下を歩きながら、蓮は目ざといマネージャーの目を盗んでうっそりと暗く笑んだ。

今日は、とある雑誌の撮影だった。
映画の番宣も兼ねているため、その役柄に近い雰囲気を要求されている。

相手役は、今売り出し中のモデル。

「敦賀さん!今日はよろしくお願いします!」
「よろしくおねがいします。」
その相手役はすでに到着していて、蓮の姿を認めたのかすぐに飛んできた。
「晴夏、といいます。わたし、ずっと敦賀さんのファンだったんです!」
「ありがとう。嬉しいです。今日は頑張りましょう。」
柔らかな笑顔で受け答えをすると、晴夏の頬が染まった。

設定は恋人同士。
蓮は手を抜くことはしなかった。
色っぽい顔を要求されれば、きちんと応えたし、彼女を魅力的な女性として扱った。
演技経験のない、モデルが本業の彼女の、艶めいた顔を引き出した。
だから、だろうか。スチール撮影が終わった後、スタジオの廊下で捕まり、電話番号を聞かれたのはいつものことだと思った。
それに、営業スマイルで「今度、ご一緒する機会があれば。」と、答えるのも日常茶飯事だった。

けれど、年若い彼女には想像すらできない、納得できない返事だったのだろう。
食い下がってきた。

それはもう、驚くくらいの剣幕に、思わず苦笑交じりになる。
こういう場合の対処も慣れたな。と、妙に感慨深く感じる。
そして、まだ10代だという彼女のひたむきさが微笑ましい。

「なんで俺の番号が必要なの?」
だから、蓮ははっきりとそう言った。
「・・・っ!!それは、京子さんにに禁止されてるからですか?!」
「禁止?なにを・・・?」
「ほかの女の電話番号を聞くことを、です!」
蓮は首をかしげる。
あまり言っている意味がピンと来ない。
しばし、考える。
キョーコがほかの女性の電話番号を聞くのを禁止する光景を想像して、その言葉の意味を理解した蓮の気分が、すこし弾んだ。

だが、その後すぐに、実際はそんなことはしないだろうという現実に、しばし打ちのめされる。
それどころか、教えてあげてくださいとか言いかねない。

「・・・してくれるかな・・・禁止・・・。」
思わず漏れた本音。

嫉妬に狂うキョーコも見てみたい。
今のところ、焼きもちは自分の専売特許であるため、本気でそう思った。
ずっと長いこと片思いしていたから、愛されているという実感が欲しい。

勿論、彼女が自分をささげてくれたのは、愛してくれているからなのはわかっている。
結婚の承諾もしてくれた。

よくばりになっている。
もっと欲しいと思うのは人間の性か。

蓮は軽く首を振った。
だからと言って、そんなつもりがない女性に気を持たせるようなことは、することはない。
「ごめんね?」
そう、目の前の女の子に言う。

晴夏は、目の前の俳優の笑みが、柔らかく遠回しな拒絶だと気が付いてしまった。
いままで、異性に電話番号を尋ねて断られたことなどない。

女の表情が思わずこわばった。

「蓮!」
遠くから、彼のマネージャーが呼ぶ。
「じゃあ。失礼します。」
丁寧にあいさつをする男に苦々しい表情を浮かべた女が軽い舌打ちをした。
それは、彼女自身無意識のしぐさであったが、蓮の耳にはしっかり届いた。

気の強さはこの業界では成功の一つの要因だ。

・・・だが、逆に失敗する要因でもある。

彼女が早くそのことに気が付けることを、蓮は祈った。




キョーコは、蓮の借りている広いホテルのベッドでひとり、うだうだしていた。
蓮は昨日は雑誌のスチール撮影で少し早い上がりだったが、今日はまた、違う雑誌の取材やらなんやらで帰りは遅いらしかった。
キョーコは丸々オフだったが、特にそのことに不満はない。

だが、いくらオフだからと言ってこんな風に自堕落に過ごすはずではなかったのだ。
やりたいことがたくさんある。・・・いや、あったのだ。

しかし、起きたら全く腰がたたなかった。
一晩中、蓮の腕の中にいたせいなのは明白。
やさしく扱われたはずなのにこの体たらく。
キョーコよりも遅く寝たはずの蓮は平然と仕事に行った。

しかもムカつくことにやたらに爽やかに。

(・・・体力の差なの・・・これ・・・?それとも経験値が低すぎだから・・・?)

キョーコは、つい先日、同じようになった日の出来事を反芻する。

ショータローと会ったあの日、彼と別れてから、キョーコは無言の蓮に、ここまで連れてこられた。
怒っている、わけではないけれど、なにか言いたげな彼の横顔に、ふと、過去にもこんなことがあったと思い出す。

あれはダークムーンの撮影の時。
あの時も尚が絡んでいた。

あの時、彼はただ優しく笑っただけだったが、今回は違った。

部屋につくなり抱きしめられて、広い胸にうずもれたせいで彼の表情など全く見えなくなった。

「・・・敦賀、さん・・・?」
強く抱きしめられていたため、キョーコは彼の胸元にくぐもった声を響かせた。
けれど、一向に腕は緩む気配もない。

「・・・ど、したんですか・・?」
長いのか短いのかわからない沈黙の後、蓮の低い声がキョーコに届いた。
「ごめん。いま・・・かお、見られたくない・・・。」

酷い顔だから・・・と続けて、蓮はさらに力を込める。
「・・・え・・・?」

「・・・おれ、嫉妬深いんだ。」
小さな小さな告白が、キョーコの耳に届いた。
「大人ぶろうと思ったけど、いま、ちょっと無理だから・・・もう少しこのままでいてくれないか・・・?」

「・・・もしかして・・・」
キョーコは、囁くように言った。
「・・・ヤキモチ、やいてるんですか?」

「・・・うん・・・。」
「・・・だったら、かお、みたいです・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ダメ。いま、カッコ悪い・・・・。」
「見せてください。」キョーコはレンの胸を押した。その、ささやかな抵抗に、蓮の腕が緩む。

キョーコは彼の腕の中から、自分の腕を開放すると彼の頬に手を当てた。

眉間にしわを寄せて、苦しそうな表情の彼に、いま、触れることが、何より大事に思えた。
蓮は酷い顔といったが、彼にこんな顔をさせたのは自分だ。

それが、ひどくうれしかった。

「・・・コーン・・・。」
幼い記憶のままのその名を呼べば、蓮と目が合う。

ひきよせられるまま、口づけをかわして。
(ーーーうわあああああああ!!!)

こういうのは、思い出すと、羞恥心が倍以上になって襲ってくることを今はじめて知る。

代わりに昨夜のことを思い出すのも限りなく危険だった。
昨夜は昨夜で、何のスイッチを押したのかひどく攻め立てられて、夢中で応えた覚えしかない。


キョーコは一気に記憶をシャットダウンした。
思い出していたらダメージが半端ない。

その時の蓮の言葉や、顔が、浮かんでくるのを必死に打ち消して、キョーコの心拍数は何とか元に戻った。

いつか、慣れる日が来るのだろうか。
むしろ一生来ない気がする。

普通の人は、こんな羞恥を乗り越えているのだろうか。




「あうう・・・」
そしてキョーコは悟るのだ。
一生、その方面では勝てないと。

自分がそんな方面に疎いのは自覚はある。


酷くけだるいのと、人には言えない部位のひりつきに、少しひるむが、キョーコはよろよろとシャワーを浴びにいく。
ベッドに戻ってきたときには、マネージャーから留守電とメールが来ていた。

それは仕事のことだったため、内容をチェックした後、手帳に予定を書き出す。
スケジュール管理はマネージャーがしてくれているが、キョーコも、新人の時の癖で未だに自分の手帳に仕事の予定を書く癖があった。

多かった空欄が、埋まっていくのを見るにつけ、敦賀さんへと一歩づつ近づいているような気がして嬉しかったものだ。

いまでもその気持ちは変わっていない。
キョーコは微笑むと、マネージャーに了承の返事をするため、携帯に手を伸ばした。







☆百年と同時進行で書いてました。
こっちは、相も変わらずノープランで書き続けています。