この歳になって蓮コラを気持ち悪いと思い始めた。



老人に向かって「可愛い~」などとほざく糞アマがいるが、この言葉はとてつもない愚言であり老人に対する侮辱である。




無意識のうちに学歴の差を恥じている自分がいる。




やっぱり嫉妬深いんだなあ。






苦しんで、そこから抜け出そうと足掻いた分だけ前に進める
場がなければ語れないものが多くある。





人間なんてみんな水平で垂直的な差は存在しないと言ったがあれは嘘だ。俺は周りよりも力強く前へ進んでいる。止まったりなんてしない。
常に前進してる。





大学の遊びとは遊ぶことではない。
大学生ならばそれ相応の高度な行動をしないといけない。
遊びによって自分の中の何かを引き出しそれを相手に伝え更に何かを得る。
単なる楽しさと喜びだけならば中学生の誕生日会や高校生の顔面パイ投げでも得られる。
何が大学は遊び場だ?遊ぶところじゃねえよ。大学でしか学べないものとその機会があるだろ。それを得るのが大学だろ。酒飲んだら語れ。語って語って語り尽くせ。その為に酒はあるんだろ。その為に場があるんだろ。無意味なことすんな 。無意味なものを肯定し合うな。見苦しいんだよ。世間知らずの糞野郎。勝ち誇った顔して批判するな未熟なポンコツ。
俺は無意味な付き合いなんてしねえよ。






既に人に何かを与えるだけの能力と経験を持ち合わせているようだ。
そこに年齢なんて概念は無関係。
自分の歩んだデコボコ道が与えてくれた価値は伊達では無い。






集団的自衛権に関する市民の意見対立はマクロ的、すなわち国家規模の意見を強く主張する賛成派とマイクロ的、すなわち身近な範囲の安全を主張する反対派による一切の歩み寄りを許さない極端な意見が生んだ見事なまでのすれ違い通信である。
この場合どちらの意見も不正解であり、正しい意見は歩み寄りの結果でしか見出すことができない。
だが歩み寄りの姿勢を見せる賛成派に対して反対派は断固として意見を変えず更にキャンペーンによる規模拡大を図っている。
このままの状態で良い訳が無い。
先日の世論調査では安部政権の支持率は50%近く下がり、就任後初めての動きらしい。
これは大きな間違いを生む可能性と、その証拠を内包した結果だ。
マクロ的側面とミクロ的側面とを同時に眺め、そこからより客観的な答えを導き出す能力を国民が持たなければナチスドイツ的独裁の再来も無きにしも非ず。
この可能性は現実味の無い話に思えるだろうが、間違っている意見でも大くの人間が賛同し実際に国を起こせるということはそういうことだ。
実際に政権を動かしてしまった2009年自民党へのネガキャン運動、多くの人間が賛同し大規模なデモを起こした反原発運動は正にその証明である。
間違った意見でも簡単に流されてしまう民衆により容易に間違いが起きうる民主主義は非常に危険だ。
たまに
間違っても良いじゃ無いか!などと主張する人間がいるが、あって言い訳が無い。一度の過ちで簡単に虐殺を容認することになったナチスドイツのようになっても知らんぞ。
東京にミサイルぶち込まれて家族殺されても同じこと言えんのかハゲ。
あ、歩み寄りの結果決定した今回の解釈改憲閣議決定内容に対してウダウダ文句言ってるのは論外な。