今こそ受け入れる努力をしなければならないのだが受け入れようとすると心の何処かが反抗しようとする。



自分の能力や経験を普遍化でない事は即ち客観視不足だと勝手に勘違いしていたが、人との優劣や好悪を正しく認識して受け入れる事の方が重要で客観的なのだと知った今日この頃。



今の自分にしか獲られないものがある。今の心でしか獲られないものがある。




一般論として存在している理論だからこそ否定する為にはその壁を完全に壊せるほどの理論武装をしなければならない。相手に考え直させる程の言魂を手に入れなければならない。
固定観念や一般概念において正しいとされている理論に同意することは非常に簡単だが、逆に否定する事には非常な程の体力を必要とする。




こちら側が幾らものを知っていても知らない人には伝わらない
原始時代の人間にパラレルワールドの存在を説明するようなものだ。




楽しさに溺れて成長する機会を失う場所。それが大学だ。




恩義なんてものは捨てさらなければならない。






今は沢山間違いを犯そう。そして素晴らしい教育者になろう。






会話中、徐々に深まる会話内容に差が出始めると人は互いに自分の方へ引っ張り合おうとする。
深度30の人間と深度100の人間がいる時、30の人間が自分の話をする為には100の人間を30に近づけなければならない、同様に100の人間も自分の話をする為には30を100に近づけなければならない。
そこでジレンマが発生する。
その解消方法はどちらかの妥協のみである。
自分だけがいつも掘り進めている。




化粧は肌の光沢を失わせる。






お喋りな自分がお喋りでなくなることは果たして良いことなのだろうか。






自分と他人の経験値や能力がどの程度離れているかが感覚的にわかるようになってきた。






受け入れることばかり考えると自分の事を考えられなくなるんじゃないかという恐怖心を心の中に抱えている。




野々村議員を単なる笑ものにする日本人はやっぱり馬鹿だ。
その裏側にどんな問題が存在するかもわかってない。
馬鹿だわ。日本人ほんと馬鹿ばっか。




論破しようとした時点で負けだと言うことに何故気が付かないのか。



自分自身の能力を普遍化しようとするあまり劣等人物に無理強いをしてしまう。
何がどうそうなのか明確には言い切れないが比較的能力の高い過去の自分と現在その道を歩む人間とを照らし合わせ指示をすると、自分にできたことをできない相手に理解ができず、無理にその方法を押し付ける