思考
集団的自衛権についての考え。自分が間違っているのだろうか。反対派の意見を飲み込めない自分が悪いのだろうか。明らかに反対派の意見が間違っていたとしても口出し厳禁の領域なのだろうか。もし世の中がその方向へ向かってしまった場合どうなるか明確に見えていたとしても厳禁なのだろうか。政治的意見は正確で純粋な根拠を前提として主体的に主観的に判断しなければならない。それが出来ていない意見でも受け入れなければならないのだろうか。
志望理由書が書けなくて苦しい。
時々強く吹く風に流れ落ちる水は勢い良くなびき、より一層強く音を立て水溜りに落ちる。
大事そうに持つ絵の具も、手を滑らせ落ちる。
目で見れば単純なのに複雑に感じる。単純なものも複雑に整っていることを心は知っている。
高校受験、大学受験、就職活動。どれも引きこもりがマイナスに働くのは同じだ。個人間では受け入れられる筈なのに。
序盤から終盤にかけて徐々にスケールとボリュームが膨らんで行きラストに一番大きな話をする。
話が深くなり高度になる程根拠を述べるのは難しくなる。根拠を知らないのとは違い、量が多いすぎることが原因である。
小論文試作の森
国土と国民に対する経済好況の中国は国土と国民のボリュームに対するスケールが小さいからバブルですら無いんじゃないか?
我が家の屋上から見えたいつもの光景が変わると思うと言葉には出来ないが感慨深い。
アベノミクスは失敗していない。
女の嫌いな所を考えまくって大嫌いになったと思ったら逆に優しくできるようになった。不思議だな。
相手に話してもらわなければ相手がどんな人間で何を思っているのか理解出来なくなった。
あの怪我をした時、もしも今自分を支えてくれてる人たちと既に出会っていたらどれ程楽だっただろうか
どれが正解かと言う点においておれは混乱していたがそもそも「正解」とは他が定義したものであり、本来どこにも正解はないのかもしれない。
「愛」とは他に向けられた感情のベクトルである。
時代と共に絞られて行った基準を一度広げる。
正解がないと言うことは愛がベクトルであるというのも正解じゃないし、そう考えると勉強をしないで遊ぶのも正解じゃないし勉強しなきゃいけないのも正解じゃない。ということはなんでも良いってことだし全て受け入れた方が早いんじゃないかな。
聖書という正解を持つことが
見返りの無い思いやり。愛
伝えてみたい。
自分の求めるものの本質は時間と自由であり大学にはそんなものは一切ない。今ですらやりたいことをやれないもどかしさに苦しめられているのに大学に入ってまた4年間その苦しさを味わいながら過ごしたくない。
今の流れをと熱意を逃したくない。浪人期のお金も返すし9がぜ今すぐ浪人をやめて
だから今すぐにでも行動したい。
例えひとつの良い授業があったとしてもその為に4年間を潰したくない。
正解と言う言葉が鍵
デメリットをメリットに変えたい。
日本陸上界を盛り上げて満員にしたい。
陸上界の給料、賞金を上げたい。
定通陸上の進学先を広げたい。
世界共通の走るを通じて世界と繋がりたい。
数千、数万の人々を自分の手で動かしたい。
無難な人生でなくたっていい。
田中先生に対して言い訳擬きをしてしまった。
父は僕のためにワザワザ怒ったふりをしてくれた。
でも残念ながら僕は失敗しなければわからない人間なのだ。
現代では皆心に神を持ち、その神を崇拝することで心を保つ。
だがその神に絶対性は無い。常に不安定であり気分屋なのかもしれない。
俺が高卒として行きて行こうと決意したことは成長の過程における重要な歩みだったのかもしれない。
経営学社会学経済学だけでこんなにも種類があるとは思わなかった。ビックリだわ。
ま、10年もあれば全部完璧になるだろ。と思う。
家を出る時、両親に手紙を書こう。
ニートの小遣い稼ぎ
起業には行政申請や事務手数料などで数十万かかる。すぐには起業できないがイベントは開催する。その場合かかったお金などをメモしておくべきなのか。
一つのものに意味を付けるなら多義的の方が良い
一昨日は父親が自分を思って言ってくれているのだと勘違いしていたが本質が見えていなかったのかもしれない。
父は私を思ったのでは無く自分の理解の及ばない範囲へ到達した人間を迫害しようとしていたに過ぎない。
中学生時代の父と何一つ変わらない。
気に食わなければ殴り怒鳴り引きづり回しまた殴る。
高校へ入ると伝えた時、父は小便へ行った。そうしてチビったのは息子がまた真面な人間になれるという喜びからくる緊張ではなかった。
単に自分の範囲内に身を置かせることができたことへの喜びに過ぎなかったのだ。
父はまた私を無視しようとする。
6年前と全く同じように。
家族と見做さず人間とも見ず、視界が入っても私を無視する
家族だから、親だから期待しちゃうんだ。信じようとしてしまうんだ。どうして裏切るのかな?
会計事務所と会社経営ではビジョンの必要性などの点において異なっている
お世辞でもなんでも良い、熱意を持ってビジョンや理念を置けば経営手法も自然と濃いものになる。
才能を持ちながらも受け入れられないことにより失う。
黒子のバスケで有名な渡辺被告は犯罪を犯したことによって変わった。悪が悪を善に変える。
適当に口だけで喋って心の中は愛では無く欲求不満。
本気で絶縁を考える
僕は間違っていた。
今日はホームページのことやらなかったなー。
どんなに頭が良くても人の感情は完璧に汲み取れないものなのかも知れない。
自分が正解だと思っていた。
伝えられないから伝えないと言う考えは人を傷付ける牙になるのかもしれない
ヒエラルキーは三角形の下にもう一つ逆三角形を持つ
お父さんが悲しんでるのはお金の問題ではないのかもしれない。
家の中じゃまだまだガキだ
あなたは偉大過ぎます。会計士や学歴などで私はあなたには敵わないと言うことをよく知っています。
高い反発がある時ほど片方が全てを受け入れてやらなけばならないんだな
誰よりもピュアで怒りや悲しみのやり場を知らないのかもしれない。
俺も与えなきゃいけないな
何もしてないのにプレゼントをくれる神様って素敵だね
複数の情熱を保持することは可能なのだろうか。
お山の大将
短期目標と長期目標があったとして、貧困に悩む人々はどうして毎日を楽しく生きていられるのだろうか。どうしに日本人は幸せな筈なのに苦しんでいるのだろうか。
労働と上司に縛られ先の見えないトンネルに閉じ込められ只管歩き続けることを強要される日本人と、何者にも縛られず毎日目の前に灯り続ける光を追い続け毎日を生きている貧困国家の青年たち。
自分へ尊敬の意を抱かせるには、まず相手に何かを与え続けなければならないのかもしれない。
自分は安全な場所から安定した生活を維持して「自分は幸せだから」と言いながら自己犠牲の欠片も無しにボランティア擬きに徹する姿が気に入らないのかもしれない。
安定した生活と安全な生活を維持しながら、自己の利益の為だけにボランティアを利用しているように見えてしまうからなのかもしれない。
単に自分自身が真摯にそういう人たちと接していないから勝手にそう思ってしまってるだけなのかもしれないけど。
その瞬間にしか出会えないものがある。あの人もあの場所もあの風景も。
あの小説も。
成績表はオール2。時々斜線。真っ白な肌にか細い身体。そんな引きこもりが最後に見た夢。
ホームページのイメージを作る。
小説を書く
空想完璧主義
雑灯
その会社にとっての客は誰なのか。よく考えるようになった。
バイトはファミマ早朝を週5
ビッグドラックを週2~3の20時間
引越し系でも居酒屋でもok
居酒屋は火・金以外の週3 ファミマ週4
感傷的で深い傷があるからこそ気がつけるのかもしれない。
早稲田受かった!というのを見ると少しだけ後悔の念が生まれる。
それは、大学に行けなかったことへのものでは無く"合格"という実績に対するものである。
背中で語り最後に言葉で語る
山内農場は金曜を含む週3日
スターツグループのエンジニア版で6年でスターツグループを抜く
プラットフォーム形式だからこそ早期実現が可能となる。
めっちゃ面白いよ!(主観)よりも
みんなめっちゃ笑ってたよ(他観)の方が面白がる。
同様に、泣けた(主観)よりも
みんな感動して泣いてたよ(他観)の方が感動させられる。
音楽イベントに続いて連鎖的広告となる商売は無いだろうか。
本当に音楽イベントの次は映像編集で良いのだろうか。
傷つくと直ぐ埋め合わせたくなる
代表は普段あまり話さない割に大会を終えると気が付けばみんな仲良くなっている
どっちが不必要とかじゃなくて、どっちが良いのかって言う話をしてる。
「暇だな。何をしようかな」と考えられる猶予が必要だ。
できないで自分を見るからできない。
自分にはできると信じることが大事
どうして朝は来るのだろう
何もしてないのに時は過ぎるのだろう