何も考えず口を動かし喋れば楽である。


陸上と同様、楽なトレーニングの方が脳の発達は大きく促進される


本音の悪口


意味とは付属させるものである。


例え書いたとしても読み返さないから忘れてしまう


恋人、親友、友人とは一方的な定義付けであって相手からの承認は必要としない。


なんでおれのこと知らないんだよ。


良い人間を見つけるのは上手いけど合う人を探すのは下手。
好きになるのは上手いけど嫌いになるのは下手。
愛するのは得意だけど愛されるのは下手。
大切にされたいのになれない。




仏教的愛は執着心であり
基督的愛は慈しみである


イエスの願望に過ぎない。しかしクリスチャンの世界ではその理想が微かに実現されている。



安値チェーン店はインフレ、円安な時程売り上げが下がる。


与えても返せない者は多くいる。


完璧でないから解釈の自由が生まれる

あくまで前頭葉は発信の役割である。
前頭葉とは脳内におけるモニターである


頭頂葉によって視覚的に文字をにんし、後頭葉によって文字の色彩や配置などを認知し、側頭葉によってそれらを統合した情報を認識し、前頭葉によってそれらの情報を認識し脳内において反映させる。
その後反映された情報系文字映像は大脳辺縁系へ送られその後大脳辺縁系内の機関の機能により更に処理され記憶される

帯状回にこれらの情報が送られる。

視床下部によって情報への印象付け、情動装着運動が行われ、その情報は扁桃体へ送られ脳内における反応を識別し怒りや喜びのような形で反映させ最終的に海馬へ送られる。
その際これらの各段階を多くの情報はスルーしながら海馬へと到達する。
各 段階におけるスルー頻度が高い程情報量は少なく海馬内における占有範囲は狭まり記憶の引き出し時に最も引き出し難いものとして記憶の奥底へ送られるを逆 に、通過量が多いほど情報量は増え、脳内における占有率は高まり記憶の引き出し時に最も安易に引き起こされる情報として記憶の最優先最後部に位置するよう になる。
脳内の海馬においては物理学における重力に反し情報量が多く重いもの程上階層へ位置しやすく、軽いもの程下階層へ沈澱しやすい傾向にある。


自力による理解と思考による結論到達は3日かけて読み終える本の情報量を4分の1程度の時間で記憶し把握することができる。


記憶における大脳辺縁系の働きが海馬のみの働きによるものであるという結論では到底納得しえない。


記憶において最も優先すべきはどれだけ多くの情報量を認識し脳内へ反映させるかと言って良い。

大脳辺縁系について学びたいのに脳科学についての書籍には記憶を司る機関としての海馬についてしか記述されておらず少々苛立ちを抱いた。



記憶は海馬と大脳皮質によるものでありテストでの回答はあらゆるプロセスにより確認される

勉強するならまず脳科学を勉強すべきであった。政治経済をやるならまず経済学を学ぶべきだった。英語をやるなら外国人と話すべきだった。国語をやるなら本を読むべきであった。


着弾式おっぱい



完璧に至りようのないことを根も葉もない根拠に断言する本をモチベーションブックスと呼ぶ

なつきちゃんに会いたい(顔が浮かんだので恐らく可愛いと感じた状態が再起した模様です)

誰も気にしない考えもしない推測しようもないような事柄に気付きそれを究極的に分析し表現する。


youtubeの再生回数は登録者の約60~70%である。

遜る方が愉快で楽しい。


面白がると面白い


名前は執着を呼ぶ



傷の癒えていない今色々やるのは危険か否か


知は最たる幸福である


映像編集映像制作 企業経営 学問(心理学経済学) 英語会話能力 陸上 人間科学(人間そのものの行動規範と自我についての研究)
本屋へ行くこと、カフェへ行くこと、競技場へ行くこと、ジムへ行くこと、整骨院へ行くこと。


記憶力の低下は記憶の抑圧による後遺症である可能性がある。


感情とは言葉によって示されるのではなく行動によって示されるものである。
また、言動によって示す者もおり、例外的対象も存在しうるが、殆どの人間が行動によって本質的感情を表示するように成されており、そこを認識する必要がある。
人間行動学

フロイト度忘れ
仕方ない。許してあげましょう。
自由連想法
深層心理学

昇華と知性化以外は乾きを得ない傷として残る



今年一年良いことがなかったというのが今年の良いところかね。
ジーザスを学ぶ
アベノミクス経済変化

人の期待に操られるなんぞ愚の骨頂

最近溢れ出ているインテリ感

悪者になるのが嫌なのではないか

人格への探究心。
真理への向上心。

藪の中にいる。
病みの中にいるという意味でもあり、闇の中にいるという意味でもある。
いつどこで救われるのかもわからず、同時にどこへ行けば自分自身が見えるのかもわからず彷徨っていると言う意味。


益の生み方は新しく生み出すだけではない。変え
生むこともできる



得たことで失ったとしても益であることに変わりはない。
損失を生むものだからと言って亡くしてしまっても良いのだろうか。
一緒に付き合っていくか、正しいものとして新しく変えていくべきなのではないだろうか。




新興宗教創設者の原点。





傷ついても傷痕に気づかなければ痛みは感じない


何故生もうと思ったのかを知りた


知を得ることそのものが益である



マイナスによって生まれる利益
落とし穴に落ちて初めて見えるもの。



生むか消すか変えるかしかない
亡くして良いのだろうか。
負が益を生む
変え、そして生む。



戦略論戦術論。過去の成功者、失敗者の戦術を全て汲み取り建てられる総体的戦術戦略。



自立した存在と依存した存在。
独立していては決して生み出せない相互間において有益な現象を依存体制では生み得る。
依存しあった存在をどうコントロールするかにより実現可能な可能性もある。
しかしながら、マクロ的論者とミクロ的論者は完全に分断されており可不可はあるかもしれない。
想定し得ない損失が存在する。
想定し得ない利益を奇跡という


肉屋を支持する豚



人間の奥深さを産むのは学習したものの量ではない。
経験したものの量である。


この世で生きていればお利口さんではいられない、ぶりっ子ではいられない。
夢は覚め虚しさを感じ孤独になる。必ず。


ある程度の距離を保ちながら付き合っていこう。



自分のスタンダードとは何か



季節によってはぬるま湯すら辛い時がある。



性欲を滅しようとするのは唯一の弱点だと知っているから


体の神経系の緊張緩和は一週間ほどかかるが実際には家で休もうとしても理解されないが故に解きほぐされることはない。



自我の無い知識人


過去に虐められた経験があるかどうかなんて関係ない。その先に何が起きたのかが重要なのだ。



何も考えず、ただ漠然と辛いから死にたいと実行するものはいるのだろうか。
どうして自殺するのか。どうして引きこもるのか。



考え言葉と心がズレてる


流される馬鹿が嫌いだ。



休まない。1分たりとも休まない。


黒い部分を知られる喜び


ねえ。気付いてる?みんな同じことの繰り返しなんだよ?


茶色女性緑木 白男青木



正常な状態ではない。


過去の解釈がゴチャゴチャ

自我の固定化。



創造は否定に始まる


得た時に知るのではない。失った時に知るのだ。


綺麗に生きる事に必死すぎる。


えりやが最近おれのことをどう思ってるのか。



自分が同じレベルにいることを受け入れられず見下す。


彼女はいるかいい感じの人はいるか。自慢したい欲求。



空色デイズ


本来「運」というものを恨まなければならない


最悪だと感じる私を見て勇気を感じる人がいる。
アーサーが下を見ながらアメリカを歩んでる時、それを見たアメリカ人は勇気を与えられたとないだ


想像する奇跡は起こりえないが想像し得ない奇跡は起こる。


実証して確信するため。


物事、すぐに答えを出そうとすることは野暮である。


しかしながら、これらは恋愛を否定する理由にはなりえない。


自分が今までタイプとしてきた人間がどれほど危険でどのようなリスクがありどうしてそうなるのか、その具体的プロセス、構造、構成内容が全て理解できた。素晴らしい時間だった。
最後、自分があのような状態に陥る事は想定外だったが、それ以外はかなり想定の範囲内だったわけで、しかしながら浮世の夢というのを信じてみたいと思ったのは事実であり、そのような心の揺らぎ、安らぎを求める貧しい心によって深く傷ついてしまった。
幻想というものは幻想でしかない。
夢を見るのは非常に危険だ。
これから女という生き物をどのような形で理解し扱っていくべきなのかもっと考察しなければならない。
あくまで人間として扱うのではなく動物として。
それは何故か。それに致しないからである。
別に女だけに限らないが。少なくとも若いうちというのは人間にはなりきれていない。
自分自身も。
これは何かを侮辱し自分の心を慰めるための言葉ではない。
あくまで、現実というものを見た上での言葉である。
高校2年生の頃から今までの間に、約4人の女と恋人やらなんやらの関係になった。
そのうちの一人を除く3人が同じ系統にある。それは俺だけに限らない。
多くの男がそのような系統の人間に対して恋愛感情を抱いてしまう。
その根本的要因は女性側の無意識的行動と男性側の意識的思考が上手く噛み合うことで起きる。
たから、女性側も何故そうなってしまうのかと非常に苦しむ。
同時に男性側もどうして自分のやった事への見返りがないのかと苦しむ。





怒りの要因は怒りをぶつけた相手ではない可能性が高い

人は何か自分の未熟さを捜し求め自我を彷徨うのだが例え一つ未熟さを見つけても更に新たな未熟さを見出し、その繰り返しの中に生き続ける。
人は完全ではないと言う言葉の意味は此処にある。
「完全ではない」のでは無く「完全にはなれない」のである。
しかしながら愚かな事に俺はその完全の為に生きている。
日々現実という物を知っていく度に虚しさを知り同時に死へ向かって突き進んでいる感覚があるのだが、そんなことは知らない。
現実世界にある真理と本質の全知による完全を求めこれからもなんかしながら生きていく。
ただ、俺は未熟さを捜し求めているわけじゃないから一生未熟よん。




変化するものに執着すると大変疲れる。



彼女はいつ思い出すのか、それで本音が何か探る


超強迫的な観念に囚われている。



やっぱり陸上がしたい。


陸上出来なくなったら何もできない


現象のうちの要因にすぎない


傷口を舐めさせる



投票率に貢献したなんて誇りにどんな価値があるのか



片言の日本語なんかに何百万もかけて、らむしろ貧しい幸福感たまと思った

最近やけに嘆いでいた


どんな計算の順所を経ようとも答が同じであれば問題ない。


自分の罪について井形に謝る。



わかってくれないと嘆いてもその意味すらも理解してもらえない。


時々ネガティヴな思考に吸い込まれて完全に嵌まり込むことがある。
どうすれば改善できるかって考えだせば、その答えは直ぐに出せるはずなのに、あまりにも闇が深すぎて抜け出せなくなったりする。
その時が一番辛い。
最愛のパートナーにはそうなった時抜け出せるように助けて欲しいと思ってる。



不安定な状態の恋愛しか経験していない。他の恋愛は全くと言っていいほど印象に残っていない。
心酔するのが怖い。

どうして怖いのか。


どうしたらマネジメントでミスコン優勝を手繰り寄せられるか



経験していない人間とは共通認識は得られない。そして共通認識を得た人間との関係はその他のものよりも遥かに幸福感がある。




@SoltAceN: 俺にとっての思考という言葉の定義自体が人と違うのかな?
おれの中では答えのないものから答えを導き出そうとして脳みそで考える事が思考なんだと思ってる。
つまり既に答えの出ている1+1=2の計算は思考に入らないと。
あくまで推測推定に及ぶ為の一過程に過ぎないと言う定義である。

自らの先天性に溺れれば自惚れ驕る。



小学生の時は列から離れるなんて行動は絶対にできなかったが今なら率先して抜け出せる気がする。と、思った時昔から自分勝手だの自己中だの言われてきたがしっかりスクスク育ってるみたいだ。


パイオニアはいつも独りだ。他の人間は単なる協力者であり付属品にすぎない。


さっさとどうにかなってくんねえかなあと思ってる自分がいる。



傷跡がかさぶたになる前に、どうすればまた同じ傷を負わないで済むのか教えてあげたい。



政治思想過激派集団とは自己の恣意的思想を強制力にある強制性によって推し広め思想集団を拡大しようとすることである。


人間は欺きあって生きている。人は罪深いのだ。当たり前のように罪を犯してしまう。無意識に人を傷つけてしまう。そういうものだ。
女は他どころへ行く過ちを犯したりもする。
嘘をつき欺くこともあれば、嘘すらも隠す欺き方をする人間もいる。
自己主張の為に人を卑下したり傷つけたりもするし相手の思いを酷く傷つける事だってある。



さきは嘘をつくことすら隠すようなタイプの人間



電話してる時気まずいのか?



大きく手を突けばそれだけ跳ね返りも大きい



何か理由を付けて無理矢理一緒にいる理由をつけなければ続かない関係なんてものは必要ない。



不安 我慢



彼はどんなことがあっても相手を裏切ってこちら側へ来る。


この世に完全に消滅するものが存在しないのと同じように魂も何かしらの形で存在する。


非常にSoftになれる。簡単に言えば優しくなれるようだ。
心が和む。




期待信頼安定という幻想に浸ることは同時に自己保全の破滅でもある。


正に自分の状況と重なり合った時感動を感じる。



NHKでの付き合いなんてのは大したことではない。
その大したことのない付き合いの中で深い関わりのできる人間がいたとすればそれだけは例外的に大したことある関係である。



求めよ、さらば与えられん、
尋ねよ、さらば見出さん、
叩けよ、さらば開かれん
マタイ福音書七章
座右の銘だと確信した


人間なんて表面的なものばかりを見て生きてるけど本質的なものを見られる人もそのうち増えてくる。


自分の方が上だと意地を張るような人間よりは相手の素晴らしさを受け入れられる人の方が数段上に決まってる。


幼い人が人を強者に変える

大人の顔したチンパンジー



人がどうなるかなんてわかんねえ。未来なんてわかるはずねえ。


かおりん。えりや男の方がいい
忍者塾


自己の監視


神は何故その存在を我々に知らせようとしているのだろうか。
どんな計画があるのだろうか



みんなを愛して良いのだ。



真っ暗な孤独な空間に一人座線を組む自分に空から光が照らされ私はそこへ吸い寄せられる。
吸い寄せられる新しい空間へ迎えられる。
更に空から私に光は与えられるまた吸い寄せられ、そしてまた吸い寄せられる。
新しい空間へ逃れられた幸福を感じられる。
だが、何度もなんどもそれを繰り返す度に私の心は病んでいく。
しかし止めどなく光は与えられ、そして吸い寄せられる。
そして病んでいく。
光は与えられているが病んでいく光は与えられている。そして病んでいる。

語らせずとも得る


お金による掌握



moeという字がmoaiに見えてしまう病気が治らない。



死とは死の快楽が世の苦しみを凌駕した時に起こるものなのではないだろうか。


死とは完成という意味なのではないか。魂の完成系なのではないか。
持った魂にこの体と心が行き着いた時死に至るのではないか。



人より人を客観視できるが自己を客観視する能力はとても低い


空から見た風景は混沌としているはずなのにも関わらず整っていると言う点が不自然である。しかもその不自然を自然と感じてしまうところも不自然である。


自分の隔離された世界、自分以外の人間で構成された空間を見てる感覚。


おれなんてまだまだ空っぽだ。
何もわかっちゃいない。
特に自分のことなんか。


おれはおれの傷つき方で傷ついていけばいい。例えそれがどれだけ愚かなことだろうともそれこそが人間らしさなのではないか。
俺らしい喜び方俺らしい傷つき方で俺らしい苦しみに浸り生きていけば良いのではないだろうか。


なぜ皆社会常識と言えるものに従い笑い喜び怒るのか。
嫌いだ。みんな違ってみんな良いなんて空想でしかない。
人は皆何かに従い生きていてみんな似ている。


首輪なんてつけたくない。


汐留に住んでみたいと思った。


現段階で若い。好きになるのは怖い


女は女を捨てた時女になるのだ。
つまり女を捨てた女しか女としてみていないという事である。

自我には小我と大我が存在する


ある超能力者がいたとして、そいつに憧れて幾ら真似をしようとしても、幾ら超能力のノウハウを学んだとしても人は憧れの人間にはなれない。なれたとしてもそれは真似をしてなったような気がしてしまうような単なる勘違いレベルの心理的変化であるに過ぎない。




イメージ記憶はオブジェクトの記憶量に比例して能力が現れる。
イメージ記憶にも語彙力がありその語彙力が形をようしてイメージを生成する。そしてそれを記憶する。


映像をそのまま記憶するよりも自分で映像を作り、それを記憶する方が記憶しやすいのかもしれない。



AV女優の宿泊イベントへおひろし、ゆりちゃん、さきを連れて行く。
おひろしとゆりちゃんは泊まる部屋を探しに行き、その間に縦20m近くありそうな大きな机で多くのAV女優と参加者が飯を食い始める。
そこでさきと自分も食事。
その後自分が盛り上げ盛り上がった頃からさきの所へ行き落ち着いて会話。そうしているうちにおひろしとゆりちゃんが帰ってこないことに気がつきレイプされているんじゃないかと心配になり探しに行き突入しようとする。その時鮮明にレイプされる映像が浮かんでいた。



怪我をして選手生命を失って欲しくないから


その能力が誰によって何のために与えられたのかをわかっていなければ間違った方向へ進む。


外側の奥、内側の奥


走るのが楽しみで仕方ない。


対抗するのではなく群れる習性。(SAの上位独占例)



動画編集のスタイルを持っていないと思っていたが実はシンプルさに特化したスタイルを持っていた。
素材の美味しさを活かす編集。
むしろ更に美味しくする編集


遅筋(300~600)、速筋肥大、バネ向上


炎の中に入れば死んでしまうのだから近寄らないほうがいいと学べばいいのに
海に沈めば死ぬということを知れば良いのに海に沈みながら生きるにはどうしたら良いのかと考えてしまう。
人生経験のサイクルがゆっくりになってしまう。



今月は怪我完治、陸上復帰再開、programmingC言語、動画編集ゲーム動画一つ完成。


眼からタラコ


俺なら出来ると言っていい加減になったとき傲慢になり人だけでなく自分も傷つける。



年単位と月単位で実行するもの実現するものを決定して行動する。



動かすことができるのではなくわかってあげられるだけの経験をしているのです


さきが人から逃げていて最終的に僕から逃げる形になっていた。彼女は物凄く怖がっていた。


充実した1日の過ごし方の一つは陸上をすること



教えることより実感する機会を与えることの方が大事である。
教えを得ても実感することはできない。
伝えるためにやるのではなく実感する為の機会を与えるために行うのである。

20歳になり大人の自覚を持って余談ですが今日は沢山うんちが出ました。繰り返します沢山うんちが(ry今年は失反面得、来年もまた得たもので失う
来年こそはエロ本


続けることは何より大変だ。長続きさせないことも賢い手法だ。



木の実(この身)のどこに目があろうとも木の実(この身)は見えぬ。
木の実(この身)に幾つ目が在っても木の実(この身)は見えぬ。