何一つ誤った選択はしていない。

なのにも関わらず時間が経ってみれば後悔するような選択をしている。

いつだって無難な手段はとらず賭けとも言える選択をしてきた。

思い切った選択をしてきた。

にも関わらず、

というより

だからこそ、こんなことになってしまった。

昨年の漢字を一文字示すとするならば「苦」である。

そして今年の漢字も「苦」である。

そしてこれから先も「苦」である。

何一つ思い通りには行かない。

賭けとも言える選択をすれば、それだけ大きな見返りがある。

良くも悪くも。







半年前1年半続けた勉強をやめた。
理由は様々だったが、その中でも大きな理由として
陸上とビジネスと勉強の両立があった。

当然3つ同時なんてのはできない。
だから陸上とビジネスを選択した。

情熱溢れる”やりたいもの”を選択した。
それによって今後の生計を建てる選択をした。

だが半年たってこんなことになってしまった。

何一つ過失は無い。

苦の根源はただ一点。
賭けの選択をしてしまったことだけにある。

怪我をして半年。
再び引き篭もりになって半年。
私はこの選択を今更になって後悔している。
選択は間違っていなかったと自信を持っていながら同時に後悔している。
意味がわからないでしょう。
僕も分からない。

体裁を気にしたとき後悔の念が生まれるんだ。

それさえ無ければ後悔の念なんてのは生まれない。


ただ単純に、プロとして陸上を続け、独自の企業体制をとった会社を経営するだけで世間の目は違ったであろう。僕の心持は違ったであろう。こんなことは僕にとって簡単なことだっただろう。
だが出来なかった。運の巡り会わせか、神の御業か。


今の自分は世間の目からみてどうだろうか。
「20歳で引き篭もり」「浪人2年目で挫折」「陸上は中途半端」「怪我だの鬱だのと言い訳ばかり」

もしかしたら、頭のいい人は理解してくれたかもしれない。

しかし世の中そんな奴は一握りもいない。

おれの苦労を蔑む事も無く、哀れむわけも無く、ただただ尊重してくれる人間なんて殆ど巡り合う事はできない。


きっと、今後はどんな選択をしようとも色眼鏡のレンズが入れ替わることは無いだろう。
だったら生き方は簡単だ。
自分の思ったとおりに好きなように。
やりたいことだけやって「生きているのならばそれだけで良い」「欲を晴らせるならそれだけで良い」とそこら辺に落ちている枯葉のように生きていこう。
諦めるのではない。
それが僕らしいのだろう。
自分相応の生き方なのだろう。
最初から金持ちになろうだなんて考えたことは無い。
安定した収入を得て幸せな家庭を築こうだなんて考えたことも無い。
ただただ、生きてれば良いのだろう。
やりたいことをやって生きていればそれだけで十分なのだろう。



そして、思う。
自分にとって難しいことなんて殆ど無いのだと。
全て簡単だ。
女以外。


狙えば打てる。
ボール球以外。


やることをやろう。
やれることをやろう。
打てるものだけを振ろう。

そうすれば難しいことなんて何一つ無い。
全てが余裕だ。