理想の自分ってのはどんなものなのかについて。

というのも、ここ最近めっちゃモヤモヤしてた。
それがなんなのかについては深く考えない。
それは基本的に問題解決において自分自身のみで答えを出すってのを避けるようになったから。


だからこのモヤモヤについてかなり理解が浅い。

なもんでちょっと考えてみた。




基本的にはこのモヤモヤは一貫したものでは無い。
常に生活の形容によって変化し続けていて
その時々に自分が必要とするものが獲得できないことに対する悶々とした感覚がモヤモヤのそれ。
それは例えば生活面で言う給料とか、、、
そういうもの


んで今、自分が悶々としている最も大きな理由が「理想の有無」

基本的に今までは存在する理想を実現できないことってのが大きな理由だった。
だからその理由を認識するのは容易なことで、どうその問題を解決するかについても簡単に答えが見つかっていた。

だけど今回のはそもそも理想が無いという事を起点としているから
かなり発見には時間がかかった。(10分くらい)


んでどうして今回これまで当然に生起し続けてきた理想がなくなってしまったのか。

その要因として考えられるのが生活環境の急激な変化が止めどなく続いたことにより混乱を招いてしまったことにあると思われる。
この一年近くの間色んな変化があった。
精神面においても生活面においてもこの一年間でガラッと変わった。
生き方についての考え方は過去とは全く違うものとなり、
過去の自分や理想は今や使い物にならないガラクタと化した。

そのため、本来であれば「新しい理想」「新しい自分」について気づき、生み出していかなければならなかった。
だけどもそれが上手くいかなかった。
それは過去の理想が弊害になったいたらしい。


かなり色んな人に言っていたけど昔は「ハンデを抱えた人の救済」が理想だった。
例えば引きこもりの社会復帰を手伝える会社を作りたい。といったもの。
だけど人生の経験の中でその理想はゴミ箱に入っていった。



ハズだった。
なのに何故弊害になっていたのか。
それは紛れも無い自分の歴史だからだ。
「ハンデを抱えた人の救済」というのは引きこもりであったという経験が根拠になっている。
その他諸々の理想も同様だ。
引きこもりであったというのはある種の誇りであったのだと思う。
だからこそ、それを持ち続けていたいという自分がいて
何をするにも「引きこもり」が関連づけされてしまい、
一つの枠のうちから抜け出せなくなっていたのである。
それが即ち自分の納得のいく理想の発見に至らなかった理由であろう。





さてこの問題はどうしたら解決されるんだろうか。
まずどういうプロセスを経て理想というものが完成に至っているのだろうか。
それは基本的に誘導によるものであると推測してる。
人と話したり、人が会話しているのを聞いたりしていく中で
自分の中で理想なるものが無意識的に形成されていき、
会話をしたりしてアウトプットされる事でそれが顕在化していくのだと思う。



ってことで人と話します。