読む前なので当然コーチングというものがどんなものかは1mmもわかっていない前提で、これまで学んできた心理療法とコーチングがどうミックスされ、どのような形態になるのかを頭に浮かんだものだけ書いてみる。


コーチングと心理教育
コーチングについて全く無知というわけではない。かなり前から知っていたし、コーチングに関する情報には触れていた。
そしてその頃からの印象は本心に従がった行動を促すというものだ。我々は基本的に社会性を保つために本心に蓋をして生きている。
かつて早稲田大学のある教授はそれを「タコツボ」と呼んだ(最近それについての本が出たらしい)。
タコツボそのものが社会性。その中にあるタコはどんなだろう?
それに気が付き、そしてそれに従って行動する。

これは俺がACTにおいて重要なフェーズの一つである。「あなたにとって大切なものは何?あなたはそれを軸に生きられてる?」
この問いにYESと答えられるかどうかは生きている中で感じる持続的な幸福感と深く関係する。


だが一方で心理療法にあってコーチングには無いものがある。それは心理教育だ。コーチングに限らずカウンセリングであっても「問い」は重要な役割を占める。
だが、これはクライアントに対する大きな信頼があってこそだ。コーチングにおいてもカウンセリングにおいても心理療法においても「器の理論」の重要性は変わらない。相手との信頼関係を築き「君はここでなら何をさらけ出しても良い」という安心感の下セッションは行われなければならない。

だが一方で、人間の不完全さにも視点を置く必要がある。人はどう気を付けても注意を欠くことがあるし、不意に人を傷つける事もある。だが人はその当たり前過ぎる前提すらも忘れて生きている。この前提を伝え、認知の歪みやレジリエンスを高めるのが心理教育の重要な役割の一つだろう。


果たして、コーチングと心理教育はミックスされるのか。この答えはコーチングバイブルを読み実践しなければわからないだろう。

楽しみだい。