これまで幸福と幸福感を別に考えていたのだが、更なる変化があったので書き記す。

 

僕のこれまでの幸福と幸福感の定義の違いは以下。

 

「幸福」は状況的なもので、「結婚した」とか「金持ち」とかそういったもの。

実態がどんなに不幸な境遇であっても、当人は「私は結婚してるから」という理由で自分を幸せな人間と定義付ける。

「将来お金持ちになりたい」とか「結婚したい」というのはそれ自体がゴールであり、それが達成されれば幸せになれるという幻想によるものが多いのであまり良い物でないというのが僕の中での印象だ。

 

こういった「幸福」とは別にある「幸福感」。

幸福感は状況を問わず享受できるポジティブな感情である。

時々、貧乏な国に旅行へ行った人が「あの人たちは金が無くても幸せに生きている」というが、正にそのことを言っている。

幸福感は認知の影響を強く受けていて、目の前にある飯がどんなものであっても美味しいと思える人はより多くの幸福感を受けられる。逆に目の前の飯を否応なしに不味いと感じる人は受けられる幸福は少なくなる。認知行動療法の認知変容の技術を使えば幸福感をより多く受け取れるようにトレーニングすることができる。

 

 

 

だが、これとは別に(幸福感)という概念を知った。

上記で説明した「幸福」や「幸福感」と、ここで説明する(幸福感)は別の概念である。

「幸福」や「幸福感」は言語や認知によって統制されたものであるため「」を使う。

一方で(幸福感)は心の声という意味で()を使った。たまに本や漫画で主人公の心の声に()を使うことに由来している。

(幸福感)は言語や認知の及ばない、俗に言う無意識の領域にあると思われる。

 

SMクラブというのは一般的な人々から見ると特殊な人が集まっているように見える。

S嬢は豚野郎と腹を立てながら男を殴り

M男は「あぁっ!」とか言いながら痛そうに喚く。

「腹を立てる」「痛い」というのは一般的にネガティブな感情とされるが、この男女はそれに実は喜びを感じあっている。

このように言語的に「不幸」であっても内的には(幸福感)を感じている場合がある。

これは逆もしかりである。

 

 

 

 

この内的な(幸福感)はシバシバ「幸福」や「不幸」に引っ張られがちだ。心の内側ではその状況を嬉しいと感じているが、一般的にその状況は「不幸」と評価されるという理由で(幸福感)を失うような選択をしてしまう事がある。コーチングではそういった状況を見極めることも重要なことである可能性がある。