無事に移植手術が終わったことを知り、心からの感謝を。 | そうちゃん日記 

そうちゃん日記 

聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

聡太郎の拡張型心筋症という病気と渡航移植、聡太郎の死、臓器移植法改正を求めた日々。


そして迎えた6月14日。


様々な想いの中で、臓器を提供する権利・しない権利。移植を受ける権利・受けない権利。


それら4つの権利が、子どもとその家族へ与えられたことに心から感謝し、法改正がされなければ迎えられなかった瞬間として厳粛な気持ちで受け止めさせて頂きました。




法改正を訴えながら・・・心の片隅では臓器移植法が改正されることで小児の渡航移植も難しくなり、結果、唯一渡航移植で救えていた命すら救えなくなってしまったらどうするのか。と、思い悩む気持ちがありました。


去年の東日本大震災以降は、益々、渡航移植が厳しくなっていることを感じてきました。


法改正がされても国内での移植に希望を見いだせず、だからといって海外への渡航移植を決断するのも難しかった方々も多くいらしたと思います。




だからこそ、この1例目が本当に多くの方々の希望と未来への輝きになったと強く感じます。


その希望は移植を望むレシピエントだけでなく、愛する我が子を喪う最期の瞬間に残された唯一の希望と感じる方々へと繋がっていくものでもあると信じております。




改正前まで日本の臓器移植法は本人の意思確認ができることで成り立っていました。


法改正後は家族の意思にて提供が可能になり、子どもからの提供と子どもへの移植が可能になりました。


しかし当然ながら、幼ければ幼い子どもほど本人の意思確認は困難です。


その時、提供という決断をした家族を支えていくものが、医療の現場であり、社会なのだと思います。




様々な御意見があると思いますが、やはり様々な立場での当事者でなければ分からない決意と決断があります。


移植を受けられた方々、移植を選択されない方々でも、皆様の心にある気持ちは本人と家族でも多種多様です。


であれば、提供を決断されたご家族、提供をしないと決断されたご家族の気持ちも同様に多種多様であるはずです。


どの決断であっても、その決断を支えることが社会の責任でもあると思います。


移植医療のニュースをみると、検証を!という声があります。


システムとして検証され、フィードバックすることで良き方向へ改善されることは絶対に必要です。


しかし、人の気持ちに波紋を広げて苦しめることだけは避けて頂きたいと切に願います。




レシピエントが自分の命を守り、生き抜きたいと思う気持ち。その親が子どもに生き続けて欲しいと願う。


ドナーとなる方が死の先にも誰かと共に生き続けたい、又は、誰かを助けたいという気持ち。その親が子どもの死の先にも生きて欲しいと願う。


どちらも同じ生きてゆくことを選択しています。




そして・・・


移植医療を選択せずに生き抜く方。その生き方を尊重する家族。


死を受け入れ、様々な看取りを選択されていくご家族。


どの選択も、愛する家族としての決断です。




子どもが病気と共に生きて行かなければならないと分かった瞬間から、親は様々な困難と自責の念に苦しみ、同時に平凡だと思っていた日常に深い感謝と喜びも学びます。


子どもの意思決定が本人の言葉で表出できたとしても、出来ないとしても、親は子どもの意思を感じ考え代諾することで子どもの人生と自分たちが一生背負う自責の念や様々な困難を抱える覚悟を持って責任を果たしていきます。


このあり方は、本当に家族によって様々で、だからこそ当事者にしか分からない気持ちとなっていきます。




障がいや病気と共に生きる子どもと家族。


その全ての方々が社会から温かく見守られ、優しさに包まれていると感じられる社会でありますように。




家族が死を迎える時に、自分はどのように看取るのか。


自分はどのように死に向かい、死んでいきたいのか。




みんな同じ課題を抱えています。




自分も同じ選択をしたかもしれない。するかもしれない。


その時、自分だったら社会からどのようにして欲しいと願うのか。


当事者とならずにすんでいる方にも考えて頂けたら幸いです。