久々の更新のくせに中国ネタではなくて、申し訳ないですが、

少し書きたくなったので書いてみます。


先日「沈まぬ太陽(著:山崎豊子)」全五巻を読みました。


途中から思い続けていましたが、読み終わって改めて、こんな後味の

悪い爽快感の無い本は久しぶりでした。「疾走(著:重松清)」以来

ですね。私は本を読むのが好きで、特に司馬遼太郎先生、

宮城谷昌光先生の小説は特に好きで読むたびに爽快な気分に

なれます。経済誌や経営哲学などの小難しい本はあまり読み

ません、あくまでも趣味として読書をしています。


上司に勧められ、面白そうかなと思って読んだ今回の「沈まぬ太陽」、

ミリオンセラーの傑作という触れ込みでしたが、批評せずには

居られない本です。


簡単にストーリーに触れますと、国民航空(間違いなくJALの事)の

社員である主人公「恩地元」(おんちはじめ)が、組合委員長として

空の安全のために闘った結果、会社に疎まれナイロビなど10

海外をたらい回しにされるのが、12巻がアフリカ編、1985年の

日航機墜落事故をモデルに書かれたのが、3巻の御巣鷹山編、

事故からの会社建て直しを図るため会長室に抜擢された主人公が、

JALの不正を暴露していくのが、45巻が会長室編となっています。

実話にアレンジを加えて書かれたフィクションと言うことになって

いますが、読んでいて2巻の途中ぐらいから違和感を持ちました。


何が違和感って良い役(恩地や国見会長など少数)と悪役

(行天四郎、轟鉄也など多数)で、あまりにも表現に差がありすぎ

ます。ここまでくると差別と言って良いでしょう。良い役が話をする

ときは、「誠実に話した」「真摯に訴えた」などの表現を使い、

悪役は「棘のある言い方をした」「口を歪めて話した」等と常に

悪く書いてあります。そのような事は書かれた台詞の内容に

よって読者が判断すれば良いのであり、毎回しつこく書く必要は

ないものです。また悪役はいつも豪華スイートルームとか、

豪華クルーザーの船内とかで、豪華な食事や酒を下品に

飲みながら悪巧みをしています。ここまで来ると笑えます。


他にも違和感はたっぷりですが、この本を読んで主人公の

恩地元を「すごい人だ。頑張ったんだな~」などとは絶対に

思えないです。あまりにもこの主人公を美化しすぎなのです。

そこにこの違和感の決定的な原因があります。


さて、この主人公にはモデルがいます。小倉寛太郎という人物で、

既に亡くなっています。故人の悪口は言うものではありませんが、

主にこの人物を取材して出来た小説なので、少しご容赦下さい。


非常に気性の激しい闘争的な人物だったようで、実際にJAL

組合委員長だった時に会社側と徹底的に闘ったようです。

小説でもその様子は書かれていて、実際に首相の帰国フライトを

ストにより欠航に追い込む事を武器として、会社側から譲歩を

引き出したりしています。その過激な活動から「アカ(共産主義者の

蔑称)」のレッテルを貼られ、海外に飛ばされた事になっており、

小説と事実は大差ありません。但し、ここで主人公の行動は100

正しい事として書かれているために、違和感があったのです。


他の記事を読むと、小説はやはりかなり脚色されているようで、

事実と反する事を書き主人公を美化しているので、違和感が

あったのだと思いました。


実際にとった彼の行動はあまりに過激で、例えば社長の令嬢が

危篤となった時に会社側が会合の延期を申し入れたのに対して

「敵の弱みに付け込むのが闘争」として、会社側の要求を蹴り、

結果社長は令嬢の死に目に立ち会えなかったというエピソードが

あるほどです。


そのようなあまりに激しい闘争の結果、組合内部でも異論が出て、

結果として組合は分裂(小説では会社側が御用組合を作ったことに

なってしますが、実際には分裂したようです)、闘争派組合は

会社によって、さらに分断工作を仕掛けられ、少数派になって

差別を受けてしまうという辺りは小説の内容が大体あっているように

思います。


その結果でひとつの会社に組合が2つ出来ると言う異常が発生す

訳(現在はなんと10組合もある)ですが、この原因の一端は明らかに

恩地にもあると思います。そしてそのいびつな労使関係がかえって

空の安全を損ねたのも事実でしょう。小説でもそのように書かれて

いますが、分裂させたのは会社で、恩地はまっとうに闘った正義漢で、

会社に謀られた悲劇の人物として書かれています。ここで違和感が

否めないのは、回りまわって空の安全を脅かしたのは恩地にも

大きな原因があるという事実を曲げて書かれているからでしょう。


さてこの小説、それならば読む価値が無いかと言うとそうでは

ありません。特に第3巻、御巣鷹山編は、特に読む価値があります。

日航機墜落事故の生々しい悲惨さが実によく描かれています。

この事故の時、まだ小さかった私はこの本を読むまで詳しく

知りませんでしたが、本当に大変な事故だと認識する事が

出来ました。この辺りは山崎先生の文筆力、取材力というもの

でしょう。但しここで注意したいのは恩地という主人公を無視して

読むことが大事です。事実小倉氏は、この事故における遺族係り

などしていないし、事故の対応などはほとんど何もしていません。

小説として面白くするために、色んな頑張った人物の活躍を横取り

して、さも恩地がしたように描かれています。ですので、かなり

無理があり、やはり違和感が大きいです。


同様に45巻もJALの腐敗した状況がこれでもかと書かれて

いますが、残念ながら、恩地及び国見会長(恩地と並んで

最大級美化された人物)を美化しすぎるあまり、内容を

取捨選択して読む必要があります。


よってこの本はちょっと考えながら読まないと、とんでもない

誤解を生じてしまう危険性を持った本であり、普段あまり本を

読まない人がいきなり読むにはハードルが高いと思います。


JALが現在、実際に破綻した事実がある以上、JALという

会社組織には大きな問題があったのは事実だろうし、その事実の

一部はきちんと書かれているのでしょうが、恩地(小倉氏)が

嫌いな人物が必要以上に徹底的に悪く書かれているので、

そこにフィクションが混合してしまい、読むのが大変です。


例えば国見会長のモデルは明らかに、伊藤淳二氏でカネボウの

会長からJALの会長になった人物ですが、小説の中に、彼を

よく思わない悪役がマスコミを使って誹謗する場面があります。

その誹謗内容の1つにカネボウが粉飾決算をしているという

ものがあり、小説ではこの件でカネボウの社長と国見が

「根も葉もない誹謗中傷だ」と憤慨しながら談じていますが、

この小説が発表された後でカネボウは実際に粉飾決算が

明るみになり経営破綻しています。即ち国見は小説で書かれて

いるほどの清廉な人物ではありません。墜落事故後に会長に

就くと言う、火中の栗を敢えて拾った勇気、義侠心は認めますが。


実は小倉氏が何より言いたかったのは、「俺はアカじゃない。

俺をアカ呼ばわりした奴は許さない。」という事ではないかと

思います。小説の中にこのようなくだりがありました。恩地の

娘が結婚するという話のときに、結婚相手の父親が「アカの娘と

結婚させる訳にはいかない」と言われたと娘が父である恩地に

相談するシーンがあります(恩地は激怒する)。そして小説では

その釈明に婚約者(誠実そうな人物だと書かれている)が現れて、

「父親はそんなことを言っているけれど、私はそんな事は思って

いない。そして私達は愛し合っているから結婚させて下さい」と

言ったのに対して、恩地が「私をアカよばわりするような父親の

息子と結婚させる訳には行かない」と正々堂々、毅然と突っぱねた

という風に書いてあります。ですが、私ならば、相談を受けた時、

「私はアカではない。だけどそう思われるような行動をしてしまい、

誤解を受けた。そのせいで娘の結婚にまで迷惑を掛けて本当に

娘に申し訳がない。」と思い、婚約者が誠実そうな良い人物と

書かれているのだから、彼にに対しては「君の気持ちは良く

分かった。君にも迷惑を掛けてすまないね。娘からも話をよく

聞いて、実際の私を君の父上によく言っておいてくれないか」と

言うと思います。


この場面が私は最も違和感を覚えました。山崎先生ほどの作家が

こんな風に書くものだろうか?これは小倉氏に半ば強制的に

書かされているのではないか?と思ったほどです。


事実小倉氏を取材中に、彼が「俺はこんな風に書いてくれとは

言っていない!」と怒って席を立って行ってしまった事もあるらしいです。


ここからは私の妄想です。


小倉氏は人を取り込むのが天才的に上手いのだそうです。

この小説を書こうと思い立った山崎先生が小倉氏に取材を

申し込み、小倉氏はこの際自分をアカ呼ばわりした連中に

復讐するために、山崎先生を取り込み、小説を書かせたのでは

ないかと疑いたくなります。


さらに妄想です。


山崎先生は取材を重ね小説を書いていくうちに、小倉氏が実

思っていたような人物ではなく、かなり危ない人物である事に

気がついたのではないか?だけどいまさら書くのを止める訳には

いかない。そこで、敢えて極端に彼を美化して書き、そこに

消化不良を起こすぐらい盛りだくさんの修飾をちりばめ、

読者に違和感を持たせて、恩地という人物は決して正義の

男ではない事を気づかせようとしたのではないか?


この妄想はちょっと極端なものかも知れませんが、そう疑い

たくなるほどの内容です。


JALの腐敗した体質の一端、まだ通信手段の少ない1960年代に

10年もの間中東、アフリカを転々とさせられた孤独感、

日航機墜落事故の詳細などはよく書かれていると思いますが

この本は読み手にストーリーの裏にある何かを考察する事が

要求される一冊だと思います。