仕事は順調に始まった。適応能力の高い陽向だ。新しい仕事はともかく、まず職場の人間関係は問題なく、受け入れてもらっている。


「まあ、お前のことだから、その辺は心配してなかったし」

月征はあっさり言って、缶ビールを一口飲んだ。
毎晩、月征と晩酌しながら、職場であったことなんかを語り合うのが日課になってしまった。まるで高校の時に戻ったみたいに楽しい。


「お前、そういえば直ちゃんとデートしてる? 俺に気を遣ってるんだったら…」

陽向がここに来て1週間。直の姿をこの家で見たことはないし、月征が極端に家に帰るのが遅くなったり、外泊したりもない。


「あー、お前の歓迎会の時以来会ってないかな? けどいつもそんなもんだぞ?」

聞けば、デートは多くても週1くらいらしい。お互い忙しくて、合わせるのが難しいらしい。


「うわ、月征先輩、つめたっ」
「…うるさいな。別にデート回数多かったら、仲いいってもんでもないだろ?」

…と言い切る月征は、何があっても自分たちは揺らがない、という自信があるのだろう。

――それはそれで羨ましいけど、直ちゃん、可愛くなったからなあ。どうなっても知らねえぞ。


親友の恋の行方を、つい気にかけてしまう陽向だった。


「お前は?」
「は?」
「羽田と。ゆっくり会った?」
「いや…」

やっと明日初めての休みだ。遠距離が解消されたら、毎日のように会えるかと思ったが、やはりそうはいかない。陽向には仕事もあるし。


「明後日の日曜、家に来てほしいって言われてる」
「おー、家族に紹介する的な?」
「なのかなあ。なあ、お前、直ちゃんの家族に会ったことある?」
「…何度も」

あの直ちゃんを育てた親だからなあ。そりゃ真っ直ぐで裏表のない人たちなんだろうな。娘は絶対彼氏の愚痴なんて親にこぼしたりしてないだろうから、
月征が向うの両親から信頼得るのも、容易だろう。


「なあ。最初の時って緊張しなかった?」
「えー、いや、あいつ送っていったついでだったから、そうでもないかな」
「そっかあ」

月征の意見はあまり参考にならないと悟ったのか、陽向は言葉少なに相槌を打った。


「らしくねえ。緊張してるのか?」
「…するだろ」

母親には何度も会ってるが、詩信の話し方だと、今回は父親もいるようだ。
詩信の父親は大きな会社の重鎮だという。男性恐怖症の娘が付き合う男に対して、どんなことを言ってくるのか、想像もつかない。



「ま、最初の試練だ、頑張れよ」
「行きたくね~~~~~」

月征の前では、つい詩信には言わない本音も吐き出してしまう陽向だった。

日曜日、一応面接の時と同じスーツを着込んで、陽向は詩信との待ち合わせ場所に赴いた。

詩信は春っぽい薄いピンクのワンピースに、白いノーカラーのジャケットを羽織ってる。

いきなりお宅訪問は敷居が高すぎるため、詩信と待ち合わせて、一緒に詩信の家に行く予定だ。


「しーちゃんちに何かお土産買っていきたいんだけど、何がいいと思う?」
「え? うち?」
「うん」

手ぶらはないだろ、と月征に叩き込まれたのだ。それも陽向が勝手に買うよりも、詩信の家でよく買う菓子や果物の方が外さないとも――。


「お母さんは洋菓子なら何でも食べるけど…お父さんは甘いの食べないし」
「そうなんだ」
「うん。だからなんでもいいと思うよ」

いや、良くないって。結局詩信の家の最寄りの駅で、最近人気だというバームクーヘンを手土産に、いざ、陽向は詩信の家に向かった。

敵地に侵入する兵士みたいな緊張感だ。吹奏楽のコンクールの本番前だって、基本、緊張とは無縁の陽向なのに。


「…ひなちゃん、お母さんとは会ったことあるじゃん」
「うん…そうなんだけどさ…ラスボスとは…」
「ラスボスってお父さん?」

大袈裟な言い回しに、詩信はくすっと笑った。


「俺にとってはね」
「大丈夫。二人とも私には甘いから」


詩信の手が、ふわりと陽向の手に絡みつく。こんな風に詩信の方から、自然に触れてくれるようになったのも、すごく進歩してる。

関係は一気になんて詰められない。ちょっとずつ歩み寄って行くものだ。
詩信の小さな手に勇気を得て、陽向は詩信の家の立派な門をくぐった。