翌日、メルシンの街散策に繰り出した。この周辺一帯は市場地帯なのでいろんな店を見て回る。まずはカラフルな野菜が並ぶ店。

眩しいほどに原色ばかりなので食品サンプルの店かと思い、つい指でつついてしまった。衣料品店には軍服が売っているコーナーがあった。

中国にも軍払下げグッズを売る店があるが、軍服って普通に買えるものなのね。路上商売で印象的なのは靴の修理屋さん。

使っている道具がエキゾチックなメッキ装飾されている上、年季が入って薄汚れているので骨董品のように味わい深い。


 その時だった。通りを埋め尽くす集団がホイッスルの音やシュプレヒコールを上げながらこちらへやって来た。

何かのデモだろうか。いくつかのグループが集結しているらしく、グループごとに同じ色の帽子をかぶり、同じマークの旗を手に持っている。見る限り子供から老人まで幅広く動員されていた。

すると突然デモ隊の中から煙幕が上がってちょっと驚いたが、これもパフォーマンスの一つのようだった。そうか、今日は51日。メーデーのデモ行進なのだな。

邪魔にならないよう路肩に身をかわした所、ちょうどいい所にCD屋を見つけたので早速中に駆け込んだ。このデモはてっきり市場で働く人々が中心になって行っているのかと思ったが、CD屋の店主によるとそうでもないらしく、むしろ商売の邪魔だとやや煙たそうに見ていた。店の前を行進するグループの中には、きっと一部だと思うが、旗の図柄から共産党やクルド労働者党に近いと思われる勢力もいた。

 

何はともあれ、僕は水を得た魚のようにトルコポップスのCDやカセットをあれこれ物色。好きなアーティストの名前を挙げ、店主にも探してもらっているうちにチャイまでご馳走になってしまった。CDが店頭に無いアーティストの作品はパソコンに入っていて、CD-ROMに焼くサービスもやっていた。こちらの方が安いので、最近はCD自体を買うよりも一般的になっているようだ。僕としてはちょっと物足りない気がした。やれやれ、ナップザックの中がほとんどCDになってしまった。

デモ隊が去って静かになったので、市場エリアのメインである魚市場も覗きに行った。さすが港町、あっちもこっちも全て魚。魚屋さんがどこまでも続いている。おお、日本人か! ようこそメルシンへ! 気が付くと僕は店先にいた四、五人のおっちゃん達に囲まれていた。

まあ、チャイでも飲んでけ。ガラスコップに入ったアツアツのチャイを持たされ、もう片方の手にはパンを一個持たされ、身動き取れなくなった。先程のCD屋もそうだったが、チャイは近くの喫茶店から出前を頼んでいるようだ。客接待のチャイ代は商売に必須の経費ということか。そんなこんなでチャイは三杯、パン一個、それに吸えないと言ってるのにタバコを一本頂いてしまった。そんな歓迎をしてくれながらも彼等は仕事の手を決して休めることは無く、顔をこちらに向けて人懐っこくおしゃべりしながら魚を三枚に下ろす器用な手捌きを目の当たりにした。

 

そんな優しき仕事人達の空間を満喫した後は、腹も減ってきたので約束通りカフェ紫に向かう。夕べはどうも、なんてエミルさんと挨拶を交わすも束の間、早速焼き飯に唐揚げ、味噌汁そしてポテサラを注文。唐揚げは何となくコンビニで売っているチキンのようだったが、それはそれでいい。一番純日本的だった味噌汁をゆっくり味わいながら、トルコとしばしの別れの決心をつけた。

では、これからスィリフケに行って船に乗りますと告げ、エミルさんとお別れをした。トルコでの日本食も今日で最後か。少なくとも今日の時点ではそう思っていた。

 

スィリフケ行きのバスに乗り込んだ僕、せっかく別の街に入ってすぐ出てしまうのも味気ないので、一ヶ所ぐらい名所を観光しようと思った。気になった場所はクズカレスィ(乙女の城)と呼ばれる海の上に浮かぶ城跡。スィリフケの名所とは言え中心から30キロ近く離れた郊外なので、終点に着く前に途中下車することになる。

かくして降りたその海辺、なぜか泳ぐ人よりもサッカー等球技を楽しむ行楽客で賑わっていた。そして数十メートル沖の方には確かに白い城壁が浮いていた。かつて訪れたレバノンのサイダという街にも十字軍が建てたという城が海の上にあったが、それよりも規模は大きい。

サイダの城は浜辺から一本道がつながっていたが、こちらの城はどうやって行くのかと言うと、浜辺で客待ちしているボートを捕まえ、船頭と横並びに座り、二人でペダルを踏みながら城まで向かうのだ。しかし行楽客は多いものの城の人気は今一つな感じ。とりあえず僕はヒマそうな一艘を捕まえ、城まで漕ぐことに。

間も無く到着した城跡は、城壁に囲まれた空洞状になっていて、巨大な水槽のようだった。その昔、王女に呪いがかかったと信じた父王が、海なら呪いが及ぶ圏外だという解釈のもと、彼女の住居として建設したのだという。何という草かは知らないが、花も茎も葉も全てトゲトゲで、どこを触っても痛い草が城内至る所に生えていた。草花さえも王女を守ろうと重武装しているかのよう。

城壁の上に上がって海を見渡すことができるが、壁の幅は意外と狭く、眼下の海面を見下ろすとその高さに思わず足がすくんだ。

海の上の住居というのはロマンチックと取れなくもないが、いきなりここに住め、と言われた王女の気持ちは如何許りか。半幽閉状態の孤独感こそあれ、呪いからの解放を喜んだとはちょっと考えにくい気がした。

同じボートで海辺に戻った僕は再びバスに乗ってスィリフケ市内へ。適当なホテルにチェックインし、近くの飯屋でイスカンデル・ケバブを味わい、明日午前の出発を夢見ながら眠りに着いた。

 


 翌朝、スィリフケから北キプロスへの出発口であるタシュジュ港に向かった。ここからスピードフェリーが出ており、二、三時間ぐらいで行けるらしい。期待で胸を膨らませながら事務所らしき部屋の扉を叩いた。中から出てきた一人の係員にスピードフェリーの乗り場を聞くと、係員は表情一つ変えずにさらりと言った。

「今この季節、スピードフェリーは運行していないよ。」

 

え? 聞き間違いかと思いもう一度確認してみる。

「スピードフェリーは夏だけの運行なんだ。」

そ、そんなことが!? 時刻表の変更とかじゃなくて、運行自体していないなんて。これからまだ見ぬ新しい国に張り切って踏み込もうとしていたのに、いきなり塞がれた道。じゃ、今の季節はどうやって行けばいいんだ? そうだ、スピードフェリーがダメなら、ゆっくりのフェリーなら出てるんでしょ? 今日は何時頃出る予定なの? 係員は言った。

「普通のフェリーは週一便だ。次の便は三日後だな。」

 

僕は来て間もない街で早くも肩を落とした。溜息をついた後、しばらく空を仰いでから、目の前に広がっている波の無い穏やかな水平線を見渡し、見えるはずもないキプロス島を探していた…。