ギルネの街はびっくりするほど観光リゾートだった。

欧米人観光客で賑わうオープンカフェや土産屋が石畳の坂に並ぶ。半ば密航者のようにやって来た僕には拍子抜けである。トルコ人と思しき旅行者も多いが、本国では禁じられているカジノ目的かも。英語が上手な両替屋の兄ちゃんから近くの安宿を教えてもらった僕は、とりあえずそこにチェックインして荷物を置き、今度はハーバー沿いに歩いてみる。澄んだ紺色の地中海に所狭しと並ぶ観光船、そしてセレブな感じのヨットやクルーザー。

船は各所で自己主張するようにハルクと呼ばれるトルコ演歌やヒップホップをガンガン流し、その辺一帯のBGMを演出している。そんなヨット達や飛び交うカモメを間近で眺めながら、エフェスビールの広告の入ったパラソルが並ぶオープンカフェで腰を下ろす。35リラ(1,400)はちょっと高かったけど、イカリングのタルタルソース添えでちょっと贅沢な朝食。

何かこの景色、この食事、この雰囲気、中東っぽくないな。


 食後は街の中心に向けて勾配の大きな石畳の坂を降りていくが、道は広くないのに行き交う車が絶えない。途中見つけたCD屋を物色したが、予想通りほとんどがトルコ本国の作品だった。店員に教えてもらい、隅っこの棚一郭に北キプロス・ポップスのCDを見つけたので56本購入。現金がもう少し残っていたら全部買い占める所だったが、買い占められるぐらいの量しか無いレア物なのだった。

 

坂を降りきるとそこはキレニア城を中心とした街の中心だ。かつて十字軍によって建設され、その後この地を支配したベネチア共和国が行政府として使ってきた城である。先日スィリフケで見た海上の城「クズ・カレスィ」と同様、今残っているのはほぼ城壁だけだが、規模はキレニア城の方が10倍ぐらいあるだろう。広々とした城壁の上を歩いていると風が気持ちいい。

実はキレニア城の現在の正式名称は沈没船博物館。城壁の内側いっぱいの場所を取り、紀元前のギリシャの沈没船が展示されていた。


 未承認国家にもかかわらず街中を歩く人々は意外と国際色豊かである。それも旅行者という感じではなく長く生活しているような。黒人もよく見かけるし、ある意味トルコ以上に幅広い国の人々がこの小さな街に住んでいるようだ。ただ日本人のような東アジア系だけは見かけない。そんな無国籍な雰囲気ゆえか、どこを歩いてもトルコと違ってあまり珍しがられることもなく、構ってくる人も少ない。イギリス領だった歴史的関係でトルコよりは英語が通じるのだが、どこか人との距離感がある。そんな所もちょっと中東らしくない。

旧市街の路地を散策すると、そこは中東とも欧州とも言えない石畳の迷路のような空間だった。キレニア城に合わせて黄銅色の石を積み上げた建物や壁。時折現れる地中海的な白い壁と青い窓枠や扉の建物が眩しい。

ふらっと辿り着いたイコン博物館はかつてギリシャ人の教会だった。この国の史跡の多くはヨーロッパの歴史と関係しているものが圧倒的に多い。

この島がヨーロッパ文明の中に身を置きながら長い歴史を歩んできたことがわかる。その中で少数民族として暮らしてきたトルコ系住民がある時権利を主張し、ヨーロッパ文明と衝突した結果、言わば成り行きで中東圏になってしまったのがここ北キプロスというわけか。

 

夕方は北キプロス名物の郷土料理シェフターリ・ケバブを頂いた。黒光りしたソーセージ状の肉の中にはピリ辛の香辛料が濃厚な肉汁と一緒に包み込まれて味わい深く、サイドに控えるポロフ(松の実入り炊き込みご飯)やトマトと一緒に頂くと時間も忘れてしまう。食べ終わる頃には外はもう暗くなっており、アザーンが鳴り響き始めた。


 夜はキレニア城もうっすらライトアップ、もう少し照らしてもいいぐらい。

気候が心地良かったのでしばらく夕涼みなどしていると、広場のベンチに座る若者達のトルコ語の歌声がギターの調べと共に流れてきた。哀愁漂うフォークソング風な歌でその場の風景に合っており、つい聴き入ってしまった。もっと近くに寄って聴きたくなったが、歩き出そうとしたその時、彼等の歌声は突如流れ出した大音量のトルコ国歌にかき消された。音の方に顔を向けると、キレニア城近くに設置された巨大スクリーンでトルコのサッカーリーグの最終決勝が放送されていたのだ。ベシクタシュとガラタサライの両強豪チームが各々胸に手を置いて整列する中、国歌の演奏が行われていたのだった。そんな大画面を見下ろすキレニア城には白地に赤い三日月の北キプロス国旗、その隣には赤地に白い三日月のトルコ国旗が翻る。そう言えばこの国に来てから見かける北キプロス国旗の隣には必ずトルコ国旗が対になっている気がする。トルコが見守る中で独立が保たれている今の体制を現している組み合わせだ。この国の人々が見る大画面の一戦は、単に隣国のサッカー中継程度の意味ではないのだろう。場の雰囲気が変わってきたので僕は広場を後にし、路地で見つけたネットカフェでしばしダラダラ過ごすのだった。