翌朝ドルムシュが発着する一郭に向かった僕はこの国の首都レフコシャに向かった。ギルネ到着が一日遅れたので、当初予定していた北部の歴史都市ガジマウサ(ギリシャ語名ファマグスタ)に行くのは諦めた。交通手段は庶民の足であるドルムシュだが、車内には外国人が結構多い。そしてやはり観光客風ではない。

30分程でレフコシャに到着し、道沿いを歩いていると、僕の真横に停まる一台の車。そして中の男がいきなりトルコ語で道を尋ねてきた。僕が現地人に見えたのか? なんてまさか。少し歩いて行くと中東工業大学という大学の門に差しかかった。この時同じドルムシュにいた黒人がちょうど門の中に入って行く所だった。どうやら北キプロスは海外から留学生を多く受け入れており、街中でよく見かけた観光客らしくない外国人はここの留学生のようだった。さっきの車も僕を留学生だと思って道を聞いたって所だろう。

 

やがて辿り着いた旧市街。この一帯にはかつてシルクロードの隊商宿だったキャラバンサライを中心に古い建物や街並みが残され、その隙間隙間に小さな店がバザールのように所狭しと並んでいる。

旧市街入口の一番手前にあったメブレビ教団博物館を見学。旅の初日夜にイスタンブールで見た旋回舞踊のスーフィー儀式を行うイスラム神秘主義教団に関する博物館だ。

スーフィーの本場はトルコのコンヤと言われており、なぜここに博物館があるのかはわからない。旋回舞踊のマネキン展示の他、スーフィーに帰依していた著名人の肖像と共にその棺らしきものが並ぶスペースがあった。昔帝政ロシアと戦いを繰り広げた北カフカスの英雄シャミーリの棺もあったが、彼のお墓って北キプロスにあるということなのか? しかも博物館の展示のような形で。

石畳の細道と石積の建物が並び、所々でブーゲンビリアの赤紫の花が鈴なりに咲き乱れ、地中海文明の香りを漂わせる。中心であるキャラバンサライは四方壁に囲まれた中庭スペース、各壁にあけられた横穴式客室跡等は昨年アゼルバイジャンで宿泊したキャラバンサライ・ホテルと同じ形をしていたが、こちらは今商店街機能となっており、横穴は全て土産物屋になっていた。トルコ民族主義を掲げ、独立以来最近まで長期政権を敷いていたデンクタシュ初代大統領のマグネットは気になったが、ちょっと高かったのとあまり顔の売れた人でないので買うのはやめた。

キプロス島の地図がデザインされたキャリーバッグもちょっと欲しかったが、家にはキャリーバッグあるしな。ある店先に飾られたTシャツは北キプロス軍の兵士達の写真と北キプロス国旗がプリントされていた。

これはかなり欲しいかも。店に入り、これいくら? と聞いてみると、それはフォトプリントサービスのサンプルですよ、と言われた。あ、ここ写真屋さんだったのね。

 

商店巡りはこの辺にして、ここに来た目的にトライしてみよう。東西の異なる文明が重なるここキプロスは元々一つの国で、ギリシャ系住民とトルコ系住民が共存していた。しかし1974年に両民族間で紛争が勃発。ギリシャとトルコがそれぞれの民族を支援した結果、国は南北に分断した。以降ギリシャ系中心の南側は欧州の一国として、トルコ系中心の北側はトルコのみが承認する半属国状態のまま別々の道を歩み続け、再統一のチャンスが見えないまま現在に至っている。そして地理的に真ん中に位置するこの国の首都もまたグリーンラインと呼ばれる境界線によって南北に分断され、北側はレフコシャ、南側はニコシアと同じ地名がそれぞれの言葉で呼ばれ、それぞれの首都となっている。つまりここは世界でただ一つ残された分断都市なのだ。そんなわけで旧市街のメインスポットはグリーンライン。外国人がここを超えるのは比較的容易だと言われているが、通常多くの観光客は南側に入国してから、ちょっとだけ北側に入るパターン。だが僕のケースは逆だし、パスポートには北側のスタンプがある。果たしてこのラインの向こうに行けるのか? 仮に行けたとしてまた北側に戻って来れるのか?

 

僕の中では南側のギリシャ系キプロスは欧州の国だし、実際EU加盟国だ。仮にラインを越えられなくても僕のアジア(中東含む)踏破の目標に影響は無い。とは言え外国人には徒歩で越えられる程近いが、地元民には絶対に越えられない壁がそこにある。こんな分断都市の境界線を目の前にして通らない手は無い。既に目標よりも興味が先行していた。すぐ近くにツーリストインフォメーションのスタンドがあったので聞いてみた。

EUの観光客なら、北側のスタンプの入ったパスポートでも南側に行けるし、その後こっちに戻って来れるわ。ただごめんなさい、日本人が同じ扱いかどうかは今までもあまり事例が無いのでわからないの。直接ボーダーまで行って聞いてみて。」

窓口のお姉さんもわからないようだった。ではしょうがない、ボーダーに行ってみるとしよう。

かくして北側のチェックポイントには二人の係員がヒマを持て余している様子だった。僕が近付くと彼等はパスポートをこっちに出してという手振りをするので、パスポートを渡しながらこっちに帰って来れますよね? と聞いた。彼等はそれに答えず、ただボコーンと出国スタンプを捺し、先に行くよう促した。何かに化かされたかのようにキョトンとしながら僕はボーダーの先に向けて歩き出した。

そこは一人通るのが精一杯なぐらい細い道。誰かが書いて作ったような「ノー・ボーダー通り」という札が貼られたその道には「我々は一つ」とか「無人地帯」とか、いろんな団体による思うがままのメッセージがあちこちに書き殴られている。そしてここは本当の意味でのアジアとヨーロッパの境であった。


  (南側キプロスのレポートは次回番外編としてお送りします)


三時間後、とりあえず腹が減ったので北側に戻って来た。再入国のスタンプを無事頂いて旧市街と再会。

正面に教会を改造したモスクがあったので中を見学した。南側でもモスクは見たが、規模は北の方が圧倒的に大きい。広大かつ奥行きある礼拝堂を覆い尽くせる絨毯にも感服したが、土地の起伏激しいキプロスだけあって床が平坦ではない。それどころか丘のように盛り上がった場所まであり、滑り台ができそうなぐらいの急勾配だ。礼拝スペースとして使用できる場所は限られているが、そこを除いても屋内は広大だ。元の教会跡を増築して大きくした結果なのかも知れない。

グリーンラインの目の前のモスクだけに北側の意地のようなものを感じた。

 

さて、本格的に腹が減った。ガイドブックに書かれていたトルコ風パスタなる店があると聞いて行ってみたが、生憎閉店していた。南側で三時間歩き続けた疲れと相まってフラフラになりかけたが、その近くにトルコランプのようなエキゾチックな装飾のレストランを発見。飛び込むようにその店に入ると、人懐っこい店主とその娘と思しき可愛らしい女性が切り盛りしていた。お勧め料理をちょうだいと頼んで出てきたのはケバブとチーズを煮込んだシチュー。

これをピタパンっぽいポケット状のナンのようなパンに盛り込んで頂く。アツアツの肉とスープをフウフウ冷ましながらピタパンに入れるなんて美味いに決まっている。旅の疲れも一気に吹っ飛び元気回復だ。短い滞在だった北キプロスのラストにこれを食べられて幸せな気分だった。

 

明日イスタンブールに帰るフライトは8時半だが、レフコシャ・エルジャン空港は郊外にあって中心から遠いので、明日は4時起きだ。空港行きのドルムシュの乗り場近くにあるホテルにチェックインした。カジノのある場所だけにそこそこ大きいホテルだったが、トルコでは使えなかったアメックスが使えたので、現金が底をつきかけていた僕は救われた。もちろんそんな経済事情なのでカジノに行く気は特に無く、ジムのプールがガラ空きだったから、その夜は一人占領して泳ぎまくった。明日はイスタンブールに戻り、いくつかやり残したことを済ませたらいよいよこの旅も終わりだ。