まだ夜の明ける前、眠さを押し切って身を起こし、ホテル向かいにある駐車場のようなバス発着所へ。やや肌寒い中、発着所には僕以外にも三、四人ぐらいおり、うち一人が配るクッキーを頂きながら待っているうちに一台のバスが現れ、エルジャン国際空港へと向かった。出発の一時間半前には空港に到着したと言うのにフライト時刻の8時半になっても何の放送も流れない。係員にチケットを見せて聞けば、フライトは一時間半も遅れるらしい。何も無い空港でボーッと時間を潰し、やがてやって来たペガサス航空なる小さな飛行機でキプロス島を発った。密航船に乗るようにして辿り着いた北キプロス。そして思わぬチャンスで南側キプロスも少し覗くことができ、今回の旅でアジアとヨーロッパを行き来した気分を味わえたのはボスポラス海峡よりもむしろこっちであった。上空からまだ見える巨大なマッチ箱のようなキレニア城に別れを告げる。

機内では飲み物を配り始めたが、受け取ろうとすると値段表を一緒に見せられた。あ、これは最近流行りのLCCの飛行機だったんだな。飲み物さえも有料だったとは。ユーロも無く、リラも僅かしか無い僕は喉の渇きをしばらく辛抱しながら、飛んでイスタンブールへと戻った。

 

国内線が多く発着するサビハ・ギョクチェン空港はイスタンブールのアジアサイドにある。僕が気になっていたマントゥの専門店が同じアジアサイドのカドゥキョイにあったので、朝昼を兼ねた食事を摂りに早速向かった。世界遺産の多い旧市街と違い、観光客の姿はほとんど見られないカドゥキョイ。所々で派手な柄の民族衣装をまとって花を売る女性はジプシー(ロマ族)だろう。生活雑貨の露天商も多い。靴磨きのおっさんに場所を尋ね、自信無さげに路地を行ったり来たりしているうちにやがて目的の店に到着した。

専門店だけに量もケチっておらず、プニっとした皮と僅かながらもちゃんと存在を主張している肉、その上にふりかかった酸っぱいヨーグルトを存分に味わえた。パワーを吸収した僕はそこから埠頭まで歩き、フェリーに乗って旧市街まで行った。そこからは難なく初日に宿泊したメリフ2に到着。ああ、戻って来たんだなぁ。そもそもイスタンブール自体今回の旅が初めての訪問な上、5日か6日離れていただけだというのに、この辺の建物も乗り物も懐かしさを禁じ得ないのはなぜだろう。そんな居心地良さがこの街にはある。美人女将のアイシャさんに挨拶し、夕方から夜9時頃まで休憩の予約、更には大荷物を預けた僕はグランドバザールに向かった。初日に訪ねたトルコランプのお店Heaven's Doorに行くためである。最終日の今日は日本人女性店主のTさん、そして小さな娘さんも一緒にお会いできた。トルコ人の旦那さんはランプの販売とオーダーメイド加工を、Tさんはランプ以外の雑貨やアクセサリーの仕入れを主に担当しているため、前回訪ねた時は仕入れの外出だったらしい。彼女のブログからイスタンブールの観光情報を沢山入手させて頂いていたので、お土産は絶対このお店で、と決めていた。チャイも頂きながら日本人がいかにも好みそうな品々を物色し、狭い自宅でも飾れそうな小さなランプと絨毯柄の石鹸や財布等を購入。しばし談笑した後で再び出発した。

市内にCDの問屋であるエセン・ショップという所があると聞き、最後にぜひ行きたいと思ったのだ。そこは旧市街とは別のウンカパヌという地区にあるのだが、そこまで行けるトランバイ等の便利な交通機関は無かったので、ひたすら歩いた。店のある地区は全く不案内なので下手にタクシーに乗り、その地区のどこかで降ろされても却って迷うから、地図通りに行く方が確実だと思ったのだ。車だけが行き交う殺風景な車道、タイヤ屋やレンタカー等ドライバー相手の大柄な店舗ばかりが続く中、約30分まっすぐ歩き続けた。我ながら朝からよくこれだけ動けるものだ。マントゥのお陰か、CDが欲しいからか、アイシャさんやTさんと日本語で話せて気分がいいからか、久々のイスタンブールの懐かしさか、よほど観光地でなければ外国人がそんなに浮かない居心地良さか、トルコ最終日だからか。歩きながらも僕がこれだけ動ける理由がなぜかいくつでも思いつく。

 

やがて辿り着いたエリアには飾り気無く番号が表示された建物が林立していた。店の住所に書かれたビルの番号を探して中に入る。規模の大きな雑居ビルといった感じで、中には店舗ともオフィスとも倉庫とも知れぬ雑多な企業が入っていたが、あまり人通り無くシーンとしている。そんな中で人のいる店舗を見つけたので聞いてみると、エセン・ショップなら下の階のあっち側だよと、その人は店の外にまで出て教えてくれた。

やっとこさ到着したCDの問屋。ここなら豊富な種類のCDをどこよりも安く購入できる。中に入ると天井近くまで棚が並んでおり、そこにぎっしりとCDが詰め込まれていた。一般客向けの店でないためか梱包されて背表紙が見えない状態で並んでいるものも多い。宝の山とは言えさすがにこれだけの量から欲しいアーティストのCDを探し当てるのは多分トルコ人にだって至難の技。するとどこからか係のおじさんが現れ、何を探しているのか聞いてくれた。予めまだ手に入れてないアーティスト名をメモしていたのでそれを見せると、彼はあっちこっちの棚を回り、手際良く見つけてくれた。無い作品もあったが、ここで無ければもう国中探しても見つからないのだろう。

かくしてCDをガッツリ買った僕は元来た道を歩いて戻った。途中地図を見ながらエイヤとショートカットを試みたらうまくいき、エジプシャン・バザールに着いたので、そこからはトランバイを使ってホテルまで戻ったのだった。

 

最終日に一通りやるべき事を完了すると、僕の手持ちの現金はもうほとんど無くなっていた。空港にはトランバイと地下鉄で行けるので、その分の交通費を差し引くともう10リラしか無い。ホテルのおじさんにこれだけで何か食べられる所は無いかと相談したら、すぐ隣のロカンタという大衆食堂に案内してくれた。出来合いの料理がショーケースに並び、自由に選んで食べるスタイルの食堂だが、ここにあったチキンライスのように赤みがかったピラフのようなご飯がちょうど10リラだったので、無事トルコ最後の食事にありつけたのだった。

日本に帰るフライトは夜遅くなので、残る時間はホテルで休憩。と言いたい所だったが、普通の部屋は満室だったのでドミトリーに通された。しかも女性用しか空いていないなんて。誰もいないのは幸いだったが、荷物の置いてあるベッドもあったので、ここで誰か戻って来たらどう言い訳すればいいのかと思うと気が気でなく、ゆっくり休めなかった。フライト二時間前の到着から逆算してもまだ早いが、結局夜8時にはホテルを出ることにした。エミノニュからトランバイに乗車。スィルケジ、ギュルハネ、スルタン・アフメット…。聞き取りにくいけど何度か聞いたことのある停留所名が続くアナウンス。ユスフパシャで下車してからやや暗い道を真っ直ぐ歩き、地下鉄アクサライ駅へ。そこからは終点アタチュルク国際空港駅まで一直線だ。安心したのか、一日中歩いたのにホテルでほとんど休めなかったからか、すぐに意識を失った。

 

やがて空港独特のアナウンス音と、車内の多くの人が網棚から荷物を降ろす音が聞こえた。着いたのかな、と目を開いたその瞬間、そこには赤ちゃんの笑顔があった。隣に座っていたトルコ人男性が抱いていた赤ちゃんが最高の笑顔を見せている。トルコ最後の出会いが君でほんとによかった。約二週間の疲れが瞬時に癒された気がした。

 夜間のフライトなので当然、機内ではひたすら眠り続けた。だが帰路への難行はまだ終わったわけではない。無事帰国を果たした僕は今、新大阪にいる。そう、成田往復のチケットが満席で取れず、やむなく手に入れたのは戻りが関空着のフライトだったのだ。で、東京行きの新幹線もまた満席で、大きな荷物を足元に置きながら自由席で約二時間半立ちっぱなし。とりあえず明日一日も休みにしていてよかったが、ま、今回の旅を思い返して反芻しながら乗り切ろう。

 

2007年以来久々の完全一人旅。言葉も全然できない中で夜行バス二回、長距離バス一回、フェリー一回というハードな移動が伴う旅。イスタンブール、エーゲ海地方、中部アナトリアに南部アンタルヤそしてキプロス島と今回大分広範囲に渡って回ることができたが、我ながらほぼ予定通りによく動けたなぁ。その割には訪ねた名所は少な目だったが、それはそれで構わない。観光名所はパフェの上に飾られたサクランボのようなもので、目立つけどパフェ全体から見ればごく一部。その土地を歩き、空気を感じ、多様なアジアに感動するのが僕のスタイルなので、自分の中では高得点の日々だった。北キプロス行きの船に乗るまでの顛末なんて、終わってみれば一番印象深くて楽しかったかも知れない。なんて余裕めいた言葉が出てくるなんて、ここにきてやっと僕も旅慣れてきたと言えるのかな、という少しばかりの自信。人間どんな環境に置かれても、前に進もうという強い思いがあれば案外行けるものなのかな、という再認識。いやいや、そうは言ってもやはり全ては行く先々で親切に道を教えてくれたり、助けてくれたトルコの人達のお陰、という感謝の気持ち。でもさすがに10日間一人でこなすのはキツいな~、という疲労感。いろいろなものが複雑に交錯しているが、現実社会に近付くごとに細かな欠片となって飛び散っていく。もちろん消えることはなく、体の節々にエネルギーとなって組み込まれていく。だからアジア旅、やめられない。


 

途中数年レベルで中断してしまったこともありましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。次回は2013年に旅した、チュニジア編を書いていきたいと思います。相変わらず長くてマイペースですが、またお付き合い頂けたらとても嬉しいです。