Ling Muのアジア旅コレクションを展示する「Ling Museum」。旅で訪れた順番にアジア・中東から一か国ずつ、その国のポップスのCDとカセットテープの数々を展示します。

 

★第二十三回「アルメニア」

 訪問時期:2004年9月、2011年5月

 訪問地:エレバン、ゴリス、ステパナケルト、シュシ、アラベルディ

 

左上:シルショー「Hima」…欧州の音楽祭典「ユーロビジョン」にも出場したことのある実力派歌手。アルメニア語のタイトル「ヒマ」は「今」の意味。

左中:シュシャン・ペトロシャン「Ayspes Tesa」…ふくよかな中年女性の見た目ながら恐らく歌唱力は最高レベル。ややハスキーなのに声量がすごく、伝統的な曲やオペラ風から今時のポップスまで完璧にこなす。

左下:セトラグ・オビグヤン「Ampoghch Kisher」…レバノンのアルメニア系住民が多い街アンジャルではアルメニアのカセットが結構売られていて、これもそこで購入。

右上:ヨルガンツ「Greatest Hits」…一曲一曲のジャンル幅が広い。ディスコ風あり、中東風あり、東欧風あり、イントロだけ流したら日本の演歌そのもののような曲調もあったり。これはアジア・中東・ヨーロッパの接点にあるこの国だからこそのレパートリーなのか。

右中:ハイ・トレク「Mi Katil Meghr」…二人組のラップグループ。あの難しいアルメニア語でラップやって舌噛まないか。

右下:アルメン・ダルビニヤン&アスパレツ「Im Yerevan」…ややレトロな歌謡曲メインのコーラスグループ。以前習ったアルメニア語の先生大推薦。"Nrtegh Gtnes Kech"という曲は日本の歌謡曲でも通っちゃいそうなメロでグっとくる。

 

左上:シュシャン・ペトロシャン「Im Anoush Hayrenik」…ハイヤスタン(アルメニア)という言葉が沢山入った歌詞の歌が多く、愛国的な曲中心なのかな。実力は素晴らしい。

左中:ハスミク・カラペチャン「Ays Benum」…典型的なアルメニア美人なルックス。軽めなポップスがよい。

左下:ハイコ「Norits」…アルメニア語であること以外違和感無い、欧米的なポップス。

中上:ココ・ハイティアン「Hay Yeghapokhakan Yerger」…冒頭一曲目は何とアルメニア国歌!

中中:ナナ「Yerani」…実は彼女の曲は2,3曲だけで、あとは別の歌手の歌ばかりが入っている。これでいいのかナナ。しかも彼女の曲はノリのいいダンス系なのに、他の曲はみんなコテコテ中東風。聴く側もほとんどナナを聴けないし、ナナ自身も納得いかないだろうし、盛り込まれた歌手達も何だかオマケ扱いだし、誰も得しない気がするアルバム。

中下:カレン・アルチュニヤン「Karen Arutyunyan 2003」…アルメニアが実効支配したナゴルノ・カラバフ自治州で購入した現地出身の歌手。アルメニア人であるがロシア語曲ばかりのアルバムが多い。

右上:カレン・アルチュニヤン「Стeпанакeрт」…上と同じ歌手。アルバムはナゴルノ・カラバフ自治州の州都"ステパナケルト"。今は多くの部分をアゼルバイジャンに取られてしまった(アゼル側にとっては奪還)が、今はどうしているのか。

右中:ガロ・ガボーダギアン「Miayn Seret」

 

(Ling Muコメント)

・アルメニアは中央アジア、中東、ヨーロッパの接点部分にあり、且つ旧ソ連の国であるため、アルメニア音楽の曲調は非常に幅広く、恐らく本人達は意識しなくても中東風、東欧風等の曲が混在している。

 

・又、世界中に離散民がいる国としても知られる。なのでアルメニアポップスの作品はレバノンやアメリカ等のコミュニティでも愛されている。レバノン出身のアルメニア系で、独立後のアルメニアに移住して音楽活動を続ける歌手もいる。そう言えばフランスの大御所歌手シャルル・アズナブルもアルメニア系。

 

・アルメニアの歌謡曲の中には、日本の演歌・歌謡曲と曲調がそっくりなものが多く驚かされる時がある。例えると、"別れても好きな人"の歌をもしアルメニア語に置き換えたら、そのままアルメニアの曲として通ってしまいそうなぐらい近い。明治維新に伴う急速な西洋化で、伝統歌曲と西洋音階が融合されて唱歌や演歌、歌謡曲ができていった日本とプロセスが近いのか。哀愁あるメロディーを好む国民性なのか、ちょっと親近感を感じる。

 

次回は「カルムイク共和国」を訪ねます。