太極拳推手の「発勁」 | 健康・護身のために太極拳を始めよう

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太極拳は、リラックスによるストレス解消、血行改善、膝・腰強化、病気予防などの健康促進効果以外に、小さな力で大きな力に勝つような護身効果もある。ここでは、中国の伝統太極拳の一種である呉式太極拳の誕生、発展およびその式(慢拳・快拳・剣・推手)を紹介する。

 

原文:発勁須沈着鬆静,専注一方。

 

訳文:「発勁」は「沈着」と「鬆静」の下、狙う方向に意を注がねばならぬ。

 

「発勁」とは、全身のパワーを一本に振り絞って、相手の肢体に発することを指す。「沈着」と「鬆静」についてはこれまでに書いた記事にも触れていたが、「発勁」の視点で再考してみたい。

 

一般的に「発」と思ったら、思いっきり筋肉の力を入れてぶつけていくものだと錯覚しがちだが、むしろその反対が秘訣だと先人が書き残している。「発」は内勁を体内から体外へ吐き出すことに対して、「沈」は足下へ「気」を下げることになる。両者は同時に行われ、まるで表と裏、陰と陽の関係にある。沈下の量が多いほど吐き出す内勁が大きいとされる。又、「鬆」はパワーを蓄える容器の容積を最大にするための手段で筋肉の力を入れてその容積を減らすものではないのだ。

 

「発」のポイントは全身のエネルギーを最大限に集めて体内の通路を全開して体外へ吐き出すことだ。その際に地面からの跳ね上がりも相手からの負荷も全身のエネルギーの一部となるようにする。前者は「借地」(地面の力を借りる)、後者は「借人」(相手の力を借りる)と言う。両方とも「沈」が欠かせないのだ。又、「沈」のために「鬆」も身法の諸要領も不可欠になる。「鬆」による体内通路の開放は吐き出すためだけではない。「沈」も「鬆」がなければ実現できない。「借地」、「借人」が出来てはじめて「発」の快感が味わえる。

 

「発」は内→外の勁の放出でその矢印の方向に意を注がねばならぬが、上記のごとく、「鬆」、「沈」、身法などに同時に意を配るのも当然ながら必須である。言い換えれば「専注一方」は決して片方だけに注意すればいいわけではない。陰陽、虚実、二儀、四象、八卦の全てが一心多用の原理に基づく。但し、動きには方向性がある。「発」の方向が決まれば、その方向への「意」の注ぎ方に専念することは「専注一方」となる。

 

「柔化」を特徴とする呉式太極拳は「化」の効果を極める結果、「発」の前に勝敗がつくので「発勁」を省略することが多い。