偏見と言われようと、私は女性作家を読むことがまずない。学生の頃の乱読時に、帰納的にそう導き出され今に至っている。直木賞作家桜木紫乃の短編「フィナーレ」が、ストリップを題材にしたものということで読み進めていくと、それが真でないことがわかった。


【ストーリー】
ジャーナリストになる夢を諦められないで、仕方なくススキノで風俗誌のライターのバイトをしている23才の潤一は、働き出して一年がすぎた頃、ストリップ小屋「ロマンス座」へ行き、記事を書いて欲しいと編集長に頼まれた。取材するのは、その劇場所属の「志おり」。

潤一は女の裸を観られるだけという、触れられないストリップにさして期待せずロマンス座に初めて入った。

トップの踊り子が登場する。流行の曲を使っているダンスショーの時には、恥ずかしい以外のどんな感情を持てば良いのかさえわからず、半ばしらけ半分で観ていたものの、その踊り子のベッドショーを間近で観た時、自分の持っている官能の部分が、奥底にもう一つあることに気付いた。潤一の視線は、踊り子の表情に奪われ、絶頂の時の唇と息に釘付けとなった。その時、踊り子の裸は、「見せるための整えられた着ぐるみ」であるとわかった。

トリ前の志おりが登場する。赤い襦袢を纏った悲しみに満ちたそのステージ。幼い頃の恋を想起し、初めて女に触れた時のような胸の痛みを感じた。この志おりのステージが終えた時、潤一は泣いていた。それはまるで見てはいけないような、そんな涙が流れていたのであった。

終演後、バーで志おりをインタビューする。潤一の

「踊り子になって今まで一番印象に残っている事は何か」

という問に対し、
「老人が入院先から抜け出し、わざわざステージを観に来てくれ涙を見せてくれたということ」
と志おりは語る。そんなファンがいるからこそ、5年間も踊り子を続けていると答える。その時、裸で踊ることの意味を手にしたと志おりは言った。

風俗誌であり、劇場の意向もあることから、捏造してでも読者の性的好奇心を煽るようなものを書かねばならないところを、潤一は踊り子の悲喜のところを全面に押し出した、自分の本当に書きたい記事をありのまま書いたが、編集長と劇場支配人にはえらく不評であった。

5
頭でも踊っていた志おりであったが、中もロマンス座で踊るので、潤一に来て欲しいと言う。
その週、何回も志おりのステージを観ていると、彼女の凄さは視線であることに潤一は気付く。
支配人との会話で、志おりが今日で引退すると告げられた――。


【感想】
潤一が、何故か私と重なる部分も多い。そう思うスト客も多いと思う。
桜木さんは、ヘビーなスト客だと伺えるところが実に散見される。

「踊り子に求められるものは、身持ちの固さ」
「ブログを持たない志おりは、ファンとの短い会話と、フィナーレの握手を大事にしていた」
「舞台の上から、客席は隅々まで見える」
「舞台の上で裸を見せてるぶん、舞台での嘘が平気になってしまう」
「良いストリッパーは目で踊る」
「脚を広げることを一瞬でもためらうと、客はそこしか見ない。客席と舞台は視線で闘っている」
「踊り子は視線で客を問う」

これは豊富な取材、観劇の賜物でしょう。
ストーリーの最後の結末は、やはり読んで確認して下さいね。