「またストリップ?」
数年前、友人Tに聞かれた。
「そうや。他に楽しいことないからな」
当然のように私は答えた。
「ほんまに?他になんもせーへんの?」
「せーへん。仕事帰りはジム。休みの日はストリップ。平日休みに調度いい。鉄板やろ?」
「凄いな」
「ストリップは伝統芸能やからな」
と私が我が物顔で言うと
「歌舞伎に謝れ」
と笑いながら彼は言ってきた。
「なんと。歌舞伎よりも、ストリップの方が上じゃ」

と、一度も観たことの無い私が、ストリップを馬鹿にされ強がって言ったものの、
「歌舞伎なんて年寄りが観るもんじゃ」
と一蹴した。まぁ、ストリップも客は年寄りばかりだが(笑)。

生まれながらにして将来の人間国宝。幼少の頃より先代から帝王学を受け続け、浮いた噂は数知れず、指差した女が自然と寄ってくる平成の色男。ケンカをすればチンピラ相手に土下座をしようとも、いつの間にやら帳消しとされ、自然と金も名誉も女も吸い寄せられる。この男にゴシップは死ぬまで尽きることは無い。有名税というやつだ。私と同世代。生まれも育ちも、そして将来も違う。この男に明るい未来しかない。誰が見ても羨むほどのいい男、市川海老蔵。

小向美奈子が東洋初乗りの際に、新規顧客開拓ためにはパンダという劇薬が必要であると私は思っていたが、一部常連達の間でマナーを危惧する部分もあった。そんなものは通えばわかってくるし、従業員が諭すものだからなんの心配もいるものではなかった。そのステージに首を傾げるという、生ぬるい言葉よりも、実際は愕然としたと言う方が正しいだろう。結果として客が増えたかと問われれば、あの時のロビーの声を聞いていたら、その後の入りは目に見えていた。しかしそんなのはどうでも良い。まず劇場に行く動機付け、敷居を低くすることが必要なのだ。どんなに一見が騒ごうとも、踊り子のステージというのは、神々しいまでの魅力、輝きを放つ。酔客がオープンショーでも騒ごうとも、ステージは食い入るように観る。それは現在の東洋の4回目を見ればそれはわかる。


演者というのは、どんなに猿芝居を演じようとも、一方で名前だけが先行し絶賛を受け続けることもある。人前で全裸になりそして股を広げ、尚且つどんなにステージは感動させようと、それを世間では一切認められず、あろうことかパクられることもある。踊り子の生き様にスト客は、私は惹かれる。


市川海老蔵がいるから、南座へ行くのだ。小向美奈子がいるから東洋ショーに、ストリップに初めて行った客と全く変わらない。

「ちょっと、海老様のお芝居でもいこうかしら」
と言っているマダムがアイドルを観るのとは違う、対極にあるのがこの私だ。そうだ海老蔵。お前は歌舞伎に命をかけているのだろう?ステージでは、板の上では同じ舞台のはずだ。芸人は芸事に全てを賭しているのだ。

なんだ、歌舞伎はカブリと言わないのか。ストリップみたいに早く並んで、良い席に座わり思っていたのであるが。特別席は12000円のプレミア価格だ。これは私には買えない。3等の4000円の末席で、俺は海老蔵、お前の姿を見届けてやる。

この日のために瀬戸内寂聴訳の「源氏物語」を読んだ。初観劇ゆえ、軽い気持ちで歌舞伎を楽しもう。祇園に3500円のピnサロがあるみたいだな。海老蔵が祇園や先斗町で芸子と興じている頃、私はオバチャンに咥えてもらって、その円熟した技を味わっておこうか。

「海老蔵」、「南座」、「源氏物語」。この3つのトライアングルで私の触手が動いた。再読してみると、主人公の光源氏は、若い頃から愛憎にまみれた人生だ。まさに海老蔵にハマリ役ではないか。
しかし残念ながら、歌舞伎は恐らく最初で最後となる。
どう考えてもストリップに勝てる要素が私には見出せないのであるから。

否、まだ結論は早い。そして生で観ずして語れまい。喰わず嫌いなのかもしれない。そして金玉も軽くして、クリアに冷静に観なければならない。
思わず私が海老蔵に向け、
「千両役者―!」
と叫ぼうものなら、スト観劇などあっさり辞められよう。

あの時のTにやっと借りを返すときが来た。
しかしながら私はきっとこう言うであろう。

「歌舞伎?海老蔵ええ芝居するわ。でも、ストリップの踊り子も負けてへんで」
と。



市川海老蔵特別公演 「源氏物語」
京都南座 4


キャスト 市川海老蔵/アンソニー・ロス・コスタンツォ/片山九郎右衛門/梅若紀彰/観世喜正/片岡孝太郎

観劇日:4/9(水)