大寒を前にして西日本は一面雪化粧となった。

大阪でも二年に一度ぐらいは積るので、何のことは無い、少しだけ早くその時が来ただけである。

会社でのブンラス、鍵の開閉の両方を任されている日が私は週に二度ある。劇場でのオープンラストは、満たされた気持ちと心地良い疲労感に包まれるものの、職場での六時から二二時までという途方も無く長い一日は、生きた心地がせず、確実に心を病み、精神を蝕んでいく。このピュアな雪を見ようとも子供の頃のように上がることなく、重い足取りでその日が始まったのであった。

 

夜明け前の真っ暗でタイア痕が付いていない真っ新な白い道を進んでいく。

「俺は運転が上手いから」

どんなに強がっていても、それは確実に止まれることが前提の話であり、軽い雪ぐらいではなんともないが、ここまで積ればと慣れ云々というレベルではない。

 

遠く橋を下った先の信号待ちで、一台のトラックがハザードランプを点灯していた。

「事故か」

と思い、私も呼応するようにライトを付けた。ゆっくりと近づいていくと、この意味することが直ぐにわかる。路面が凍っていた合図だったのである。緩やかな下り坂でさえ、普通にブレーキを踏んでいても減速しない車体に少々焦りを感じたが、20年近く前に教習所で習ったブレーキの連打で、なんとか5m前ぐらいで止まることが出来た。するとすぐにルームミラーから後続のトラックが見えた。短時間と思っていた赤信号がこの時はえらく長く感じた。スピードを出していないとはいえ確実に私の車へと近寄って来る。

 

そのトラックも私のハザードが見えている筈であるが、止まる気配が全く無い。ミラー越しに見えるのは、タイヤをクニャっと右に曲げながら、そのまま縦滑りし、真直ぐに、そしてゆっくりと私の方へと近づいて来るその大きなトラックの姿であった(笑)。外はまだ暗く、運転手の顔は良く見えない。

 

私はアクセルを踏むタイミングをミラーで凝視していた。

「これはどう考えても避けられない。確実にぶつかり、そして玉突きになる。後ろのトラックにぶつかりそのまま前のトラックにぶつかる。トラックにサンドされるのだ。この被害を最小限に留めるために、ぶつかる瞬間に少しだけ前進し、その衝撃を弱めるのが最善だ」

まるでバトン走者のように私はタイミングを見計らっていた。この時の私は恐怖を感じつつも到って冷静であった。学生時代に付き合っていた恋人に、些細なことから揉め、灯油を全身にかけられた時のように、頭の中は全くのクリアだったのである。近くに火の気が無いのがわかっていたのであるから(笑)。

 

トラックは近づいて来るにつれ、少しずつ車体を傾け出す。ブレーキの連打が利いたのか、結局、コンクリートの道路の外壁にボディをこすりつけながら、直前で止まってくれた。いつの間にかシフトレバーに吊り下がっている御守りを、左手でギュっと握っていた私の掌は汗だらけであった。私は気づかぬうちに神頼みしていた。

 

一頭の晃生の三番叟で望月きららちゃんに、清めの塩を大量にかけられたのもご利益があったのかもしれない(笑)。

「お客様のお金回りと、ご多幸を~」

という有難い祝詞をその時に戴いた。古来より日本は発する言葉に特別な力を持ち、言葉を大切にした国であり、そして神々の国である。金回りは変わらないと思うが、命拾いしたのには間違いなかった。

 

「お待ちしておりました」

離れたところから頭を下げられ、近づいたらいつものこの挨拶である。接客業とはかようにありたいものだろうと思う、この日本一愛想の良い晃生のテケツの方に毎度のことのように言われる。いつものようにアジャストで入場するものの、この日私は渋滞で少し遅れていた。

「先週、来週の来れる日は全て寄らせて貰いますと言ったじゃないですか~」

と私が答える。

「はるちゃんは、良い子だね~」

「それはよくわかります。別に僕はね、性格が悪くても構わないんですよ。まぁ、そんな踊り子さんは少ないんですけどね」

「それはどうしてですか?」

「観る分にはまり性格は関係ないからですよ。その方が後腐れ無いじゃないですか」

「ははは。そうでしたか。今日はゆっくりしていって下さい」

階段のところにある沢山の胡蝶蘭を眺めながら、弾み過ぎる会話を今直ぐにでも止め、早く席を確保したかったのは言うまでもなかった(笑)。

 

 

【青山はるか ~花之艶(宴)~】

赤い花柄の着物姿。黄金色の神楽鈴の「シャンシャン」とした澄んだ清音が場内に響き渡る。神々を招き寄せ、やがて舞い降りてくる。ステージでの神楽舞は、踊り子とて神職と変わりはあるまい。客はその加護と恵みを求めて祈るのであり、場内は踊り子と客が一体となる場となる。

 

この國は花を愛で 春をことほぐ季節と共に生きる日本の人 おかえり いつでも帰りを待つ 人川山谷夢かわりゆこうとも かわらない心 花の宴

 

汚れの無い巫女の白い襦袢姿。神事に仕えるはるちゃんの祈祷、奉納のゆっくりとした舞を魅せる。そこには芸能の神、日本最古の踊り子と言われるアメノウズメが、乳房を晒し、裸になって踊り、神々を笑わせ天照大神を引き寄せたような宴のような姿であった。神殿における舞は太古の昔から、崇拝される存在なのである。

盆に入り、数々のポーズを決める。照らされる裸体には、今も昔も変わらぬ神秘的な力が宿っているのであった。

 

客なんてものは「踊り子を選べる立場にある」であるから、楽なものである。踊り子は客を選べない。プロというものは厳しいものなのだ。客は行きたい舞台を観に行き、そして気に入らなければ、何も言わず去って行く。ステージでは恐ろしいぐらいに輝きを放ち中毒性を客に与える。これが私を捉えて離さない。今後も観て行くことに変わりはないであろう。

 

ポラではあまり自己主張されないのか、あまり

「来てね」とか「待ってる」などは、はるちゃんに言われたことが無いのであるが、

「書いてね」

と言われるのが一番辛いところ(笑)。どんなに伝えたくても、言葉では届かないことがある。私が縷々として語ったところでそれは微力なものであり、踊り子が一度足を上げれば、それだけで遥に説得力を持つ。

 

デビューした頃から観ているというのは、何の自慢にはなりはしない。しかしながら、はるちゃんの全演目を観ているというのは、少しぐらい自慢にしても良いだろう。ここまで演目が変化していった踊り子を、私は知らない。ストリップのステージというものは、踊り子自身が自分の演りたいもの創っていくものであるが、デビュー当初は、本来あるべきそういういったものよりも、客に寄せた演目であったのかもしれない。アーティストが自身の方向性が見えてきて、初期の頃の面影が無くなっていくのは、ままあることである。周年は周年作で応える。昔の方が良かったというよりも、昔も良かったが今の方が断然良い。そして間違いなく今の方が刺激的であると断言出来る。         

 

5周年とはいえ、飛び飛びになってしまいましたが、活動は3.5年ぐらいでしょうか。10日連続という興行は体を酷使する上、あまり強くないようなので若干の心配ではある。客はステージを観て、元気を分けて貰うものであるから、踊り子の体調が悪くていけない。私が観た時は元気な姿で良かった。5周年おめでとうございます。

 

 

20171中 晃生ショー

(香盤)

  1. 愛野いづみ (道頓堀)

  2. さつき楓 (晃生)

  3. 蘭あきら (晃生)

  4. 望月きらら (晃生)

  5. 青山はるか (晃生)  周年♪

 

3演目:さつき楓/望月きらら

2演目:愛野いづみ

1演目:蘭あきら/青山はるか

 

観劇日:1/11(水).1/16(月)