放蕩三昧の親父の尻を拭う形で、二十歳頃には200万円はあった私の預貯金は、大学卒業の頃には蕩尽してしまう。全くの無一文で私の社会人生活はスタートした。
「新車を買って楽しい社会人」と淡い予想図を立てていたが、実際は中古の原付すら買えない程、生活は困窮していた。新卒で入社した同期とは、携帯電話を強制解約させられた私だけが、実家の電話番号を教えるという苦い経験をする。
二部学生の私は、昼夜を逆転し大半を門真の夜間の工場で長時間のライン作業を黙々とこなすという、花のキャンパスライフとは程遠い生活であったわけであるが、体育部の連中の、女の子と楽しそうに帰って行く姿を羨望の眼差しで見つつも真っ暗な校舎へと向かうものであった。
「自分がどんなに彼らより学力が優れていようとも、彼らは名前を書いただけで卒業出来るんだ」
やり場の無い怒りと劣等感を抱きつつ、私は生きる道を完全に失いそうになりかけていた。
実家に見切りを付け出ていった二人の兄に依存していた親父も、いつしかその矛先が三男の私に向けられる。ことあるごとに
「高校までは出してやった」
と洗脳するように言い続け、やがて無心するようになる。重い学費と実家の生活費も重なり、苦しい時であった。こんな父と暮らさざるえない母を不憫でならなかった。
「おかん、これで最後やで。見たことないやろ」
と、せめてもの孝行と50万を渡す。これを捻出するために、卒業後の私の一人暮らしが少し伸びた。
「いつでも帰って来て」
と母に言われたが
「もう、帰るとこはないんやわ」
と私は答える。親父には何か言われたが覚えていない。
「オカンどつくなよ。親父が死んだら帰って来るわ」
と私が言ったのだけは、今も覚えている。
「まぁ、葬式出す金を残さんと死ぬからな」
と捨て台詞を付け加えた。我ながら酷い息子であろう。社会人で2年がすぎ、新生活に最低限の物と、ラジオと数冊の本を持って出て行った。悪く言えば半絶縁、良く言えば遅くなり過ぎた親離れである。私は25才であった。
その後、年数回は母から電話があり
「正月ぐらいは帰って来い」
と言われたが
「俺には帰る家なんて無い」
と、どんなに帰りたくとも言い続けた。29才の春頃、母から連絡があり、今度兄が結婚することになり、弟のお前も出席せよと言う。
「出えへんで。親父とは会われへんし。祝儀だけ贈るわ」
私はそう言ったのであるが
「そんなんあかんやろ。親族全員来るんやし。義姉になるお嫁さんのことも考えてや」
と母に説得され、私は渋々出席する。私はわざと遅れていったあたり、その時の心情が出ていた。
「仕事で忙しかった」
とでも言い訳すればなんとでもなる。それでも母と兄の顔を立てる為に集合写真の時間には間に合うように出た。控室で4年ぶりに家族と会う。親父は酩酊していた。私よりも大きい兄に
「実家帰ってるか?痩せたな」
と言われたが
「4年ぶりにおかんと会うた。働き過ぎかな。まだ90kgあんで」
と会話と交わす。初めて会う義姉になる綺麗なドレスを着た兄の奥さんとも挨拶をした。兄にはもったいないぐらいの美人で性格の良さげな人で、幸せそうであった。
式が始まり、神父がギコチナイ日本語で言う一番良いシーン。兄貴は緊張していたのか、
「誓います」
の声が完全に裏返っており、私は声を出して笑ってしまった。今でも兄の結婚式と言えば、そのシーンしか思い出せない(笑)。
「38です。まぁ、今まで何度かチャンスはあったんですけどねぇ」
晃生の受付で、何度かコーヒーをあげているのだが、早朝タイムを5分ぐらい遅れても、6000円でしか入場させてもらえない従業員と言葉を交わす。これだけ来ているのだから少しぐらいオマケしてくれても良い筈なのであるが――。
「お待ちしておりました。年は?独身?」
と聞かれそう答えた。
「自販機に変わりましたね。今日は券買えたんで、あまりお金かからないですわ」
パチン、パチンと穴を開けられる。
「う~ん。今はね、踊り子と結婚したいですわ。全く振り向いてくれないですけど」
二基のスタンドに目を奪われながら、笑った。
晃生の2列目では、本舞台がやや見え難くなってきた我裸眼に、最初はヤキモキしながらも、スモークが焚かれると、プラスして紗がかかり水晶体には踊り子の良い部分しか映し出さなくなってしまったようだ。車に置き忘れてしまった眼鏡を悔いることは無かった。諦めかけていたが、奇跡的に3回目に目の前のカブリが空いた。
昨年大和で観た「ウエディング」。この高鳴りは初めて観るみずみずしさのそれであり、2年前の晃生で観て以来、この純白のドレスを来た美しすぎる新婦に私は見惚れているのであった。回転盆に入り、ブーケを投げる。そしてさゆみちゃんは新郎に私を選んだ。私を見つめ、しゃがんだ。不意であったのでウエディングヴェールを上げるのを忘れていてしまう程であった。
「そうか。これ、永久の愛を宣言し、誓いのキスをするやつじゃないか」
一瞬脳裏に浮かんだが、カブリを占めているファンの目もあり、やはり出来ぬことだと我に返った。私に許される唯一のことは、オープンショーで千円リングをその華奢な白い指に付けることだけであった。
階段を駆け抜ける音が聞こえる。紺のスーツを身に纏い、赤い薔薇が付いた黒いハットを手に取り目深に被りながら、華麗なステップ。こういう格好良いダンスもするのかと驚いた。やがて椅子に置かれたハットが照らされ、幕にはけていく。
Honesty is hardly ever heard And mostly what I need from you
黒いナイトドレスでゆっくりと登場。ハットを被り、舞い盆入り。スローなバラードに乗りハットを巧みに使いベッドショー。最後は余韻を残したまま駆け抜けていった。
青いまま枯れてゆく。あなたを好きなままで消えてゆく。どんなに望んでももう観られない。あと数週で引退する。多くの引退していった踊り子がそうであったように、角が取れ、断片的に演目の良き思い出しか、さゆみの演目でも残らなくなるのである。
晃生ラスト、関西ラストの演目はヒッチハイク。さゆみちゃん自身も明るく締めくくりたかのかもしれない。旅立つ行き先は「渋谷」と書かかれてあった。力強く出発していく様子は、さゆみ物語を完結させるための壮大な叙事詩のように、その踊り子生活としてのクライマックスへと近付いていくような予感さえ漂わすものであった。5頭の渋谷も元気にステージに立っているようでファンとしてホッとしている。最後に書かれたメッセージボードには「大好き」。これがストリップを指すのか、晃生ショーのことかはわからない。まさか私に向けられたものではないだろう。ここまで想像力豊かに演目を創り続け、観るものへの感情の起伏を起こし、共鳴を覚える踊り子はそういまい。客に寄せているという向きもあるがそれは違う。間違いなく客側がその魅力に引き寄せられているのだ。
家に帰り改めて写真を見返す。私にだけ微笑んでいると思いたいがそれはあえない。健気に書かれてある大量のポラのサインの多少の読み難さでさえも、それは尚更愛しくさせるものであった。
2017年4結 晃生ショー
(香盤)
-
時咲さくら (TS)
-
朝倉さりな (晃生)
-
寿恋花 (晃生)
-
蘭あきら (晃生)~22 浜崎るり(晃生)23~25 望月きらら(晃生)26~30
-
石原さゆみ (道頓堀)
観劇日:4/21(金)、4/26(水)、4/30(日)