1時間ラジオを聴いたとしても、心に響く名曲など1曲あるかどうかであろう。北野映画が必ずしも名作だけとは限らない。当然の様に駄作がある。「アウトレイジ」は好きだが、「アキレスと亀」は好まない人もいる。それと同様に、ストリップのステージには演目の好みの問題、しいて言えばその時の感情や心情にも由来する。楽しい時に観る時と辛い時に観るものでは、同じ演目であっても変わって観えることも有り得る。そしてストリップを語るには、醍醐味の部分と負の部分を避けては通れないものがある。毒を盛らない文体には、魅力こそ減らしスリリングが欠落する。そんなものはツイッターに任せておけば、踊り子も客も皆気分は良かろう。ストリップは美しい、楽しいとだけ呟けば良いのだ。

 

煌びやかなステージの世界にでも、どこかドロドロした深い闇の部分がある。汗に照らされる裸体はただ美しいだけではない。そこに映される踊り子全てにそれぞれの物語がある。桜木紫乃さんは、垂れた尻の踊り子に、どうしてそこまでしてステージに立たねばならぬかと、深い感慨を抱いたという。 

 

最近になり、手拍子問題が再燃化されている。これは

「手拍子が無いと盛り上がらない」

と、漠然と客側が感じているに他ならない。もしくは爆音客が

「姐さん、こっち向いてね」

と言わんばかりに、音楽以上の破裂音をこれでもかと音量を上げていく。関東特有のベッドでの手拍子も、関西人の私には違和感しか覚えず、

「SEXしている時に、手拍子なんかおかしかろう」

と普通に考えればそうなのであるが、こればかりは、ノリノリのベッド曲なんかもあるわけで、その場の状況を客側は汲み取るしか無い。

 

観劇当初は、「水曜日に東洋、日曜日に晃生」と決め込んでいたが、それは私自身が手拍子の盛り上がりを無意識に感じていたのかもしれない。平日の晃生は、特に閑古鳥でそう感じたのであろう。しかしながら客が増えれば、一般的に不快とする存在の客もまた増えるのも事実であり、今ではルールの緩い晃生では「客なんか5人以上いらん」と本気で思っていたりもするから、私自身が身勝手極まりない不快な客と思われても仕方あるまい。

 

本当は物凄く構って欲しいのだけれども、トレーニングのしすぎなのか、両手首と両肩がポンコツで、更に最近は右肘まで痛みがあり、強く手を打つことは出来ない。傍から見ればつまらなそうに観ている男に映るのかもしれないが、そもそも私は、チnポがピクっとなったら、エロポラを撮るということからストリップをスタートした人間なわけで、やはり他客と求めるものがどこか違う気がしてならない。最近になり多く見かけるようになった、光る棒を持ってステージを観るというのにもどこか違和感しかないと告白しておこうか。

 

wikiの情報は10時開演とあったが、アジャストでシアター上野へ入ったものの、前列と花道サイドは全て埋まっていた。私は正面3列目の端を確保した。入場料の支払いは、何の説明も無かったが、晃生の開演前と同様、後払いのようで、外出自由であるから問題は無かった。通路が恐ろしく狭く、旧ナニワミュージックに回転盆を無くしたサイズのぐらいのキャパであろう。段差になっていないので、この位置ではまずベッドショーは観えないであろうと推測出来た。席はほぼほぼ埋まっていたのであるから移動は無理であった。始まってからも、関西の赤い照明に慣れているせいかベッドショーは、薄暗く感じられた。真後ろの立ち見の爆音手拍子客に、音感無しのタンバの金属音、弱々しいリボンと、快適に観るには程遠い感は否めなかった。それに加え

「拙者、顔とステージはいらぬ」の前時代の残党の多さに閉口する。

「そりゃ理紗子さんが怒るのも無理もないわな」

と納得せざる得なかった。ハード面は良いとは言えないが、この日たまたまであったかもしれない。しかし傷付いた戦士に備え付けの包帯であったとしても問題が無いように、さゆみ引退の傷心の私には、別れが迫る出演劇場を選べる余裕などありはしなかった。

 

引退の寂しさ、辛さが合わさると、情が加わり演目の機微に触れる沸点を下げるのかもしれない。しかしながら、さゆみちゃんの演目は違った。ただでさえ高い私のその閾値を、それを遥に超える演目を出し続け、その値をどんどん引き上げていく。観る度に満たし、作品を創り続けた。夢のような人が夢を壊さぬまま夢の中で終わりを告げようとしている。晃生で出した「ハッピーエンド」が特に快心の演目で、私は引退作かと思い聞いてみると、「違うよ、まだ出すよ」との返事を貰い、このままではさすがに別れを言い出すことを出来なかった。

 

私は引退をする踊り子に言う言葉があった。

「もう、戻って来てはいけませんよ」

気持ちとは裏腹にそう私は言っている。引退後の人生の方が長いのだし、第二の人生の成功を祈りたいという願いから心からそう思ってそう言っている。とは言いつつも、復帰したら無理やりにでも、初日に差し入れを持って駆け付けて行き、

「たまたま休みだったんだよ」

と照れながら答えるのは目に見えているのであるが。客なんてものはどこまでも都合が良く身勝手なものなのだ。

 

蒼々とした蓮が眼下に広がる不忍池のほとりに多くの人が佇んでいる。それぞれの想いを抱えながら、皆がぼんやりと眺めていた。日が高くなるまでなら、下書きぐらいは出来るだろうと私も腰を下ろした。

 

晃生で演った「ハッピーエンド」の出し物良かったですね。引退作かと思いましたが、違うとおっしゃっていましたので、ますます上野が楽しみです。

私の会社が創業祭に入ってしまい、ますます連休が取れない状況です。連休と言っても年数回のレベルなのですが、受け持っている範囲が広いので、まとまった休みを許して貰えないです。

さすがに日帰りは無理があるみたい。2回観て大阪へ帰ります。明日、6時に店を開けないと。晃生や東洋でも2回りぐらいだから、上野でもあまり変わらないかな。

今日で最後になります。ホームでさゆみちゃんを観られないのは残念ですが、晃生ショーがさゆみちゃんの第二のホームであると勝手に思っておきます(笑)。

暖かくなってきたとはいえ、昼夜の寒暖差が激しい時期ですから、体調には十分ご自愛下さいませ。最後まで多くのファンを楽しませて下さいね。

さよなら、さゆみちゃん

 

5日間ぐらい良い香りがして、それを薫った時、疲れが少しでも軽くなれるような花束を作って欲しいという希望しか伝えていなかったが、立派なものを作ってくれた。花言葉を書い紙を頂いた。それぞれ「幸福」「永遠の愛」「栄光」「勇敢」「貴女は素晴らしい」「ALL FOR LOVE」ということらしい。

「花言葉を語る男は云々~」

とあれど、花の知識など持ち合わせていない私に親切に教えてくれた。

 

その中にあったオンシジュームという黄色い蘭は別名「ダンシングレディオーキッド」。花形の黄色いドレスを纏った女性が優雅にスカートを広げ躍動感があるように踊っているように見える。踊り子にはまさにこれしかないという、華憐で小さな花弁であった。白いドレスの演目は何回か観たことあった。続けていたら黄色いドレスで踊っていたのかもしれない。花束など何百も貰っている筈なのに、さゆみちゃんはまるで初めて貰うかのような笑顔で受け取ってくれた。それだけで私には十分であった。狂乱した観客の声を背に、壮大な音楽を身に纏い、裸身で舞い踊るあなたが好きでした。最後のオープンショーで私に手を振り、口が動いているような気がした。

 

「私をずっと忘れないでね。嘘だよ。さよなら」

 

夕闇に溶けるまだ咲いていない蓮をしばらく見つめてから、上野駅へと向かう。

「これで良いのだ。この別れが正しいのだ」

と自分に言い聞かせる以外、私には無かった。

 

 

20175結 シアター上野

(香盤)

1.     井吹天音 (フリー)

2.     相田樹音 (フリー)

3.     葵うさぎ (TS)

4.     時咲さくら (TS)

5.     石原さゆみ (道頓堀) 上野ラスト 

 

観劇日:5/24(水)