「おぉ、救われたぞ」

悠那の演目を観て、その時私はそう感じたのであった。

 

過日、望月きららちゃんの周年の時に

「出会って3年だよね」

と言われた。

「そうだね。おめでとう」

心ばかりのプレゼントを渡したのであるが、「はて?そうだったか」と、細かく書かれた観劇記録のメモ帳を紐解いてみるとやはり違った。新地へ行った回数など、正の字でも付けていようものなら面白い数値が拾えただろうにと、20年前の私に忠告してあげたいぐらいなのだが、色街の遊び方など、そういうものだといえばそれまでであるともいえよう。過去を遡ってみても、どこで誰と上がったのか、今となっては相手の顔すら思い返せない。しかし変な性分が幸いしてか、ストリップだけは事細かに記し続けている。きららちゃんとは210カ月程で、デビュー週は観ていなく、出会って2週ぐらいは写真を撮っていない。そんな細かすぎる数値などどうでも良いのであるが、初めて観た時もデビュー作を演っていたのであるから、およそ3年には変わることはない。集大成とも言える周年作は、求めるものが大きければこそ、まだまだ大きく飛躍出来るようにも思えた。

 

躁と鬱を繰り返し、良きレベルで両者のバランスを保てなくなっていた。傍目からは楽しそうに手拍子していたとしても各人そうとは限らない。全ての客は抱えているものが違うのである。2013年の夏頃であった。数カ月に1度ぐらいは行くものの、1巡かそれ未満で帰る日が続いていった。実際観ているものと違うことを思い考えていることが多くなりつつあったのである。このままではいけないとずっと考えていた。惰性で観るには踊り子にあまりにも失礼ではないかと思い、劇場から足が遠のくようになる。そして私は1年半の長き休養を経るに至った。もっとも客一人が劇場通いを辞めたとて、ストリップの大勢はそう変わることはあるまい。

 

観るのを辞め、しばらく普通に暮らしていても

無機的な、 からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない~」

という三島由紀夫が語ったようなものに変わりなく、長き休養は、新地へ行く回数が激増したにも関わらず、預貯金は大きく増えたものの、それに反比例するかのように心の安寧を破綻させるには容易なことであった。それだけでは治まらず日常生活において苛立ちは一段と募り、近しい人々に感情をぶつけて彼らを苦しめる日々が続いていった。

 

劇場から離れたとはいうものの、夢枕に現れる光景はいつもベッドショーばかりであった。あの華やかかりしステージを軽く観るのも良いではないかと、復帰後にその安易な観劇が許されるものなのであろうかと自己への問いかけは果てしなく続き何度も交錯していた。

 

案の定私は、もう後戻りは出来ぬと、再び小屋の住人となってしまった。私は見切り発車で観ることを再開したのである。ここ1年半、ほとんど行かない劇場は、しばらく観ぬ間に過去の常識は通用しないものとなっていった。多くの踊り子が引退、休業し、そして多くの踊り子がデビューしていた。この間に良い演目と言われるステージを私は一切観ていない。そして晃生から多くの新人デビューがあり、その中の一人がきららちゃんであった。その誰一人として記念すべきデビュー週を観ていない。贔屓にしていた踊り子には、私の存在など疾うに忘れ去られ、この薄い客の顔は“見たことがある程度”となり、ほぼ一見客のようになったのであった。まるでそれは、竜宮城から地上に引き戻された浦島太郎のような茫然たる心境でもあった。過去の私は、誰もが毛嫌いする、構って欲しい常連客と何ら変わりのないことにその時初めて気付いたのである。そして踊り子とのこの程良い距離感こそがストリップなのだとその時思い到った。

「そうだこれで良いのだ、これがストリップなのだ。ただ、ステージが良ければ良い」と改めて思ったのである。

 

観劇活動を再開するに至り、過去の繋がりを考えるならば、まずは引退、休業を控えているHIKARU、木城レナ挨拶をしなければならない。そして晃生で最初に観るのは匠悠那であると私は考えていた。

 

今までの悪癖が抜けきらず、調度1時間前に家を出れば晃生に辿り着くのがわかりきっているがゆえ、開場とともに入場し、席を確保し、時間まで休んでいれば良いのにも関わらず、休日なんてものは、連日連夜フルに働いた体を休めることが先決で、時間ギリギリまで泥のように眠るのはいつもことであった。調度トリの出番の1時間前に家を出れば間に合うと、スト客特有の都合の良い思考が、晃生の進行の拙さと渋滞が重なり、ほとんど上手くいった試しがない(笑)。二階の踊り場のところで、「HAPPY DAY」を何度聴いたことかわからない。この日も下町のオッチャン達の野太い声で「ウォー、ウォー」と叫んでいるのが聞こえ、リズムに合わせて腕を上げているのが思い浮かぶのであった。足早に階段を駆け抜け、はやる気持ちを抑え重たい扉を開けると、妖精の大きな白い耳を付けた悠那ちゃんが「終わりまーす」と天を見上げているのであった。

「あぁ、またやってしまった。でもまぁ良い。3回目からきっと空いてくれるだろうに」

と、泣く泣く3列目に座るのであるが、フィナーレでは声を上げずに大きく「おはよう」と口を開き、私もそれに応えたのであった。

 

この週に演じた悠那のフェアリーは、圧倒的な構成力を土台にして高いスキルを兼ね備えたポール初挑戦とは思えぬ秀作で、時折見せる毒々しいまでの不敵な笑みを浮かべ、その衝撃たるや悠那独特のその世界観は唯一無二の演目であった。踊り子人生後半の代表作であろう。

そして冒頭に耽った言葉を思い出さずにはいられなかった。

「そうか。この感覚だったのだな」

答えは一つ、それは追い掛けるのみであると。

 

そしてよほど客受けが良いのか、この週以降晃生に出演の際、この演目を連採し、マイナーチェンジを繰り返した。晃生のあまり高く無い天井の照明をその週に二度蹴落としたというのだから、客もこれほど緊張感を持って魅入ることも少なくなかっただろう。とりわけ平日4回目の客が数人になった時の鬼気迫るステージは、この残され客を帰すまじと、踊り子としての矜持を遺憾なく力を発揮し、その場にいる客達とその空間を共有していたに違いなかった。

 

「まるで悠那ちゃんを観ているようでした」

「姐さんには遠く及びません」

 

謙遜してそう答えられていたが、お互いがリスペクトしなければ、ここまで演目の価値を高めることは出来まい。オリジナルのイメージが強すぎると、そのレプリカは超えることはないのが一般的である。しかしアゲハさんは違った。アゲハ版フェアリーはオリジナルと言ってもおかしくあるまい。暑いのか寒いのかわからない、体の芯から震えるあの似た感覚は、五感をフルに研ぎ澄まし瞬きすら許すまじとさせる。、まるで匠悠那の幻影を観ているかのようだ。悠那の持つ独特の刺々しいところを、先を少し丸くしたようなものがアゲハさんのステージには滲み出ていた。時折見せるその姿に悠那ちゃんと幾度も重なった。悠那は魂震えた。アゲハさん、この人は心が震えた。

 

 

20183中晃生ショー

(香盤)

  1. はな(フリー)

  2. 北原杏里(晃生)

  3. 北川れん(道頓堀)

  4. 青山はるか(晃生)

  5. 浅葱アゲハ(フリー)

 

4演目:青山はるか

3演目:はな/浅葱アゲハ

2演目:北原杏里/北川れん

 

観劇日:3/12(月)/3/19(月)