くっ付いて離れない姪がずっと一緒にいたいと言う。

「また来年のお正月やで」

「もう帰る時間やからね」

私が何度言っても駄々をこね引き下がらない。どうせ兄が持っていくのであろうから、物の方が良かろうと、お年玉とは別に知的好奇心を刺激するプレゼントをあげるのは毎年のことである。喜ぶのが目に見えているのは、選んでいても楽しいものだ。これも年に一度ぐらい会うのが調度良いのであった。ストリップで身に着いた知識、これがまた踊り子よりも反応が良いときたものだから、叔父さんとしては“してやったり”と言ったところである。

 

「血が濃くなるとね、強い子が生まれないから無理なんやで」

姪はポカンとしていた。

「ジイちゃんとバァちゃんは仲が悪いやろ。だから叔父さんは大きく育ったんや」

なんとかして引き離そうと私はする。

 

だいたい二年に一回は風邪を引く。頭が痛くなるのは三年に一度くらいだ。これを人に話すと、「体強いんだね」っと、たいてい呆れて返ってくるのであるが、滅多にこないその辛さは、耐え難いものとなり、まるで死ぬのではないかとさえ思えるものなのだ。神頼みならぬ母頼みで、「おかん、助けてくれ」と良い大人になった今でも、布団に横たわり震えながら思っている。馴れ初めなどは知る由もないし聞きたくもない。小さな田舎の村社会、身分の近い者同士の父と母は結ばれた。それに加え、腰の振り方も悪かったのだろう。ゆえに相当強い遺伝子を持って私は生まれた。

 

昭和の大部分をすごした幼少の頃は、普通は楽しい思い出が多いはずなのに、令和の今となっては、その頃を思い巡らしてみても母の泣いている姿しか浮かばない。もはやその笑った顔すら思い出せないくらい、一人暮らしが長いのであるが、それを確認するために年に一度、それも正月に帰るだけだ。

 

両親の故郷、福井県に赴く。行先はリニューアルオープン特別興行初日の芦原ミュージック。初日、楽日、週末、イベントを好まない私にとって、この週は早番からの公休が初日しか無かったのであるから仕方あるまい。酔っぱらっては、実家に近い芦原温泉に行ったことを何度も同じことを父は語り、「またその話か」と幼き頃から嫌という程聞かされたものである。調子に乗って劇場に行ったのかもしれないが、そんな事はどうでも良い。wikiには19時半開演と書いてあるから、私はそれに向けてその日の仕事をただただ収束させるだけなのであった。金津インターを降りたのが丁度19時半を回っており、もう開演には間に合わないと諦めかけていた。香盤順も発表もされていないのもあった。前回の薄い記憶では真っ暗で何も無かったと心得ていたのであるが、道中、駐車場が異様に大きな24時間のセブンイレブンがあったのは時空の流れであろう。

 

劇場に着いた時、看板の火は煌々と灯されておらず、

「まさかの客足らずからの、始まらずか?」と一瞬よぎった。

受付で

「全員写真撮りますから、やって下さい」

と言いそうになってしまっていたのはここだけの話だ(笑)。バリアフリーのロビーを抜け場内に入れば、

「おぉ、結構いるではないか」

と四、五人はいる客の姿にほっと一安心した。そしてあろうことかカブリのセンターが空いている。大人しい先客が多かったのであろう。東洋や晃生では取り合いになるこの席を私は確保した。きっとこの後、わんさか温泉客が大挙し、酒の入った彼らは直ぐに騒ぎ出す。そしてその時が私の出番だ。踊り子に触ろうとする客をやんわり注意し

「カキたくなったら、トイレに行って下さいね」

と忠言するのがこの席の職分というものなのだ。

 

ロビーに置いてあるチラシには20時開演と書いており、受付で聞けば「2015分から始まります」との返事が戻ってきた。これぐらい緩い感じの劇場もあっても良かろうとさえ思えてくるから不思議だ。しかし時間がすぎても始まらない。常連さんに聞けば

「従業員が温泉客を迎えに行っているんだそうです」

とのことである。壁際にズラリと立ち並び、同じTシャツを着て、揃った手拍子をしているのを生き甲斐としている連中には耐え難いものなのかもしれない。田舎町のゆっくりと身を任せるのも、たまには良い。

「こんなことなら昼休みを取っておけば良かった」

と思ったりしたのも事実であるが―。

 

 

20195結 あわらミュージック

(香盤)

  1. 水原メノ(TS)

  2. 春野いちじく(TS)

  3. 水咲カレン(TS)

 

2演目:水咲カレン

1演目:水原メノ/春野いちじく

 

 

「関西からだと絶妙な距離だね」

開口一番、いちじくちゃんに言われた。長い旅路を思わせない血色の良さに私は安堵した。オフ明けで元気いっぱい、それだけファンは十分なのだ。疲れている姿などは見たくない。仕事帰りに開演に間に合うとは、関西からだとあわらミュージック以外にはあるまい。まさに絶妙な距離なのであった。しかしどうして今まで来なかったんだろか(笑)。

3時間だから、本当に絶妙です」

と私は応えた。

 

淡い衣装に白いガーターを身に着け、軽快に踊った後、ベッドに入ると強いメッセージのあるバラードで、まるで役になりきったように演じ上げる。聴いたことの無い音楽でも心地良いのは、韻を踏んでいるのか、七五調なのか何度も繰り返され、いつまででも陶酔できるのかとさえ思えた。

 

女性らしさを感じられる真直ぐな演目。未見の周年作をあわらで演るのではないかと思っていたが、私の予想は見事に外れた。初乗りの際の演目の選定など、私にはわからぬものだが、比較的初めて観る客もストレートに伝わるステージをされるのが多いのかもしれない。1回目と2回目でラストのダンスパートを変えていた。これは「私がいるからからな」と勝手に妄想していたりもしたが、馴れないステージ上の感触に、1回目はいつもと感覚が違って、少し変わってしまったと語っていた。これからステージを重ねるごとに最適なステージへと昇華していくのであろう。

 

ベッド回りに集まった客へのオープンショーは、今までにないぐらい長く感じられ、「これだけ観られたら来た甲斐あったな」と思わせた。ステージの高さも「絶妙だね」と、目のやり場に困るという案配であった。

 

くそみたいに君が好きです

 

踊り子も何回やるか聞かされていないようで、まさかの2回を終えた頃には23時半を回り終演した。

「ストリップなら踊って終わるか、オープンショーで終わろうよ」

と長い観劇歴の中で勝手にそういうものだと思っていたが、合ポラで終演とは尻すぼみ感は否めない。これも「郷に入りては郷に従え」で一日が楽しければ其れで良いのだ。

しかし何年ぶりになるだろうか。劇場でオープンラストするのは。

 

子供の頃から法事の度に帰っていた両親の実家で、帰りの道中で毎度寄るのは決まって賤ケ岳。そこで名物の越前そばを喰らう。あの頃は自販機のハンバーガーが珍しくて母に強請ったものだと思い出した。誰もいない真夜中のだだっ広いフードコートで、喉越しが良いだけの小麦粉が割合の方が多いだろうその灰色うどんを、大根の辛味にむせながら一気に啜った。長らく摂っていなかった糖質が全身に回り出すと、猛然と睡魔が今頃になって襲って来た。

「あぁ、俺は一刻も早く大阪に帰って、温かい布団にくるまわなければ、東洋の開演前に間に合わないではないか」

そう思えど、こんな足をまともに伸ばせない狭い車内で仮眠を取ったところで、疲労が取れるわけがないと思いが何度も交錯する。「このまま帰阪する方が危ない」と言い聞かせ、気が付けば深く眠っていた。数時間で不快な寒さと雑音で目覚め、全身のだるさと重い体を感じながら、エンジンを掛け直した。

 

観劇日:5/21(火)