師走に迫る直前の束の間の閑散期とはいえ、まとまった時間を取るのは難しい。年々、自分の時間というのを確保出来なくなりつつある。「好きなものを一つ止める」という選択を、我テーゼとして掲げているが、ズルズルと決断出来ないまま日々暮らしている。断ち切ることが出来れば少しぐらい余裕は生まれよう。踊り子ほどではないにせよ、朝から夜までの六連勤を経て、働き詰めから得られたものは、早帰りからの公休だけであった。近頃の「働き方改革」の恩恵を少しは体感せずにはいられなかった。定時退社の3時半に脱兎の如く会社を飛び出し、そこから急いで岐阜に向かう見込みであった。

「ほんの180km程度だから2時間半程で着くんじゃねぇの。あわよくば、三回目の開演にはイン出来るかもしれない」

その目論見も虚しく、吹田インターに駆け込んだのは午後5時を少し回っていた。復路はノンストップで大阪に戻れたものの、往路は眠気に勝てず、しかも三度の休憩を挟むことを余儀なくされた。数年前の“2個縛り”という不確かな客情報しか持ち合わせていなかったのであるが、客同士が慮っているのか、SNSでさえ情報は乏しく、踊り子発信でしか今は確認が取れない。しかしそんなことはどうでも良かった。田舎の劇場で、その時間軸のゆっくりとしたなかで身を委ね、足を伸ばしてのんびり観るのもたまには良いものだ。

 

「〇長、そんなに急いでどこか行くのですか」

「少し、岐阜まで行って来る。顔色見ながら、帰るタイミングを計っているのさ」

女子社員は含み笑いをしていた。

「俺が好きなぐらいだから相当良い女さ」

「どんな女性なのですか」

「鏡を見ながら口紅を塗り、どんな嘘をつこうかと考えているような子だよ。それが気絶するほど悩ましいんだよ」

雰囲気だけは伝われば良い(笑)。

演目が良かったら良い女性に見えてくる。これは今もこれからも、観劇当初からも変わりはあるまい。3回目のフィナーレで無事入場出来た。その時さゆみちゃんと目が合ったから、

4回目はきっと新作にちがいない」

と妙な期待を抱き、勝手な妄想に胸を躍らせた。まさご初乗りの時は随分と髪は短かったと思うが、今は相当伸びて大人の女性といった感じだ。

 

「ストリップは二巡ぐらいが調度良い」と私は思っているが、そう思わない客が大半であろう。体温と熱量だけは同じか若しくは彼らよりも負けないものと自負しているが、朝から晩までいるカブリの連中には、私のその耐性にきっとそうは映らない。

 

テラ氏が

「あなたのストリップ観は歪んでいるし、間違っている」

と言ってきた。

「何も間違っていないですよ。若い女性が全国を1週ごとに駆け巡り、脱いでまで表現するのですよ。板の上で表現する。様々リスクを覚悟の上で踊り子になることを選んだ。好々爺とは真逆のような肥厚した態度でつくねんと粘り倒すカブリの連中に回春を抱かせることは、踊り子は相当ストレスを受けている。毎日焼肉食って、地方々々に男がいる方が踊り子らしいじゃないですか」

「求めているものが違います」

「そうかもしれませんが、踊り子は地下アイドルのようなものではないとは思いますけどね」

何でも言い合える仲は、考え方は違っていたとはしても良いものだ(笑)。

 

過去の演目を思い出す時、踊っている衣装を見て思い返されることは圧倒的に少ない。多くなり過ぎたポラ写真を見返しても、実際のステージはなかなか思い出せないものだ。曲を聞いて初めて脳裏に過るという方が多いのである。そこから絵が浮かび上がり、踊る姿が走馬灯のように駆け抜けていく。記憶を辿る時、視覚で得られたものよりも、聴覚で得られたものの方を優先するものなのかもしれない。消音でAVを見るより、隣の住人がSE.Xしている方が男は興奮するものなのだ。薄い木造の隣の大学生がイチャつき出したら3回に1回程、私は壁を叩くが、3回に2回は穴があくのではないかという程、壁に耳を当てている(笑)。ステージはトリップ出来る得る音があってこそ成立するものかもしれない。音楽はその時その情景が思い浮かばせる。

「あぁ、あの時あの曲が流れていたんだな」

と。

 

 

2019年 まさご座 

(香盤)

  1. 麻樹紫陽花(フリー)

  2. 石原さゆみ (道頓堀)

  3. 黒瀬あんじゅ(TS)

  4. 竹宮あん(まさご)

  5. 翔田真央(道頓堀)

 

3演目:石原さゆみ/黒瀬あんじゅ/翔田真央

2演目:竹宮あん

1演目:麻樹紫陽花

 

 

横になりならが、過去に恋人とすごした頃の音楽を聴いている。何度も曲を変え、楽しかったあの時の状況の想いを巡らすところからスタートした。恋人との想いを断ち切るために思い出のものをどんどんと捨てていく。どうしても捨てられないもの、唯一捨てられないもの、これだけは無理だと葛藤してくのであった。

 

もう愛なんて要らないさ 一人で生きるんだ

もう愛なんて要らないさ ぬくもり消せないんだ

 

彼のことを思いが強くなればなるほど、ベッドで悶える姿に、恋が上手くいかない女性の寂しさや、もどかしさを表している。

「これを捨てなければ、次の恋が始まらないではないか」

やっとの思いで決断をし、それを捨てることしにして、次の恋に向かうのであった。

 

失恋の一シーンであった。男の方がどちらかと言えば、未練がましく引きずる方だと思っている。古い携帯電話を目覚ましぐらいにはなるものと思い、私は何台もずっと持っている。LINE以前のメールがガラケーの方に全部残っている。当時の音楽を聴いた時、意味も無く二十歳ぐらいのメールのやり取りなどを見て当時の頃に耽ることもある。消せばよいのだけれどなかなか消せないものなのだ。

 

「ラブレターみたいなの書かないの?」

「需要が無いみたいなので、今年のまとめを書いて終わりだと思います」

とさゆみちゃんに伝えておいた。定年して気持ちに余裕が出来たら、東洋に週に2回ぐらい通って、踊り子へのラブレターみたいのを百編ぐらい書けるかもしれない。現役の時も百通以上書いているとは思うが、今よりもマシなものが出来るかもしれない。これもきっと読める代物にはならないのであろうが―(笑)。

 

泊まるのは道の駅。一つ目は混雑しているなと思いつつ、深夜にもかかわらずぐるりと一周すると満車であった。地方とは言え結構な人気であった。もう一つのところを急いで探す。近場にすぐ見つかるも、唯一空いているところが全身スモークの黒バンと白のセルシオの間であった。

「コントやがな。これは音を立てると怖い人が出るパターンやで」

仕切りギリギリまで停められた両車両の無言の圧は、耐え難き苦痛なのであるが

「少し寒いけど、エンジン切って鍵かけとけば大丈夫だろ」

と横になった。まさご座の絨毯よりも居心地の悪いシートを目一杯倒し、かすかに聞こえる程度にボリュームを絞り、さゆみちゃんのツイキャスを流した。

少し細くした三日月は「月明かりが弱いねん」とは思いつつ、しばらく見ていたら靴下を吊り下げるフックのように思えて笑えた。各劇場でクリスマスの演目も増えてくるそんな時期だ。飽和した劇場で過ごした熱を冷ますには充分な時間であった。何を言っているのかわからないぐらい意識が遠のいたと思っていた矢先、スマホのアラームが定刻の午前4時半に不快な電子音と共に鳴り響いた。冷え切った体と全身の襲う痛み、重い体は今すぐにでも暖かい布団に潜り込みたいと思いつつ、体を起こした。

「そうか、土曜日はいつも出勤だったなー」

こんなところで二度寝など出来るわけあるまいと我に返った。たとえ躰がバラバラになろうとも、開演前の劇場には着いておかなければならねばと洗面所で顔を洗った。

 

 

 

観劇日 :11/22(金)、23(土)