昨日、安倍晋三元総理の国葬儀に参列してまいりました。
武道館の祭壇中央の、左右両角に黒いリボンがかけられている安倍元総理のお写真を見たとき、
改めて私達は、安倍晋三総理を失ったんだ、、という喪失感にかられました。
(写真:自民党HPより)
国葬儀に対して、さまざまなお考え、ご批判もあることは承知をしております。
しかしながら、憲政史上最長などという記録以上に、その功績はやはり計り知れないと考えます。
ここで議論や反論をするのではなく、あくまでも私の考えでありますので、ぜひとも議論・論破目的ではないこと、読者の皆さんにおかれても、同じスタンスで読んで頂ければ幸いです。
安倍元総理が銃弾に倒れたとき、わたしは外務副大臣という立場でもあり、公式ルートでも、そして個人的に構築した私的なメッセージの中でも国内外から本当に多くの弔意を受けました。
また、二国間という関係だけでなく、個人的な繋がり・エピソードを皆さんが口にされていたことが印象的でした。安倍元総理は、国の経済的・外交的な規模、大きさに関係なく、日本に来られた外国要人をご自身でもてなされることに、大変なお心と時間を割いていらっしゃいました。
また、その場での料理や会話、社交の“カード”は、それぞれの国や人に応じたテーラーメイドな外交スタイルです。
当たり前だろ!と思われるかもしれませんが、それはご本人の意向が無い限り・・・・
ここが日本の外交の・・ごほっごほっ(咳払い)
だからこそ、皆さん、安倍総理との“つながり”を感じ、それが信頼関係となり、心からの弔意となったことと思います。
私はやはり日本という国のリーダーとして並々ならぬ情熱と実行力で、歴史を重ねられたことに対し、出来る限りのかたちで弔意を示したい。また、各国からの心からの弔意に対して、日本として礼節をもって受け止めるべきと考えます。
さて、菅前総理の追悼メッセージが話題です。
特に、安倍元総理の机の上の読みかけの本、ページの一節が多くの方の胸に響いているかと思います。
「衆院第1議員会館1212号室のあなたの机には読みかけの本が1冊ありました。岡義武著「山県有朋」です。ここまで読んだという最後のページは端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。
印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。」
机の上の読みかけの本、そしてマーカーがひかれていた一節。
めぐりあわせとは・・を感じます。
そして、もう1つの巡りあわせがあります。
それは、伊藤博文は、明治42年、黒竜江省ハルビン駅で銃弾に倒れています。
伊藤博文の葬儀は、国葬。日比谷公園で営まれ、多くの人がその死を悼みました。
なお、山県有朋は83歳の大往生を遂げ、その葬儀もまた国葬でした。
記録のみならず、多くの人の記憶に残る政治家であり、人でありました。