おかげさまで韓国・梨泰院での事故に巻き込まれた根室出身の冨川芽生さんの

お通夜と告別式がしめやかに営まれました。

芽生ちゃんのお父さんは、私のブログにも何度となく登場している冨川歩市議です。

大地直系の市議の一人で、私が根室に入れば必ず合流する仲間です。

 

冨川さんとはあの事故以来、毎日連絡をとっていました。
一日も早く芽生ちゃんと会わせたい、根室に連れて帰りたい、そんな思いを多くの皆さんのご尽力
のもとで叶えることができました。

韓国に渡るためのパスポート、韓国についてからの関係各所とのやりとり、芽生ちゃんを芽生ちゃんらしく

帰すためのさまざまな段取りにおいて、関係各位に心から感謝申し上げます。

 

お通夜の席で、冨川さんが「韓国の大使館で、ずっとお世話してくれたMくん。聞いたら、芽生と同じ26歳。

ずっと側にいて、世話してくれた。Mくんが、一緒になって泣いてくれた」と涙ながらに話をして下さいました。

韓国側も真摯に対応してくれた、と感謝も述べられておりました。

 

その話を聞き、私から林大臣に韓国での大使館員の対応についてあいさつの中で本当に温かな言葉をかけてもらった、とお伝えをさせていただきました。その上で、私から出来れば大臣からも、一言現地大使館に伝えて欲しい、と。

外交官・大使館員は一見、華やかな職業に聞こえるかもしれませんが、実際は“やりがい”や“成果”は一朝一夕ではなく、労いの言葉を直接かけてもらう機会もありません。

痛ましい痛ましい事案が繋いだ縁ではありますが、外交とは「人と人」であるというこの経験、領事業務の尊さを糧にこれからも、外交の第一線で頑張ってほしいと願います。


昨年の11月、念願の夢だった韓国への留学が決まり、お父様の歩さんと共に外務省の副大臣室に来てくださったこと。その時の、嬉しそうなお父さんの顔。冨川さんは、「芽生の夢は自分の夢だった。だから、「ありがとう」という気持ちです。」とインタビューにも答えられていました。

あの日の、芽生ちゃんの笑顔はもちろんでしたが、そんな娘さんを見つめる歩さんの満面の笑顔が印象的でした。あの日が永遠の別れになるとは誰が想像したでしょうか。
あの日が、冨川さんにとっても芽生ちゃんとの最後になってしまったと知り、写真を見返しては胸が締め付けられる思いです。

実は芽生ちゃんは、私にお父さんの優しすぎるところが時々心配だと言っていました。「どこの家も子よりも、親の方が手がかかるね!」なんて言っては笑っていました。

でも、やはり芽生ちゃんを早く迎えにいきたい。抱きしめてやりたい。みんなのもとに連れて帰りたい、という思い。そして、芽生ちゃんが韓国で一緒に学んでいた友達たちに「芽生のぶんまで、頑張って。そして親御さんたちは心配しているだろうから、ちゃんと連絡をとってあげて」という冨川さんの言葉。やはり、親が子どもを想う気持ちというのは際限のないものです。


子どもは生まれるまではお腹に10ヶ月、生まれてからは腕の中で3年、そして心の中には一生と言います。芽生ちゃんの声が聞けずとも、抱きしめることが叶わずとも、ご両親やご家族の心の中に芽生さんは生き続けることと思います。
 

子を想う親心に勝るものはなし。そう痛感する、お通夜そして告別式でもありました。

 

(祭壇のお花も、彼女らしいかわいいものでした)