新古今和歌集の一條院皇后宮(定子皇后・・・本当は定子中宮様)の御歌

『いにしへのあまや煙となりぬらむ 人めもみえぬ しほがまのうら』

(いにしえの海人が皆死んでしまって、煙となって昇っているのだろうか、

人の行き来も海藻もみられない塩釜の浦であるよ。)

 勿論、定子の宮も、『塩釜』はご覧になっていない。

禁裏、自邸の二条第、京の都を出たとっても、ご身分柄、遠くには行けない。

少納言達女房に、紅葉狩りをお許しにはなられるが、

ご自身は宮中、梅壺、識御曹司、成昌の家。

 

これは『ものの あはれ』である。

 

ただ、ひっそりと もれでた お言葉・・・溜息のような・・・

いにしえの、先人たちは、みんな、もういない。

(藻塩を焼く)煙となって、天へと昇って行ってしまったのかしら  

風流を解する人達が、あんなにも持て囃され、風情を愛された、

あの『塩釜』の浦には、もう 誰もいないのかしら

 

ご自分のために、ふっと 歌となった。 

日常のお言葉が、和歌となったのだ。

ここには、笑わせ給う宮はおられない。

きらきらしい漢文の素養も、当意即妙も影をひそめ、

人生と向き合う、定子の宮がただお一人でおられる。

 

手を延ばせば、そのお体に触れられるような、お近くに、

御簾も簾も几帳も、お顔を隠す扇も手に為されず、

定子の宮がおられる。

 

 千年は一瞬だ。

貴女はご存じだった。

25歳の生涯で、貴女はすべてをご存じであった。

 

御仏を敬いながらも、一条帝への愛ゆえに、往生を捨てた。

定子の宮はみつめている

 

『煙とも くもともならむ身なりとも、草葉の露』に

『塩釜の浦』は見られない、それでも、露にはなれる、あの方の・・・

 

 露の宿りにはなれる。

 

寂しい、淋しい風景に、定子の宮のお心が添えられるとき 

私は見る、千本の万本の煙が天に昇る。

命が役目を終えて、登っていく、消えていく・・・

いにしえの歴史の中に、今、一条院皇后宮が、生きておわす。

お姿が、

肩を並べて、

お傍に感じる・・・・・この あはれ・・・

 

 

 歴史とは、未来への過去からのメッセージ。

どう、受け止めるかは、人それぞれ。

千年は一瞬だ。

限りない、贈り物。    

 

…音読を始めた『谷崎源氏〛に感化されて・・・                             

物語の物語りに遊ぶ。

二十歳に満たぬ若い宮は中の関白家の家族の為に

銓子に押し切られた一条へ、決然と抗議の出家という別れを告げる。

艶やかな黒髪を切り、此の世を絶ち、捨てて 立つのである。

 

若紫が走ってくる。

二人のヒロインが交差する。

 

 

令和5年の暮れ

 

もうすぐ、源氏(六条院)が出家される

匂宮が駆けてくる、おばば様ゆかりの

二条院の対の上(紫上)の愛した桜が実を結んだと

薫君は、初物の筍に生え始めた小さな乳歯で喰いついている

師走

 

ああ、今日も、

上皇様と上皇后様は、

物語の一章を交互に音読なされておられましょう

古典の雅な一刻が今日も編まれていく。

 

幸いなるかな

 

 

 

光る君が果たして、源氏か