『夕顔』


開かずの間の開かずの本棚が、パンデミック中の震度5弱の揺れで

この3年間、少しずつ、尚且つ 確実に危険地帯と化してきた。
好奇心をワンコにしたような「だもんね」さえも、お一人では、探検に行かなかった。で、仕方なく休みの1日を潰して、
残す本、処分する本と仕訳を開始した。

もうだれも読まない童話。。。。されど、一人娘のたどたどしい
ひらがなが書き込まれている。・・・・・・捨てられない・・・・・・
(恐ろしや・・・一寸法師の横に、うそつきと。
3、3センチと赤く書き込み・・・夢の無いやっちゃ)

 

麻呂ちゃん この状態
これは、『源氏物語・梶田半古画』での 女三宮のお姿

はんこさんには、うらみつらみがある。
小林古径展でだっただろうか、1幅の源氏絵を見た。
作者は『梶田半古』
その日から、梶田はんこ探しが始まった。
寝ても覚めても、はんこ はんこの反抗期。
『敦盛』はみつけた。


だが、源氏物語の女君が見つからない。

かすかに、遠くに見える『夕顔』

 

浮舟も、薫も匂宮も 見つけた。
日本画の展覧会を回るうちに、『絵で見る源氏物語・・日本画』

挿絵がおおおおおおお
梶田はんこ!さ~~ん
10年は経過した、多分、探し始めてから・・・執念ぞ
その怨念の本が、かたずけ山の中から

 

登場。


はい 万事窮す・・・

もう、無我夢中・・・源氏絵の世界にはまる。

 

はんこさんは何故か、身分高き女君を、正面から描かない。


藤壺の宮も
紫の上も、夕霧ほどにも、『野分』のすき見が出来ない。
描かれるのは、明石の君、女三宮
10年たって気がついた。

明石の君はその登場から完成された女君として、

教養、雰囲気、高雅さ、貴族としての品位を
身分が劣ることだけを欠点として、

最高位の教養人の六条御息所に比べられる。
其れほどの女君も、紫上の下座に置かれる。
源氏の愛は、一に、紫上に

梶田はんこさんの『紫上』は、

明石君の雅びの怜悧の

源氏の褒め言葉の上に、その御姿を、薫らすのだ。

若紫のころですら、お顔をおおっている。
10歳の童女の将来、必ずやその美貌を愛でられるその半身すら、
はんこさんは描かない。
藤壺を、紫上を、
私達は、光君同様に、恋焦がれるのだ。
夕霧の懊悩ですら、羨ましく夢想するしかないのだ。

画家ならば、描きたかったと思う。
描かずに偲ばせる
思い描かせる

見ることを望む人は式部の紫上を、
それぞれが、それぞれの感性で、思うのである。
明石君の美しい髪の流れ


その向こうに、完全無欠の美貌と教養とあこがれの方が、
見るよりも、美しく、
見えぬ筆で、描かれる。

今日も はんこさんに、完敗。
                   馬の内侍

 

文章にしか書かれていない装束を形にすることは大変だったが、根本的な問題まで見直す努力をした。絹糸の質や太さを再検討し、また、紫根や日本茜など平安時代に使用された染料と技法で製作した。現代の十二単などの装束は『重い』と思われるが、平安時代の宮廷の衣服らしい『かろやかさ』が再現できた。


身に着けた人・明石の君は居なくとも

 

明石の匂う現出の見事さよ

 

 

「源氏物語 よみがえった女房装束の美」 明石の君の晴れ姿をリアルに 丸紅ギャラリーで12月28日まで – 美術展ナビ (artexhibition.jp)