実家の近くに、高層ビルの3フロワーぶち抜きで、書店がオープンした。

よく見ると、ほとんど、書籍というより、攻略本、資格ノウハウ、コミックグッズで埋め尽くされている。セブンイレブンの雑誌コーナーの巨大化ですな。

 

お目当ての純文学、外国のセレクト絵本、歴史書、ナイナイナイ。

あるのは、大河効果の『紫式部』関連。

式部さんびっくりするでしょうな。

書いた原文『源氏物語』が新装開店していますよ。

原文かたなし、攻略本、注釈本オンリー―――です。

 

どこか、何かで磯田道史さんが語っていたような記憶がある。

・・・歴史の世界

事件で言うと鑑識の人たちが現場を調べ、記録して

歴史学者が事情聴取。残っていないとああだこうだと異論反論正論であると。

 

推理小説気分で、私はここで、4人の定子から読み解く『源氏物語』を

歴史学者ではない、ジャーナリストさん作の謎解きに はまりました。

正しく、ミステリという勿れ です。

相思相愛の若き道長さんとまひろさんをほっとき

別次元の作者の式部と少納言が手に手を取って、身分制がんじがらめの男社会を批判

偉そうにしていますけれど、女子の働き(運)が無ければ、右大臣も左大臣も次世代は追い落とされますぞ。なんて言ったって、国母がものをいう。

一条天皇11歳に添い臥しとして15歳の定子が女御として入内。

中の関白家が栄え、梅壺の満開の二条第の春は5年しか続かなかった。

15歳の定子中宮は10歳以上年上の少納言を、主従というより、ソウルメイトとして虜にする。そして、道長の専横。娘彰子12歳を、中宮へと、二后柵立実現のごり押し。いかに権力を手中にするためとは言え、底意地が悪い、冷血人ですぞ!

一条帝は抵抗する。定子を慕い愛おしみ大切にすることをやめない。

彰子入内の日、定子は少納言がからかった西門の無い大尽生昌の自邸で、世も世なら

正妃、定子皇后、一条帝第一皇子の敦康親王を産むのである。

世の人、悪逆な道長の嫌がらせに、口を閉じ、内裏が焼けたのも尼となりながら、皇后である定子の宮は則天武后と噂する。行啓の手配を一条に命じられ、行成はしぶしぶと整える。

悉く、道長の嫌がらせに、貶められようと、粗略に扱われようと、行事が滞ろうと

定子の日常生活が反映したサロンからは笑いが消えない。

幼い彰子への中継ぎに、入内した3人の女御達は解任しない。

一条帝第3子  媄子内親王を忘れ形見に、25歳で崩御。

道長一派は、皇后の喪中にお構いなく、弘徽殿の大后さながら、管弦を控えなかったという。

その定子のサロンを、式部は知らない。

7年後、やっと彰子は皇子をあげる、20歳の中宮に、式部はまみえるのである。

既に、少納言は宮中にはいない。あるは『枕草子』の語りのみである。

 

定子の宮に遅れる事わずか1年

道長の後押しをした女院詮子も病に倒れ、鳥辺野に埋葬される。

生きて見なければ分からない。

死んでしまったら、初めて判ること。

それは千年前も今もこれからも

同じだ。

 

 

深夜

落ち寝をしてしまった

カーテンを引き忘れた窓から、月明りに

ぎょほーーーーー

 

わんこがいびきをかいている

 

どうにも、眼が冴えて、お抹茶ラテ・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

今はいい

今は・・・・・

でも、やがて、歩む道に、「歴史的事実」が現れる。

きずかなければ、良き人として、御堂関白家は栄えましょう。

でも、権記に、大鏡に、小右記に たとえ、草子に 

二行の記述であろうとも

歴史的事実にきずいたら、それは、黄金の道です。

源氏物語も枕草子も、金地の地図であり、その上を知らずに歩むことは

何のための 我 なのでしょう

この世に生まれ

宮や濃姫を知った、知ってしまった私は、

何をすべきか、思うべきか。

生まれてきたのなら、と 心に問います。

 

 

落馬して、救急車搬送事件から、3年以上ラリホー

今年も、定期脳ドッグ。

ギリセーフ。。。。。。ぁあああああ、加齢による華麗なる動脈の薄れが見えますとさーーーーーーーーぁ

一カ所、しぶとく、大きくもならず、鎮座がいまして、こいつの今後を私はずっと

監察するのです。

で、

お馬はダメ!は、今年も継続。

 

生き甲斐を見つけなければ( ^ω^)・・・