だから仏教は面白い!不動明王になる方法&悟りを求める人にアドバイス★フリーメーソンの岩戸開き★ | 愛とエロスのLEGEND SOLDIER【覚醒戦隊GODZIGENGER】幸福の超科学の言霊実現党

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地球の次元上昇を使命に人類の人間型ゲシュタルトを破壊する善悪統合のHERO!
衆生回向を願って適当戦隊イイカゲンジャー的に生きている自称半覚醒者・与太郎の
愚鈍な「悟りバカ日誌」で一般常識や固定観念を破壊してエロミナティの世界へ誘います♪

 

天下の与太郎です悪魔

 

 

 

3月7日は訓練校時代の関係で、

就職に関して呼び出されました笑い泣き

 

 

 

そして、近くの花園神社に降臨。

 

 

参拝ついでに3月の紙(生命の言葉)を貰うつもりが、

参拝だけして紙を貰ってくるのを忘れました汗

 

 

本当は紙を貰うのが目的で、

参拝はついでだったのですがニヤニヤ

 

 

そして、取締役会で大宮に行きました。

 

 

以前の日記に載せ忘れていましたが、

坊さん提供の不動明王の御札を、

ヨコレンジャーに授与しました。

 

 

僕の誕生日も不動明王の縁日(28日)ですが、

ヨコレンジャーも不動明王と縁が深いそうです。

 

 

本来は誰もが不動明王になるべきですが、

なりたい人は以下の記事をお読みください。

 

汝、不動明王になれ!(不動明王真言)

 

 

そして居酒屋に招待されましたが、

呼び出しボタンがなかったので、

非常ボタンを押そうかと思いましたニヒヒ

 

 

お通しのシラスを食べていると、

ヨコレンジャーが仏教の本を出してきたので、

殺生を戒められてるのかと思いましたガーン

 

 

『だから仏教は面白い!』という本ですが、

著者の名前にも「魚」がついています(笑)

 

 

少し見せてもらいましたが良い内容だと思うので、

オススメしておきます。

 

 

この本のタイトルで検索すると、

以下の記事が出てきたので紹介しておきます。

 

魚川祐司著「だから仏教は面白い!」を読んで

 

 

 

また、ヨコレンジャーは知人の秋篠宮の陰陽師から、

『正法眼蔵』を読んで坐禅を組むように言われたそうです。

 

 

曹洞宗の道元(曹洞戦隊ドウゲンジャー)の著作で、

『正法眼蔵』かどうかは覚えていませんが、

僕も小学3~5年の頃に難解な仏教書を読み漁り、

道元の思想も少しだけかじったことがありました。

 

 

最終的に僕が日本仏教で尊敬しているのは、

日蓮と空海と親鸞と一休と最澄と良寛などです。

 

 

その中で半覚醒していたのは恐らく親鸞だけですが、

なぜ念仏を唱えているだけで半覚醒できたのか……。

 

 

 

日常生活の中でも念仏を唱え続けることにより、

常に脳波が下がった状態で雑念が湧かなくなり、

その状態で常に阿弥陀仏(ハイヤーセルフ)に、

意識の波長を合わせていたからだと思います。

 

 

もちろん、念仏を広めることに人生を捧げ、

死後は極楽浄土に行けることを説いて回り、

衆生済度を願って菩薩行の生涯を送りました。

 

 

しかし、親鸞は晩年、

「阿弥陀仏の本願は親鸞ただ一人を救う為だった」

と言ったそうです。

 

 

衆生済度(人類救済)を願う阿弥陀仏が、

親鸞ただ一人を救うためだったということは、

親鸞は半覚醒(5次元意識の覚醒)をして、

「衆生=自分」 だということを認識し、

他者救済が自己救済だったということを、

悟ったのだと考えられます。

 

 

 

「自分が救われなければ人を救えない」

という考え方もあります。

 

 

確かにそれは一面的に事実で、

例えば金銭的に人々を救うためには、

自分が貧困であったら不可能なことです。

 

 

また、輪廻の解脱(半覚醒)を救済とするなら、

まず自分が半覚醒していないことには、

人々を半覚醒に導くことはできません。

 

 

もちろん、それでも道を伝えることはできるし、

それも立派な他者救済の菩薩行になります。

 

 

アリオンはこう言っています。

 

「我々プロジェクト要員は、常に他者の為に

働く事で自分を救うという方法を取っている」

 

 

太古の道案内人氏の師匠によると、

道元は4次元意識の覚醒で終わったそうです。

 

道元が悟れなかった理由

 

 

 

仏教の開祖の釈迦は、

「ほとんど人は迷妄に覆われ、悟っていない」

と説いたそうですが、オコツトによると、

釈迦も覚醒(悟り)には至っていないそうです。

 

 

釈迦は5次元意識に覚醒していましたが、

それを僕の言葉で「魂の半覚醒」といいます。

 

 

太古の道案内人氏によると道元は、
「全ての生命は最初から悟っている」
という在り方から出発しようとしたために、

智慧と勇気の力が育たなかったそうです。

 

 

どちらの話もよく分かるので、

僕から少し補足説明をしておきたいと思います。

 

 

太古の道案内人氏も書いているとおり、

人間の本質は神の分霊なので

もともと悟っている存在であるのは当然の話です。

 

 

古神道の概念でも、

「人間はもともと悟っている」ということが前提で、

祓い清めて言霊の力を活用するものですが、

神人合一によって再び悟ることも目指しています。

 

 

 

つまり、人間は本質的に神であり、

悟っている覚醒者なのですが、

人間として生きている間は悟りが閉じ、

魂が眠っている状態だということです。

 

 

悟りは求めるものではないという人もいますが、

それは悟りに対する執着を戒めているのであり、

悟りを求めずに悟りを得ることはできないでしょう。

 

 

「求めよ、さらば与えられん」

 

 

しかし、「既に悟っている」と思うことも大切で、

それは「われ最高の神なり」の想いでもあります。

 

 

つまり、既に悟った最高の神なのですが、

意識進化の道は無限に続いていくので、

さらなる悟りを目指して最高の神を超える想い、

そのために身魂磨きに努めることが大切で、

少し前に紹介した釈迦の遺言にもありました。

 

「怠るな!続けよ」

 

 

 

オコツトがいう覚醒(悟り)の世界である

オリオン領域(ψ9~ψ12)に到達しても、

その上の次元の生命体から見れば、

「それはまだ覚醒(悟り)ではない」

ということになると思います……。

 

 

つまり、覚醒(悟り)には無限のレベルがあり、

覚醒(悟り)をプロセスだと捉えれば、

誰もが例外なく自分なりに今なりに、

「覚醒して悟っている」とも言えると思います。

 

 

エササニ星のバシャールは、

地球人類が悟っていないから、

メッセージを送ってきているのですが、

次のようなことも言っています。

 

「悟るということは、常に家の中で

瞑想をしているということではありません。

楽しくやること です。

そして自分がすでに悟った存在だ、

というように行動する時、それが悟りです」

 

 

 

「自分は既に悟っている」からといって、

勘違いして傲慢になるのは愚の骨頂ですが、

覚醒して悟ってることをスタート地点として、

さらなる覚醒(悟り)と次元上昇を目指して、

無限の意識進化への好奇心が大切です。

 

 

それは更なる「自由と歓喜の探求」であり、

DNAに組み込まれているプログラムのはずで、

心身が正常であれば本能的に向かう道ですが、

それは各人の自由意志に委ねられています。

 

 

僕は2歳の頃から本能的に悟りを求め始め、

小学生の頃から真剣に悟りを求め続けてきて、

27歳の頃から「覚醒=悟り」と思える体験を、

何度か繰り返して来ました。

 

 

その度に僕は、

「これが覚醒か!今度こそ悟った」

と思うことの繰り返しでした(笑)

 

 

しかし、それは覚醒度が少し上がって、

新たな真理の悟りを得たというだけでした。

 

 

 

その後、今の僕の言葉でいう半覚醒に至って、

「今までのは覚醒でも悟りでもなかった」

ということがハッキリと分かりました。

 

 

そこまでの経緯を考えると、

僕は悟りを目指して生きてきて、

「覚醒した!悟った!」と思ってきましたが、

それは結果的に良かったと言えるでしょう。

 

 

一つの例え話をすると、

「私は幸せだ」と思えば幸せになっていくように、

「私は悟っている」と思うことも大切なようです。

 

 

自分は高次元とは無縁で、

神仏から切り離された存在で、

悟りとは程遠い無知な凡人だと思えば、

それがその人にとっての真実になり、

それこそが悟りを遠ざける無知ともいえます。

 

 

振り返れば、最初に4次元意識が覚醒し、

段階的に覚醒度が進んで真理を悟り、

ついには5次元意識が覚醒したのですが、

そのことは全て裏づけが取れて発表済みです。

 

 

なので、僕は覚醒して悟ったと思っていますが、

それは「魂の半覚醒」の初期段階に過ぎず、

総てを悟った全知全能者になったわけでもなく、

オコツトがいう覚醒(悟り)には到達しておらず、

故に、日々、意識進化を怠ることはありません。

 

 

で、日々の生活の中で小さな気づきを得る度に、

「また1つ悟った」と思えばいいわけです。

 

 

 

太古の道案内人氏の記事の話に戻すと、

ダンテスダイジ大師という人物によると、
「道元は悟りが深まるほどに性格がキツくなった」

と言ったそうです。

 

 

これを僕の言葉で言い換えると、

5次元意識の覚醒(魂の半覚醒)に近づくほど、

厳しい性格になったということになります。

 

 

僕は4次元意識の覚醒が進んできた頃に、

「落雷事件」と呼んでいる神秘体験が起こり、

ハートチャクラに雷(厳霊)が宿りましたドキドキ雷

 

 

その頃は自分の悪想念に対して非常に厳しくなり、

「地震・雷・火の雨降らせて大洗濯するぞよ」

という微塵の悪をも許さぬ金神の如き気性になり、

自分の投影である他者に対しても相手の見境なく、

自分の意志に関係なく厳霊が発動していました節分

 

 

半覚醒後は厳霊と瑞霊が中和したような感じで、

時と場合と相手によっては厳霊がプチ発動しますが、

基本的には厳霊が発動することはなくなりました。

 

 

 

ただ、1つ思うことは、

「悟れば楽になれる」というような、

現実逃避的な目的で悟りを求めても、

それは叶わぬ儚い夢かもしれません。

 

 

現実直視の熾烈な内観の実践の先に、

悟りというものが訪れるからで、

それはまさに心のハルマゲドンです。

 

 

あくまでも僕の個人的な話ですが、

僕が悟りを求めていたのは理由はなく、

本能的なものだったといえるのですが……

 

 

敢えて言えば、

「神仏になって天国に行きたい」という、

現世利益ではない純粋な進化の意志で、

「真理を知りたい」という知的探求でもあり、

それは「時間と空間の謎を解明して、

永遠性と無限性の恐怖から解放されたい」

という想いが根底にあったように思います。

 

 

それは2歳頃からのことだったので、

やはり本能的というか前世の記憶というか、

遺伝子にプログラムされているものであり、

誰の遺伝子にも組み込まれているはずです。

 

 

それでは唱えてみて下さい↓

 

意識進化の遺伝子スイッチON!

 

 

 

今回の記事と関連する話で、

是非とも読んで頂きたい記事があります。

 

 

知花敏彦のような少しクドい文章ですが、

優れた記事だと自己評価しています。

 

フリーメーソンの汝よ、岩戸を開きたまえ!

 

 


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