毎日慌ただしくも生きてます
12月1日は天使になった長男、ひさくんの命日でした
11月はひさくんがICUで生死をさまよいながら生きた月。
何とか(無理やり?)11月後半にNICUに帰ってこれたけど、何度も何度も死を予感しては泣いた日々だった。
病院を出ると世界がまるで違って、余計に泣けて仕方がなかったな。。。
NICUの看護師さんもみんなひさくんが終末期であり長くないことを悟っていたはず。
業務的なこと以外、口数が減っていたし、声もあまりかけられなくなった。
(下手に励ましたりせずそっとしといた方が…という配慮だったかもしれないけど、こちらとしては不安になったもんだな…)
人工呼吸器のアラームが鳴ったら止めにきたり、シリンジポンプの薬剤交換・更新にサッとくるだけ…みたいな感じだった。
研修医もペコっとお辞儀だけして輸血をポンプに繋ぎに来るだけだし。
もうそろそろ山場なんじゃないかっていう時に、先生とその日の担当看護師さんが何やら話してるのが見えた。
「また明日早めにきます。お願いします。」
と言うと、
「明日は抱っこしましょう、お母さん。
今、先生に許可をもらっていたんです。」
と言ってくださった。
ああ、もしかしたら、これが最後になるかもしれないんだな…と、病院を出てまた涙が出た。
帰り際に、ここ何日も目も開けられなかったひさくんが、わずかだけど目を開いてくれたことが脳裏に焼き付いて離れなかった。
何を言おうとしていたの、ひさくん…。
最期の時はやっぱり思い出すと辛いので、普段は思い出さないようにしているけど、こうやって思い出して文章にしているだけで泣けてくる…。
翌日の早朝に危篤の電話がかかってきて、私たちが病院に到着するまでは待っていてくれてたひさくん。
祈る思いでモニターとひさくんを交互に見ながら見守っていたら、「抱っこしましょうか」と久しぶりにパパの腕の中へ。
ひさくん、抱っこされて安心したのかな?
それからスーッと血圧と心拍が0になった瞬間、先生もアンビューするのをやめた。
ほんとにたくさんの苦しいことに耐えてよく頑張ったね、ひさくん。。。
代わってあげたかったのに…。
ごめんね。。。
そんなことを色々思い出して、
命日の前日は仕事中なのにふっと涙が溢れてしまいました。
旦那さんも今年の命日はお休みして…
去年は、移動中などに思い出しては泣けてきて仕事にならなかったから、らしいです。
温度差を感じたりすることもあったけど、ひさくんを思って泣くこともあるみたいで、やっぱり同じだなって思いました。
(コウノドリはNICUのシーン見ただけで泣くから絶対見ないって言い張ってるし)
命日はお供え物とお花を一緒に買いに行きました
ひさくんの写真を見て、動画を見て…案の定二人して泣いて。。
やっぱり可愛いなぁ、会いたいなぁって言いながら
その日の空も綺麗で、名前の通り命日はいつでも青空だねって話をしてました
育児と仕事でなかなか普段はゆっくりと想ってあげられてなくてごめんねって思うばかりだったけど、命日はひさくんへの想いでいっぱいでした。
ひさくん、いつまでも大好きだよ
お空で幸せに暮らしていてくれてることをいつも願っているよ。
帰ってきたくなったらいつでも帰ってきてね
ママは横で暇だったけど、幸せな時間だったなー。