エフ-スタイルのキャンプ(ターゲットを絞ったスキーレッスン)では、たいていビデオ撮影をする。その時、参加されているみなさまに、よくこんなことを話す。
「オリンピックの決勝だと思って滑ってください!」
時には、こんなふうに伝えることもある。
「このために、もうみなさんは十年以上もすべてを犠牲にして練習してきたのです。そんな気持ちで滑ってくださいね」
こんな言葉に乗せられ、つい力余って失敗してしまう人もいる。
シーズンに何回かわたしも「あっ、うまく滑れなかった(良い見本となるほどに滑れなかった)」と思うことがある。
じつは、わたしはもの凄いあがり症なのだ。
だいたい上に書いたようなことをみなさまに話している間、心臓はドキドキで、時に足が震えていることもある。心臓の音が、お客様に聞こえてしまうのではないかと心配になる時すらある。
昨年に続いて、今シーズンも八千穂高原スキー場のモーグルフェスティバルにジャッジの一人として呼んでいただいた。そこに参加すると、大会の前走を務めることになり、ジャッジには現役バリバリのオリンピック選手から、つい最近の全日本チャンピオンに到る面々が並ぶ。たぶん次の方と、わたしだけ三十歳以上の年齢差がある。
特に今年の一日目の朝、前日に融けた雪が凍りついてカチカチのアイスバーンとなった。公式練習でも、ほとんどの選手がコース外に飛び出してしまうほどで、朝一の前走はとても難しかった。
加えて、わたしはひとつ大失敗を犯していた。それは前日、あまりにも雪が柔らかかったので、わざと古いエッジのないスキーを持ってきてしまったということだ。
「なんでこんなことを引き受けてしまったのだろう」
スタートに立ちながら、自分の心臓のドキン、ドキンという音を聴いていた。
映像は決勝前のものだが、雪が柔らかくなってすら、震えるほど緊張していた。
デモランを滑り終わると、参加されるみなさんの前で少し話をする。その時、不思議なことだが、心の底からこう思った。
「確かに緊張したなあ。でも、七十歳近くになって、これだけドキドキできることがあるなんて、なんという幸だろう」
少しくらい失敗しても、自分が現役選手と一緒に滑ってゴールを切れるのは、なんという幸だろう・・・・・・そう実感した。
ふり返ってみると、まだモーグル競技で宙返りが禁止されている時代にフリップを飛び、まだ誰も捻っていない時代にフルツイストを飛んだ経験が、わたしにはある。そんな人のできないことをやって、それが嬉しかった時代もある。エアリアルならわたしが日本で初めて飛んだ技は、片手で数え切れない。
しかし今は、そんな気持ちと遥かに異なったところにいる。
純粋にモーグルやスキーを、楽しめることが嬉しくてたまらないのだ。
そして滑ること自体が、楽しくてならない。
不思議な出逢いからスキーにのめり込み、一生懸命滑ってきた。
人生の迷路で迷っていたわたしが全力で取り組めるものはスキーしかなかった。
わたしの母は九十二歳になるが、つい最近まで「スキーでは食べていけない」から「早く止めなさい」と言っていた。
数日前の母の日、それを聞かなかったのに驚いたほどだ。
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学でおこなった有名なスピーチに「コネクティング・ザ・ドッツ(点と点をつなぐ)」という内容がある。大好きなスピーチで、この中に「点と点がつながるのは、ふり返って初めてわかる」という内容のところがある。つまり意図的に繋げようとしても、うまく行かないけれど、やりたいことに全力を注いで生きるなら、いつしか点と点がつながっていく、という意味のところである。
心臓が飛び出しそうなデモンストレーションからゴールして、わたしは過去のひとつの点と、もうひとつの点が不思議とつながったように感じた。スキーを滑り続ける意味を感じられたと言えるかもしれない。
それが心底、嬉しかった。