中学三年でベートーヴェンにのめり込んで以来、五十年以上も彼の曲を聴き続けてきた。
交響曲に限って言えば、のめり込んだ当初はやはり五番、七番、九番を聴くことが多く、それに四番が続いただろうか。一番聴かなかったのが一番、二番、そして八番である。
ところが七十歳も近くなった今、いちばん聴いているのは一番、二番、そして八番なのだ。
中学、高校時代に、これら三曲はほとんど聴いていない。なんとなく魅力に乏しいようにすら感じていた。そんな中で初めて一番と二番の魅力に気付かさせてくれたのはイッセルシュテットの交響曲全集だった。大学時代イッセルシュタット盤を聴いて「ああ、なんと良い曲なんだ」と強く感じた記憶がある。それから二十年近くが経過して、四十歳の頃、ワルターのCDで決定的にこの曲の真価を知ることになった。
今でもワルターとイッセルシュタットの一番、二番は絶品だと思う。
しかし中年の頃は、まだまだ交響曲なら他を聴きたい気持ちが強かった。
六十歳も半ばになって、不思議と一番、二番に惹かれるようになった。
ピアノ三重奏やピアノソナタも同じで、近頃は初期の曲により惹きつけられる。
ベートーヴェン初期の曲たちは、ほんとうに健全なエネルギーと、弾けるような覇気に満ちている。
まだまだ人生の荒波と悲劇に打ち倒されていない元気の良さと新鮮さ、その奥に秘められた強靱な意志と革新性を感じられる。そうした観点からもイッセルシュタットとワルターの演奏は素晴らしい。
ずいぶん長い間、これら二種類を超える演奏に出逢えなかったが、今回これらに並ぶほど素晴らしい演奏を聴くことができた。
まずトーマス・ファイとハイデルベルグ響のCD。そして下の写真のジョルディ・サバールとル・コンセール・ド・ナシオンの録音である。
どちらも素晴らしい演奏と録音である。
トーマス・ファイは自宅で転倒し、その怪我以来指揮をしていないそうだが、ほんとうに残念なことだと思う。ぜひいつか全曲を録音して欲しい。
ベートーヴェン初期の音楽に込められたエネルギーに触れる時、わたしは現実に若返ったように感じる。決して人生後半のステージにいるのではなく、まだまだ夢や希望を持ってステージに立っているように信じられる。
わたしが尊敬している人の中で、今のわたしより長生きしたのはヘルマン・ヘッセのみとなってしまった。ベートーヴェンもマーラーも、すでに他界してしまった年齢になったけれど、もう少し頑張って、少しでも彼らがやってきたことに近づけたら嬉しいと思う。
余談だが、今この瞬間、福岡でおこなわれている世界マスターズ(水泳)で、たくさんの友人たちが命を熱く燃やしている。マスターズ水泳の世界には、ほんとうに驚くような英雄たちがたくさんいる。
わたしもベートーヴェンの一番、二番を聴いて、少しでも彼らに近づきたいと思う。