文科省はイジメを解決できるか? | トナカイの独り言

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 あれは高校一年のことでした。
 数学の授業中に突然、「ああ、こんなことをしているとダメになる!」・・・・そんな強烈な感情に襲われたのです。感情の大波に心がさらわれるようでした。


 当時わたしは十五歳で、この世の現実など何もわかっていません。しかし、受けていた教育に、巨大な疑問符を感じたのです。学校教育に疑問を感じるなどということは「自分だけがおかしいからに違いない」と信じられ、強い疎外感も感じました。ところがしばらくすると、そんな教育に対する疑問符を、わたしだけでなく、尊敬する友人も感じていることを知ったのです。

 親友が同じような疑問を感じていることを知らなければ、わたしは引きこもりになるか、不良になるか、自殺するかしたように思えます。

 あの時から、教育はわたしにとって大きなテーマとなりました。

 大人と呼ばれる年齢になって、河合隼雄さんという教育者の書籍に出会いました。むさぼるように、片っ端から彼の本を読んできました。河合隼雄さんの思想が、青年期から中年期に到るわたしの羅針盤となっていたのかもしれません。
 

 高校から大学を中退するまで、わたしが感じたことは以下の文章にまとめられます。
「日本の教育システムは、学習者に適合性と画一性を要求し、結果的に、個人特に子供から主体性を奪い、人間を潰しています」

 上の文章そのものを感じたのです。
 この文章は今回、日下和信先生に送っていただいた『文科省はイジメを解決できるか?』の97ページに書かれています。五十数年の時を隔てて、日下先生とわたしはまったく同じことを感じたのです。

 

 

 中年と呼ばれる時代に、わたしはアメリカが日本に施した「War Guilt Information Program」を知りました。それによって、日本の教育の奥底にある深い闇を見つけてしまったのです。
 これは終戦後、戦勝国アメリカが日本国民におこなった洗脳教育です。日本人が二度と自国を誇りに思ったり、団結したり、戦勝国に刃向かったりできないようにするために組み立てられた教育でした。
 戦前のアメリカ日系人は、自分の息子や娘たちを日本に送り、祖国で教育を受けさせました。しかし、戦後になるとパタッと日本に送ることをしなくなります。彼らはこの「War Guilt Information Program」を知っていたのです。

 またこのプログラムを実行するうえで、アメリカという国はルース・ベネディクトやヘレン・ミアーズという素晴らしい学者たちをも動員しています。
 ルース・ベネディクトは『菊と刀』のなかで、日本人の核心に触れています。
 ヘレン・ミアーズに到っては『アメリカの鏡・日本』のなかで、戦犯は日本ではなくアメリカであるとも解釈される文章を残しました。これにより『アメリカの鏡・日本』はマッカーサーによって邦訳禁止とされた・・・・現代の焚書となった・・・・ほどです。

 

 この『文科省はイジメを解決できるか?』でも、「War Guilt Information Program」は取り上げられ、そのプログラムは今現在も続いているとされます。

 「War Guilt Information Program」こそ、日本の教科書で取り上げられるべき歴史的事実だとわたしには信じられてなりません。

 『文科省はイジメを解決できるか?』は2021年に発表されたばかり。すべてのみなさまにお読みいただきたい本です。

 最後に本文(98ページ)から次の文章を引用させていただき、今回のブログを閉じます。
「残念ながら、日本の教室では、原動力を呼び起こすことになる、最も重要な質問が、実際に発せられることはなく、議論もされていません。この現状は、上記の『教育の目的は何か」以前の問題です。
 『なぜ私たちはここにいるのか』、あるいは『なぜ私たちは生まれたのか』ということです。さらに『私たちの人生の目的は何か?』の問いでもあります。
 これらは非常に重要な質問であり、一生かけて考えても答えが見つからない人もいれば、早い段階でわかる人もいます。良い教育、特に崇高な信仰、哲学、ディベートを含む教育は、生徒自身が自分が何者であるか、自分の人生の目的は何か、そして社会への貢献は何かということをより強く認識する助けとなります。特に自己存在感と健全な家族や地域の社会的関係と組み合わされた場合にはなおさらであります。
 このような質問にさらされた生徒たちは、より積極的に答えを求めようとするでしょう。その答えは人によって異なりますが、それは良いことです。
 つまり、教育とは、私たちが皆、ユニークであり、能力を持ち、存在価値があり、他人や国内外の社会に対して付加価値を提供できることを認識させることに焦点を当てるべきなのです」