濱村拓巳@南三陸町・ボランティア活動報告(4月29日~5月3日) | Tsukuba for 3.11

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~筑波大学から始まる復興~

4月29日(金)~5月3日(火)に宮城県・福島県で災害ボランティアに参加してきた、濱村さんに情報提供していただきました。
以下、濱村さんの災害ボランティア報告(南三陸町)です。




【名前】
濱村拓巳


【学類または研究科、学年】
生物資源学類5年


【期間】
2011年4月29日~5月3日


【活動場所】
宮城県南三陸町、福島県郡山市
(郡山市の活動報告は別記事に掲載)


【参加経緯と活動外情報(登録団体、移動手段、宿泊所、食事等)】
参加経緯は、研究室の先輩が既に現地で活動しており、
そこに同期がボランティアに行くというので便乗した。

車は同期の自家用車を使い、宿泊場所は車内泊とテント。
食事は自分たちで持参をしていたが、
避難所で余った食料をいただくことが多かった。


【活動内容】
子どもたちとの遊び、木材を使った家具作り、
薪割り、トイレの排水運び、ゴミを燃やした灰を埋める為の穴堀り、
物資(主に服)の選定


【現地の状況(ライフライン、現地の雰囲気、避難者のニーズ等)】
<ライフライン>
通電しているが、ガス水道は駄目。

ネット環境はないので、主に携帯電話が主な連絡手段になる。
食べ物を温めるために、いちいち火を焚かないといけないため、
電子レンジは重宝された。

なお、冷蔵庫がなく貯蔵ができないので、
炊き出しで大量に食料が余ることはざらにあった。


<現地の雰囲気>
子どもたちは元気で「学校より今のアウトドアな生活が楽しい」と
言う子もおり、子どもは割と明るい印象。

一方で大人はかなり神経質になっている

慣れない集団生活、栄養の偏り、連日来るボランティアへの気遣い、
今後の自分たちの生活など、かなり参っている印象を受けた。


<ニーズ>
求められているものは、圧倒的に人力

労働力が必要で、やることは無限にある。
1日でも、男性でも女性でも構わない。

物資で言えば、前述したように冷蔵庫が必要。

服はいらない。あとは肉や魚、生野菜などが必要
食料は主に炭水化物が多く、栄養がかなり偏っている。



【感想、気付いたこと、伝えたいこと】
現地に赴いて、目と耳と鼻と口、手足のすべてを使って
この震災を感じてくることを強く、お勧めします。


メディア、インターネット、誰かが言っていること、
ここに書かれていること。
それらを鵜呑みにするのではなく、自分で感じてくること。



この震災に少しの関心があるのなら、
多少の時間と金、労力を使ってでも現地に行くことを
考えてみてはいかがでしょうか。




【これからボランティアに参加する人へのメッセージ】
僕が行ってみてわかったことは、
決して当事者にはなれないということでした。

被災した方々と誰かの人生を取っ替えることなんてできません。

「頑張ろう、ニッポン」
この言葉が無意味で、いかに空虚な響きを持つ言葉なのか、ということも
痛感しました。


けれど、僕はこれから何ヶ月、何年、何十年経っても
「頑張ろう、ニッポン」と言い続けますし、
ずっと僕にできることをやり続けようと思っています。



ここで一番のリスクはこの出来事を忘れ、
当たり前を当たり前のことだと、思考停止することです。

毎日入るお風呂、毎日食べる食べ物、
父と母と、弟と妹、友達がいること、自分が存在していること。

それらすべては当たり前のことじゃなく、
何かの節に崩れ去ることもあるということ。

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僕は、この震災を忘れない。
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それが僕が実際に被災地に行って決意したことでした。



どうか道中お気をつけて。