2013/07/05 | 月のベンチ

月のベンチ

両親の闘病記


昨日のリハビリ(PT)は、母の緊張があまりに高く、途中で中止になったそうだ。

緊張緩和のマッサージ、できなかったの…??
効果なかった…の??

私がマッサージをしているときも、マッサージしているそばから緊張で固まっていくので、無理もない…

いやいや!
専門家なんだから、私より頑張って欲しい。

それから、療法士さん曰わく、
もしかしたら痰や唾液が多くて咽せるのは、弛緩剤は関係なく、嚥下機能そのものが衰えてきているのではないか?
と。

たまたま弛緩剤投与と重なっただけかもしれないわけね。

わからないけれど。



母に気管狭窄がなくて、気管からの出血の危険性が無ければ、カニューレも分泌物を遮るカフ付きでいられた。

そうすれば、まだ大丈夫だったのに。

カフなしであるがために、分泌物のたれ込みがあるのだ。
それじゃあ、カニューレの意味が半減してしまう。



今日も本当に緊張が高くて…

母の症状をよく知らないスタッフさんが
「どこか痛いの?」
と聞いてきた…

筋緊張です、、、





時間いっぱいまで頑張ってみたけれど、母は全然寝る気配もなく、痛々しい表情のまま、病室を出なければならなかった。


また、どんどんと打つ手がなくなっていく。

こういうときも、自分が役立たずだと思い知らされる。

そして、いつも昨年の初夏の悔しい場面を思い出す。

療養病院では対応しきれない肺の疾患を発症した母を連れて、大学病院を受診したとき。
診察室で医師は言った。
「こういう患者さんは何があっても診ません。ここはもっと回復していく患者さんのための病院です」
というような内容だった。
私も医師に食ってかかった(冷静に)ので、もっといろいろ大学病院の役割だとかを言っていたけれど、そんなの忘れた…





私は、自分が出来た事柄よりも出来なかった事柄に意識が行ってしまうらしい。

たとえば、仕事でもそうで、いつも焦燥感しかない。


出来なかったこと。

やり損ねたこと。

間違ってしまったこと。…





ずっと引きずる質なのだ。

そして、石橋を叩いて渡るどころか、叩き割ってしまうこともある。

せっかくの道がなくなってしまうわけだ。

それが【チャンス】だったかもしれないのにね…





苦しんでいる母のそばに居てあげられない(居ない)から、

だから、すべて楽しくないんだろうな、と思う。